月の裏側を読んで暫くの間、悪夢にうなされていた。文章を読んでトラウマになる。どこに行ってもどこにいてもあの光景が思い出されてしまう。それほど多くの読者を獲得したとは言い難い作品みたいだけれど、僕にとっては今までで一番パンチが効いた作品だった。
読み始める前は『月の裏側』なんてタイトルからさぞ幻想的な小説に違いないと思って読んだ。そして水郷の都市が舞台だという事で、やはり今回はファンタジーを書くのだな恩田陸!と思った。
読み進めていくと、あぁ、なーんだ。ミステリーか!と思い込んだ。今回もプチ賢い探偵役が出てきて綺麗にまとめてくれるのかと思っていた。そんな風にして軽い気持ちで読み進めてしまった。
結果、あのとんでもないシーンで、僕はこの小説がホラーなのだと思い知るのです…。
『月の裏側』のあらすじや情報を10秒でまとめると…
月の裏側とは…
九州の水都市、箭納倉(やなくら)で老人が失踪する事件が続いた。いずれも数日後にひょっこり帰って来たのだが、どうやら失踪している間の記憶を失っているらしい。事件に興味を持った元大学教授の協一郎と音楽プロディーサーの多聞は謎に迫っていくのだが事件は思わぬ方へ展開していく…
『月の裏側』っておもしろいの?感想は?評価は?おすすめ?教えて!レビューロボ・読書エフスキー3世!
前回までの読書エフスキー3世は…
書生は困っていた。「た、太陽が眩しかったから!」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。読んでいない本のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
大変です!先生!『月の裏側』の事を聞かれてしまいました!『月の裏側』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
…と、言いますと?正直な所『月の裏側』は面白い本なのでしょうか?
面白イ面白クナイハ私ニハ決メラレナイヨ。「希望を持たずに生きることは、死ぬことに等しい」ト言イマスシ。
えーっと、それでは困るのです。読もうかどうか迷っているみたいですので。ちょっとだけでも先生なりのご意見を聞かせていただきたいのですが。
真ノ紳士ハ、持テル物ヲスベテ失ッタトシテモ感情ヲ表シテハナラナイ。私ノ好キ嫌イヲ…
えええい。ポカスカポカスカ!先生、失礼!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
お?夏目漱石ですか。「I Love you」の訳ですよね。
うむ。地球人にとって、昔からずっと月はそこにあった。しかし、君。そのよく知っているはずの月がいつも私達地球人に表の顔しか見せていないのはお分かりか?
地球の自転と月の公転の速度が同じであるため、常に同じ面しか見えないんですよね。理科の授業で習いましたよ。
では、月にうさぎがいると言うのは…
あー、それは日本人だけの感覚で、ドイツじゃ薪をかつぐおっさんだし、キャベツ畑の泥棒に見える国もあるんですよね。
むむむ。君、何でも知ってるのな。ちょっとは私の豆知識にビックリするとかないの?遠慮とか知らないの?私を立てるとか覚えたほうが良いんじゃないの?
いやいや、僕は今の先生の態度に一番ビックリしてますよ。
それでまぁ、今回の本についてだが、例によって恩田陸の作品である。
文庫を持ってみると「ずっしり」してますね。
うむ。デビュー作から読んできたが、この作品が一番長いと思う。恩田陸が一番得意とする所を真っ向勝負で来た感じのする内容であった。
今回はミステリーですか?ホラーですか?それともファンタジーですか?
そーだなぁ…。うーむ。ミステリーかと思って読んでたら、ホラーの世界に引き込まれていって抜け出せなくなった…って感じだなぁ。ブルブル…。
むちゃくちゃ震えているじゃないですか。そんなに怖いんですか。
君は今まで、文章でトラウマになった事はあるかね?
トラウマ…ですか。うーん。なんだろう。零戦に乗る前の若者の手紙とかすごく衝撃的だった…とかはありますけど、トラウマっていうと違うしなぁ。
私は今回、トラウマになるであろう文章に出逢ってしまった。これはきっと頭から離れない。
え…。今回はどういう話なんですか?
それはどこらへんですか?今回も東北ですか?
いや、今回は九州だ。箭納倉は実際には実在しない街の名前だが、福岡県柳川市がモデルの水郷都市。街中に堀が張り巡らされている所。
堀ですか。昔、ばあちゃんの家が堀に囲まれていて、落ちたらどうしようって子供ながらにちょっと怖かったですね。
そうなんだ。水の都市と言うなら、ヴェニスの商人とも言いますしヴェネツィアみたいな幻想的なモノを思い浮かべるでしょう?でも今回出てくる箭納倉は堀が印象的な、ちょっと怖いイメージ。
堀…。なんか引きずり込まれそうですもんね。ちなみに“箭納倉”ってなんて読むんですか。
YANAKURA。やなくらだ。初めに出てくる時以外はふりがな出てこないから忘れないようにせねば。ちなみに「罅」この漢字もふりがな無しで出てくるんだけど、お分かりか?
え?「ヒビ」でしょ?瓶に罅が入るとかの。
マジでなんなのキミ…。舞台はYANAKURA。YANAKURAね。忘れないようにね!!
その箭納倉が舞台で、今回はどういう人が登場人物なんですか?前回の木曜組曲では女性が5人という強烈なメンバーでしたが。
今回はね、恩田陸ならこういう組み合わせだよねっていう感じですよ。おじいちゃんと若者。三月は深き紅の淵をでもあったでしょう。この組み合わせ。しかも今回はあの作品の中で出てきた鳩笛もちょこちょこ登場してくる。
おお。それはそれは面白そうではないですか。トラウマとはどこにも繋がって来ない気がするんですが。
そーですよね。普通は、今までの恩田陸を読んでいたら、ワクワクするに違いない設定ですよね。なんとなくなんとなーく閉鎖された郷愁漂う街で物知りなおじいちゃんと好奇心旺盛でちょっと頭のキレる若者とくれば。
そうですよ。それのどこにトラウマが。
私がトライポフォビアであるという話はもうしたかね。
はい。確か象と耳鳴りに出てきた曜変天目茶碗の話の時に聞きました。国宝なのにダメなんですよね、先生は。あの柄が。
そう。きっと私はね、同じようなモノが同時にぐわっと集まっているモノに恐怖を覚えるんだ。
ほほー。そうなんですね。んで、今回はそんなシーンが出てくるんですか?というか登場人物がおじいちゃんと若者なのはわかりましたが、二人は一体何をするんです?
おじいちゃんは大学教授だったけれど、仕事を辞めて箭納倉に引っ越してきた。そこに招待されたのが教え子の多聞という青年だ。元大学教授が生徒を自分の地元に呼ぶか?という所だが…
実は教授の娘さんと多聞が恋人同士だったり?
ぷふーっ!!先生の娘さんが多聞の大学時代の後輩なのだ!大学時代にはお互いそれぞれに恋人はいたようだよ。
まぁ、それで多聞という若者が箭納倉に呼ばれるわけですね。その目的は?
とある事件について一緒に考えてほしいと。
そう。この箭納倉ではここ最近謎の失踪事件が続いているのだ。
というのも、失踪事件の当事者は全てが老人。
そしてその老人の住んでいる場所は全て掘の近く。
おお。うちのおばあちゃんの家みたいな場所に住んでいる人なわけですね。
そして失踪後数日するとみな何事もなかったかのように戻ってくる。
ん?戻ってくるんですか?謎でもなんでもないじゃないですか。その人にインタビューすれば謎が解けるのでは?
当事者にその事を聞いても、失踪中の事は何も覚えていないという。
しかも元大学教授のおじいちゃんはある事に気がついている。
うむ。戻って来た人間が別の人物だという事だ。
え?別の人物?姿形は一緒なんですよね?ドッペルゲンガーとかそういう奴ですか?
いや、なんというか一緒なんだそうだ。
驚いた時の行動などが、まるで同じ人間に操られているかのように全く同じ時間に全く同じ行動をとるのだという。
ん?それは一体どういう事ですか?失踪した当事者が同じ場所に居合わせたのですか?
実は、元教授の弟夫婦も過去に失踪した事があってな。それでその時も同じように数日後に戻ってきて、まるっきり失踪時の記憶がないという。それでまぁ、何事もなく過ごしていたのだが、偶然元教授のおじいちゃんが大きな物音を立ててしまった事があった。
その時に、全く同じタイミングで同じ行動を取ったというのですか。
そうだ。そこで教授は思った。失踪した人たちはみな何か別のモノになって帰ってきたのではないか?と。それをこの小説の中ではジャック・フィニィの「盗まれた街」になぞらえて“盗まれる”と表現しているのだ。
盗まれる。盗まれた人達はとっさに同じ行動をとる、と。
そうだ。そして思い至るわけだ。この街の何人が既に盗まれている人なのだろうか?と。
ほう。なかなかおもしろくなってきましたよ。
そして問題のシーンに私は出逢うわけだ。
どれだけの人が盗まれているだろうか?と調査に出ようと、個々それぞれが活動をし始めた時のことだ。コンビニで何気なく過ごしていると偶然そこで事故が起きる。
そうだ。コンビニに突っ込んでくるモノがあった。そしてドカーンと大きな物音がなった。
コンビニにいた全ての人間が全く同じタイミングで全く同じ行動を取り、誰かにそうされたように闇に満ちた瞳になって立ち尽くしたという。
そうだ。想像してみろ。すべての人間が同じ姿勢で同じ方向を向き、同じような目をしている光景を。私にはもう、その穴のような目線がこちらをジッと見つめている姿のイメージが頭から離れない。
あー。それが集合体恐怖症を刺激するわけですね。
考えてみろ。偶然入ったコンビニで全ての人が同じ行動をとるのだぞ?その規模が大きくなったらどうだ。
たとえば渋谷のスクランブル交差点などで大きな物音に対して、みなが同じ方向を見て、同じ目線で同じ闇の瞳を向けてジッと立っている…みたいな事ですかね。
おぉ…。耐えられない。なにそれ怖い。
確かに怖いですね。なんというかその光景というより、追いかけているつもりでいたモノが実は追いかけられている側だったって気がついた時が一番の恐怖だと思うんですよ。
ふむ。自分が鬼ごっこの鬼だと思って追いかけていたのに、気がつけば本物の鬼に追いかけられていたみたいな?
そうですそうです。その瞬間に気がついたらゾッとしますよね。今回の作品も、失踪者の謎を探っていたつもりが、実は自分が失踪者になっていたなんて事があったら怖いですね。つまりさっきの表現を借りれば、盗まれているってやつですか。
ミイラ取りがミイラって事ですな。
そーいえば君、アニメとか見る?新世紀エヴァンゲリオンって知ってる?一部じゃ有名らしいんだけど。
え?知ってますよ。アニメ大好きですし、エヴァはアニメ好きじゃなくても知っているぐらいの超有名作品じゃないですか。
私は最近ね、観たのですよ、エヴァンを。劇場版ってやつですか。それでアレでしょう?人類補完計画ってあるでしょう?
エヴァです。エヴァンじゃなく。人類補完計画ってゼーレが目指しているものですよね。死海文書に書かれているとおりに。死海文書って実際にも実在しているんですけど、あれとは違う存在で、より優れた存在を残そうと…
ふむ。それで使徒と呼ばれる存在が私こそが地球にふさわしい存在だと、襲ってくるわけですよね。んでそれに対抗する手段がエヴァン。
だからエヴァですって。でもあれ?だいぶ詳しいんですね。未来から来たロボなんですよね?先生って。
それでですね、「Air/まごころを、君に」でゼーレが仕掛けた無への回帰現象あるでしょ?パシャっと人間が液体に消えていっちゃうやつ。
(「ロボだとか・言ったらいつも・無視される」書生心の俳句)
それで、サードインパクトってのが引き起こされて、何事もなかったかのように別次元で人間が復活しますよね。恐らく新劇場版ってやつで。惣流・アスカ・ラングレーが式波・アスカ・ラングレーとか呼ばれたりして。
あ、すいません先生。もう、ちょっとついていけてないです。そこらへん僕もまだちょっとよく理解出来ていません。パラレルワールドなのかってのは。
いや、つまりね、この人類補完計画が、今回の恩田陸の月の裏側にすごーく似てるでしょ?誰も違和感なく別の人間になり済ませている。けどもう既に昔の惣流・アスカ・ラングレーではなくなっている。
あー、なるほど。気がつけば別の人間に。ふむ。なんというか、あの恐怖に似てますね。なんだっけ。もしかしたら私が過ごしている今日一日は誰かによって見せられている夢なのではないか?ってやつ。
「可能性が完全に否定する事が出来ない事は必ず起こりうる」ってやつですね。
それはちょっと違う気がしますが…。マーフィーの法則でしょそれ。
では、みんなが示したように私を騙していて、実は私だけ一人が知らないだけで、私は研究対象としてずっとある組織に監視されているような、そんな映画もありましたね。
あー。その映画は明確に覚えています。ジム・キャリーのやつですよ。先生は映画も観るんですね。ロボなのに。(いや、ロボだから映画のデータも全て組み込まれているのか?)
さて、つまりはまぁ、実はここにいる全員がすでに盗まれてしまっているのではないか?という感じになってですね、月の裏側って見た事ないけど、確実に存在はしているわけでして、自分が知らないってだけで否定は出来ないと。見たことがないからって全否定するのはおかしいと。
そうなると、やっぱりさっきの渋谷のスクランブル交差で全員が一点を同じタイミングで見つめるなんて事も起こりうるという可能性も全否定は出来ないと。
そうです。その光景が実際に起こらずとも、起こるかもしれないというイメージが頭からこびりついて離れなくなってしまったのです。そしてこの作品の読後にしきりにフラッシュバックされるのです。多くの吸い込まれるような闇の穴が私を見つめている姿を。
先生、もう休みましょう。結構な重症ですよ。
でも正直な所、この小説、そこまで完成度は高い作品ではないと思うんですよ。
面白くなりそうな雰囲気があって、でもちょっぴり尻すぼみな感は否めない。なんかふわっと終わっちゃったなって。球形の季節ってあったでしょ?あれの大人版のような。
https://www.emotionbrainz.com/%e7%90%83%e5%bd%a2%e3%81%ae%e5%ad%a3%e7%af%80/
あー。なるほど。ふわっと終わるのは恩田陸っぽいですね。
それでも今回はダークなその闇が深く深ーくにまで達していって…。
私は、このトラウマとこれからどう付き合っていけばいいのか…。
恐ろしい。血も流さず、ゾンビにも襲わせず、暴力すら振るう描写を使わずに、一人の人間をここまで怯えさせるホラーを書き上げるとは。あ、一人のロボか。恩田陸とは、げに恐ろしき作家よ。
ま、デフラグ機能使って、記憶容量を整理した後に、メモリーの消去を行えばいいんですけどね!
突然のロボ感!!突然のロ・ボ・か・んっ!
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「プロハルチン・チチンプイプイ・コワイノコワイノトンデイケ!」
あれ?僕は一体何を…。ん?こ、このカセットテープは。
せ、先生!ありがとうございます!これを何度も聞いてしっかりと『月の裏側』の読書案内を出来るように努力します!
マ、イチ意見デスヨ。「幸福ハ幸福ノ中ニアルノデハナク、ソレヲ手ニ入レル過程ノ中ダケニアル」ト昔ノ人モ言イマシタシ。ヨリヨクオススメデキルヨウニ努力スルノハハイイコトデス。デハデハー。
ラジカセどこにあったっけな…。カセットテープなんて久しぶりに見たぞ…。未来からのロボ。うーむ…
『月の裏側』で気に入った表現や名言の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『月の裏側』の言葉たちです。善悪は別として。
樹木っていうのは時間だと思ってたんですが――柳は違いますね。やっぱり、柳は風ですね。柳は、風が見える。空気が見える。線ですね、線でできてる
もとより、教師だった人間の喋り方はついつい一方通行になる。大学教授なぞはなおさらだ。
孤独は当人が自覚してこそ孤独なのであり、協一郎のようにそれが生来の住みかであるような者には余計なお世話なのかもしれぬ。だが、連れ合いを亡くした男というのはどうして皆同じ背中をしているのだろう、と多聞は奇妙な感慨を覚えた。彼が思うに、背中に独特の角度があるのである。ほんのちょっと前屈みで、どちらかの肩がかすかに上がっている。なぜだろう。家事という仕事の大部分が前屈みにならねばならない仕事だからか。連れ合いがいれば、男は身体を起こして新聞を読んでいられ、自分は前屈みになる必要がないからか。
「例えばね、一番初めに真ん中に四つ並んでるでしょ。最初の一手を僕が置くと。それが、まるで話しかけてるみたいでしょ。『ねえねえ、今日どっか飯食いに行かない?』って言うと、話しかけられた相手が『そうだね、いいねえ』と言ってひっくり返される。そこにまた別の奴が来て、『だったら久しぶりにみんなで飲みに行かないか』って言って、今度はそいつの色にひっくり返される。こんなふうにしてどんどん人がやってきて、力関係が刻一刻と変わっていく。人間関係が複雑になっていくと、面従腹背する奴とか、一人でぽつんとしてる奴とかが出てくる。『おい、おまえら俺の味方だよな』って振り返ってみたら、『ごめーん、実は僕たちしがらみがあってさあ』なぁんてみんなひっくり返されちゃったりしてね。かと思うと別のところでは、『あいつをこっちに引き入れたいんだけど、あの位置じゃよそから丸見えだからなあ』なんてこそこそ相談してたり。結局どれだけ多くの人間を説得できるか、っていうゲームみたいですよね、オセロって」
油田が眠っていると思えば砂漠は魅力的だし、どれかに当たりくじが入っていると思えば安っぽいアイスクリームも魅力的だ。謎のある街は気分転換には最適に違いない。
六十五歳と聞くと年寄りのような気がするが、うちの母親の二歳上くらいだ。現代の六十五歳の女性は、まだバリバリ家の中を切り盛りしているだろう。前の二人の頼りなさは、既にお嫁さんに実験を譲り渡しているせいかもしれない。『あたしがしっかりしなくちゃ』と思うのと『もう隠居した身だから』と思うのではえらい違いがある。
なんて言うのかな。この世の中には説明できないこと、説明しなくてもいいことがあるんじゃないかなって。
真実は男のものだが、真理は女の中にしかない。男はそれを求めて右往左往するだけだ。
国内外を渡り歩いた彼にとって、言葉というものがいかに大事かは身にしみている。言葉が違うということは、その人間が異分子であるということを如実に示してしまう。異分子であるということは、さまざまな危害を加えられる可能性が高くなる。自分の身を守り、共同体に馴染むには、その共同体の言葉を覚えるのが有効であるのは自明の理である。全く日本語を覚える気のない外国人よりも、片言でも一生懸命日本語を覚えようとする外国人の方に親しみを覚えるのは当たり前だ。
女というのは常に変数であり、未知数なのだ。
「人間の想像力くらい怖いものないからね」「そのことを知らない人があまりにも多いのが怖いわ」
年寄りの家というのは、なぜ小さく感じるのだろう。世界が縮んだような感じ、壁や天井が迫ってきているような感じがするのだ。それは恐らく、彼等の把握している世界がもうそれだけの大きさになってしまっているからだろう。
不思議だね、あの当時は家族よりも一緒にいる時間が長かったのに、今じゃこんなに遠い
映画でも小説でも、確かに恐怖は愛情を産むのがセオリーだ。恐怖を一緒に体験することで、愛のエネルギーは増強される。恐怖について語っていると、その反動で愛について語りたくなる。人々は恐怖を語ることで愛を語るのだ。
人間は、一人では生きていけないが、一人で何もできないわけではないのである。
私は他人に対して先入観は持たないが、印象は大切にする。最初に与えられる情報から読み取れるものは大きいからだ。第一印象で判断するなと言われるが、長い目で見ると一番最初の印象が当たっていることが多い。
雨は粒なのに、どうしてこんなにたくさんの線に見えるんだろう。多聞はその光の線を見ながら、素朴な疑問を覚えた。やっぱり時間って見えるのかな。
写真を見ると、その写真を撮った時に何をしてたか、何を考えてたか、鮮明に思い出せるの。他の人には何の意味もない風景だろうけど、あたしが見ると思い出せる。日記をつけるのは大変だし、誰かに読まれたら困るというのもあるけど、写真だったら他人が見ても意味が分からないから重宝よ。何か感じたらパッと一枚撮る。日付も入るしね
まだ世界が夢と地続きにあった頃。黄昏の向こうに、名もない妖精や怪物が住んでいた頃。その頃聞いた音だ。
我々は無意識のうちに他社とどうかすることを避け、恐れてきた。なぜならば、多様性こそが我々の生物としての戦略だからだ。私はかねがね免疫というものを不思議に思っていた。または、臓器移植の際の拒絶反応というものも。移植されたものを自己と認識しない、異物とみなして攻撃する。確かに、毒物が侵食した時に拒絶するのは当然だ。自分の生命を維持していくという目的に反するのだから。しかし、自分の生命活動を助けるものを取り入れることをも拒絶するのはなぜだろう? 種の繁栄のためには、お互いの細胞を共用できた方が効率がいいのではないだろうか? それなのに、あれだけ激しい拒絶を示すということは、個別の個体を持つということに、もっと重要な意味があるのだ。我々は個々に、誰にも頼らずにそれぞれの可能性を試さねばならないに違いない。それが生物として正しい戦略なのだ。
確かに彼の歌は美しく、普段我々が心の片隅に押し込んでいる、恥ずかしくて柔らかな部分に触れるものがある。しかし、なぜいつも彼等は白秋のその部分しか見ないのだろうか。美に敏感なものは、醜にも敏感であるとなぜ気付かないのだろうか。
この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ。
確かにそうだったが、そうではなかったとも言える。我々は若かった。月面への第一歩が、全てを手に入れられる、全てを知ることができるという証しの第一歩であると信じていた。だが今、我々は何も知らないことすら知ることができないのではないかという予感に怯え始めているのだ。
おしまいとはなんと静かに始まることよ。
人間というのは、どんな状況でもフィクションを心のどこかで待ち望んでいるらしい
一点の曇りもない空に、でっかい太陽が輝いている。青空というよりも、いかれた筋肉自慢の大男が大声で笑いながらどこまでも走っていくみたいな、狂気を感じさえる空がバーッと広がっててさ。僕は一瞬、自分の存在を見失った。この世に自分は一人きりなんだって悟ったね
「私は一応教師という職業を何年もやってきたわけだが」私の口から愚痴っぽい声が飛び出していた。「正しいという言葉くらい虚しいものはないな」
現代人は、情報を食べる生き物なのだ。情報を常に注入していないと、どんどん神経が弛緩してゆき、社会から脱落してゆく。
父には分からなかっただろう。いつも独りぼっちでいるのが当然だと思っていた私の中に、『誰か』に助けを求めるという選択肢がなかったということを。
引用:「月の裏側」恩田陸著(幻冬舎)
『月の裏側』を読んでいる時にパッと思い浮かんだ映画・小説・漫画・アニメ・テレビドラマ、または音楽など
神ト悪魔ガ闘ッテイル。ソシテ、ソノ戦場コソハ人間ノ心ナノダ。コノ作品ガ私ニ思イ起コサセタ。タダソレダケナノダ。
どうしてもゼーレの人類補完計画を思い出してしまう。それとなんかでこういう話あった気もするんだけど、思い出せません。すいません。
『月の裏側』のまとめ
「人間の想像力くらい怖いものないからね」という言葉が非常に印象的な作品でした。まさに人間の想像力によってホラー度を増す物語。内容的にはそれほど怖くないし、登場人物もひょうひょうとしている感じでシリアス感が薄いのになぜか怖い。
この作品を読んだ後に、どうしても身近な人達が盗まれてしまっていないか?という事を想像してしまう。
恩田陸の作品は、“盗まれる”とか“ひっくり返される”みたいな感覚が面白いですね。非常に多読している方なんだなぁってのがひしひしと伝わってきます。
…しかし、それにしても。最後にこんな事書いて良いものかと思ったが書いてしまおう。
この作品、何よりもまずヒロインの役立たず感がすごい。
おじいちゃんの娘さんの藍子。恩田陸の作品に登場してくる女性キャラって、基本的に強い女性の象徴みたいな、同性からも好かれそうな性格なのが多いと思うんですよ。
でも今回の藍子の最初の強い女性のイメージで紹介されてからの結末に至るまでのキャラ印象の転落。それこそ竜頭蛇尾な女性キャラ。なんという事ない。ただの虚勢だけのキャラだった。
ここまで弱い女性を恩田陸が描くのって初めてなのではないでしょうか。
もうあまりにも共感が出来な過ぎて、彼女一人の為に何度も読書を途中で投げ出してしまおうかと思ったぐらいです。正直に言いましょう。藍子は僕が大嫌いな性格の女性なんですよね。
うん。たまーに女性でこういう人いるよなぁ…と。物語が別の方に行ってしまうって表現がありましたが、まさにこの物語で一番邪魔だったのではないか?という存在。
そして彼女に最後の締めくくりを任せてしまったので、ふわっとした感じで終わってしまったのでは…と。
とりあえず僕のトラウマシーンは彼女への怒りでなんとか出来そうです。スケープ・ゴートとしては非常に優秀な彼女。なんとなくマンネリ化して来た恩田陸のふわっと感への抵抗の象徴のような存在でした。
今までいなかったもの。こんなに嫌いなキャラクター。またこんな感じで終わるのか…という読後感よりも、なんだコイツ!ムキーッ!っていうのが勝ってる。
今まさに、頭の中でコンビニで盗まれた人たちがこちらを見ているシーンが思い出されようとする時、藍子という腹立たしいキャラも浮かんできて忘れさせてくれます。ありがとう。
ではでは、コンビニと藍子。そんなイメージが強い『月の裏側』でした。最後にこの本の点数は…