統合失調症が幻聴症状や被害妄想を入院や薬を使わずに治す独語その5

統合失調症が部屋に貼り付けているメモを晒す記事も第5弾になりました。まとめの方に書きましたが、とりあえず今回が連日書いてきた最後になります。

このメモを公開した結果がどうなるものか。それはきっとだいぶ先の自分が知っていることでしょう。書くことが怖いと思って始めた記事ではありましたが、なんとか立ち止まらず予定していた通りに書き終えることが出来ました。

どうぞよろしければ御覧くださいませ。

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統合失調症のあなたにお願いしたい事

統合失調症_病院-02

今回の記事がはじめて読む記事になるあなたに。

このメモは自分に向けて書いたものを公開したものです。本来は誰の目にも触れる予定のないものでした。なので間違ってほしくないのは、これをあなたに読んでもらって、どうこうしてもらいたいというわけではありません。あなたが薬を飲むことを否定するものでもないという事をご理解ください

統合失調症で病院に通っていた僕が、先生とのトラブルから通院を辞め、薬をもらえなくなった事をきっかけに、新しい病院を探さずに薬なしで自分の病気と向き合うために取り始めたメモの記録です。

統合失調症が幻聴症状や被害妄想を入院や薬を使わずに治す独語その1

詳細はその1の方に詳しく書きました。

なので、もし少しでも不快な気持ちになったとしたら、どうかクソ野郎の独言だと思って、ページを閉じてください。そしてすぐには頭から離れないかもしれませんが、出来る限り楽しい事をして、その言葉を頭の中から消してください。

でも、もし心が軽くなるような言葉が見つかってくれたなら、過去の自分の悩みや苦悩は意味があったのだなと、僕は自分をちょっとだけ好きになる事が出来ます。

僕もまだまだ成長途中。人の振り見て我が振り直せではありませんが、同じように統合失調症で苦しむ僕のメモが、あなたの生活を少しでも楽に出来たらいいなぁ…。

字はあまり上手ではありませんので、清書も一緒にのせました。

ではまいります。15枚のメモです。

統合失調症の独語:忙しい

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清書

忙しい時ほど周囲に気を使え。心を亡くしている時こそ信頼が大切になるんだ。時間に追われて何かを切るのではなく、大変かもしれないが大きく変わるチャンスだと思って引き受けるのだ。誰でも思いつく方法で対処するな!

今は時間に追われる毎日だ。誰もが忙しい忙しいと動き回っている。そんな心に余裕がない時こそ、いつも以上に周りに気を使えなければならない。

自分を優先して周りをぞんざいに扱う方法なら誰でも考えつく。「忙」しさとは心を亡くすと書く。心を亡くしてしまった人で一杯になってしまったら、誰かが被害を受けるかもしれない。

誰かに助けて欲しい時、手を伸ばした時、誰も手を差し伸べてくれなかったらどうだろう。忙しさから素通りされたらどうだろう。無視されたらどうだろう。

忙しいからと言ってイライラしたり、人との約束をないがしろにしたり、誰かからの依頼を断ったりしてはいけない。忙しい時ほど、その依頼を大切にするんだ。そんな時こそ人の心の本性が現れる。

誰かを犠牲にして何かを達成しても自分が嫌いになってしまう。「大変」さは大きく変わるチャンスだ。窮地に追い込まれた状況でさえ人に温かく出来る人間になりたい。

「ごめん、忙しかったから」という言い訳は絶対に使うな。忙しく我を忘れている時ほど人からの信頼を失いやすいんだ。

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統合失調症の独語:世界を回せ

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清書

足りない、足りない、もっともっと自分から働きかけるんだ。世界を回せ!地球は1年で1周しか回らない。人に反応していたら、人と同じだけしか世界が変わらない。人の反応を待つな。自分から動いて2周する毎に反応を確認するぐらいがちょうどいいんだ。回せ!

人の評価が気になって身動きが取れなくなった時のメモ。

自分のやった行動がどんな反応を引き起こすかが気になってしまう。気になって立ち止まり、前へ進めない。

しかし、反応なんてものはずいぶん経った後に現れるものだ。一個一個の行動にいちいち反応を見ていたら、その間に置いていかれてしまう。

周りの反応に期待するな。人の評価を気にするな。自分で計画を建てた時の予定通りに行動するんだ。自発的に行動しろ。周りに反応するだけの人生にするな。

どんなゲームも二回攻撃出来る事は有利に設定されている。相手が行動する毎にその反応を見て行動していてはいつの間にか相手のペースにもっていかれてしまう。

自分の人生は誰のものだ。自分のものだろ。自分の人生は自分で回すんだ。効果は後から確認するだけでいい。とにかく計画した事はその通りに実行しろ。そしてゴールしてから、反応を見て次の計画で練り直せばいい。

もっともっと自分の足で地球を回すんだ。

統合失調症の独語:自業自得の理

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清書

世の中全てのことは自業自得だ。どんなことも、自分の選択が招いた結果。理不尽に思えることだって、自分が過去に対策をしなかったから起きることなのだ。そう思えるなら、未来は自分次第で良いものに変えることが出来る!

今の自分は今までの自分の行動の結果出来上がったもの。

今の行動は、未来の自分を創り上げるもの。すべては自分の行動が生み出したもの。世の中に理不尽なんてない。たとえ誰かから刺されたとしても、車の事故に巻き込まれたとしても、すべては自業自得。

難しいことだけれど、そう思える事が出来たなら、世界は自分の手で変えていける事になる。もしそう思えないのであれば、世界に飲み込まれてしまう。だからどんな物事も自業自得だと考えるんだ。

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統合失調症の独語:ダイヤモンド

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清書

人間はダイヤモンドの原石だ。どんなことがあっても簡単には傷ついたりしない。だから何も恐れず行動しよう。磨かなきゃ光るものも光らない。輝くために沢山沢山動くんだ。その時に受ける痛みや苦悩はすべて研磨剤なのさ。ダイヤモンドを磨くのはダイヤモンド。人間を磨くのもやっぱり人間なのだと思う。動いてあがけ!

人と関わるのが怖い。人と関わる度に傷ついてしまう。自分はどうしようもない存在だと、ふさぎ込んでいた時のメモ。

人間は案外頑丈なものだ。怪我をすれば修復するし、筋肉を痛めつければ、次にはもっと強い筋繊維になってくれる。心も一緒だ。痛みや苦悩は自分を成長させるためのもの。

世の中には色んな人がいる。本当に色とりどりだ。自分の想像していなかったような人も沢山いて、ビックリする事もあるだろう。対応に困ってしまい、あたふたする事だってあるだろう。でも知らなければ対処が出来ない。知っていれば次から活かす事が出来る。

人と関わることで沢山学び、次第に人生が生きやすくなっていく。人と関わらなければ傷つく事もないかもしれないが、光る事もなくなってしまう。

人間は学ぶことが出来るのだ。成長する事が出来るのだ。今が完成ではない。今はまだ原石なのだ。くすぶった自分に見えるなら、とにかく動け。あがけ。あがけば磨かれ、気がつけば勝手に光り輝いている自分になっているさ。

統合失調症の独語:カリスマ性

統合失調症-薬-その5_独り言-05

清書

カリスマ性、スター性、アイドル性とは、人を笑顔にするだけでは到達出来ない。さらにそこにマネしたい!と思わせる魅力がプラスされる。憧れは究極まで行くと、その人になりたいということだ。ものまねされるものこそが一流であり、ものまね出来ないものが本物だ。

昔からアイドルが好き。自分もアイドルになりたいと思っていたぐらいアイドルというものに憧れを抱いている。

過去には沢山のスーパーアイドルがいた。それと同時に日の目を見ずに消えていったアイドルも沢山いたはず。

彼ら、彼女らとスーパーアイドルの違いはなんなのかを考える。最近もアイドル戦国時代とか言われているように、覚えきれない程のアイドルが増えた。その中で「アイドルの仕事はみんなを笑顔にすることです!」と答える人が多い事に気がついた。

確かにアイドルの歌や踊りを見ていると笑顔になれる。元気をもらえる。落ち込んでいたりする時に聞くのはアニソンか、アイドルソングが一番いい。でもなぜだろう。歌や踊りは人を笑顔にしてくれるのに、笑顔にするだけではアイドルとして成功しない人も出てくる。

そんな時に、最近お気に入りの廣田あいかを見て思った。声でクローズアップされる事の多い彼女だが、もっとすごいのは服装と鉄道の知識。彼女を真似るアイドルは沢山いるようだ。久しぶりにこの子本物なんじゃないか!?と思った。引退してしまったけれど。アイドルに憧れさせるアイドルとはまさにそれではないだろうか。

スーパーアイドルとはアイドルもお客さんも関係なく、みんなが真似したくなるほどの魅力を持った人の事なのでは。

聖子ちゃんや、安室ちゃんや、永ちゃんや、尾崎豊や…。本当にすごいスターというのは、少しでもその人に近づきたくてものまねをし、しかしやはり本人の輝きは真似できない人の事を言うのではなかろうか…。

考えてみれば、僕が好きな俳優さんである田中邦衛や田村正和も沢山、沢山ものまねされている。そして真似する人の共通点は彼等の大ファンなのだ。ものまねされるという事はそれだけはっきりした個性を持っていて、人を引きつける何かがある。

僕も人からものまねされるような人間にならねば。何かの象徴にならねば。それが人を笑顔にし、幸せにするための最短距離だ。

統合失調症の独語:感情と環境

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清書

自分が許せない物事を人に伝える必要はない。その自己主張は誰も幸せにしない。そのことを伝えず、自分の望む方向に相手を導く方が誰も傷つけずお互いが向上していく。気分を良くすることではなく、環境を良くすることを考えるんだ。

なんでも最後に手柄を持っていく友人がいる。

彼がとてもズルい人間だと言うことに誰も気が付かない。何もしていないのに、みんなから称賛されるのだ。それがすべて僕の準備によるものであっても。さすが○○くんと持て囃される。

何度も彼の素性を暴露しようと思ったが、誰も幸せにならないなと思って辞めた。彼らはそういう関係でいいのだ。それが自分の手柄だと名乗り出る事のなんと間抜けな事か。

別に褒められたくてやった事ではないのだ。みんなが喜んでくれたらそれでいいではないか。喜んでいる顔をわざわざ崩す必要はどこにもない。

周りが笑うなら、僕も笑える。

統合失調症の独語:口はさらなる災いを呼ぶ

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清書

何かがあった時に不安を口に出すと、それが人に伝染し、さらなる不幸を呼んでしまう。物事はなるようにしかならない。自分でわざわざ悪化させることはない。口に出すのではなく紙に落として、冷静に問題と向き合う方が好転する。

前にも似たような悩みのメモがあった。誰かに相談したりすると、自分をどんどん可愛そうなシンデレラだと落として行ってしまうというもの。

言葉は言霊。口に出した時点で何かしらの影響力を持ち、何かを動かす。それがマイナスな事であれば、マイナスな作用を引き連れてくる。不安になった時に不安だなんだと騒ぎ立てると、それが周りに伝染し、状況をさらに悪化させる事がある。

もちろん、そんな影響力を物ともせず、ずっしりと構えている人もいるのだが、全ての人がそうではない。そんな人に巡り会える事は稀なのだ。そしてそんな人もタイミングや体調によっては負の影響を受けてしまうかもしれない。

まずは、人に不安を披露せず、自分の目の前に叩き出そう。そしてそれを冷静に分析してみよう。人に話すのであれば、不安ではなく、その分析結果が客観的になっているかどうかの相談だ。

どうしようどうしようという答えはすでに出ている。どんな事もどんな状況もどんな環境も、なるようにしかならない。そしてなるようになってきたから今の自分が存在出来ている。

どんな悩みも不安も問題も乗り越えられる。その経験を活かして、今回の悩みも出来る限り好転させよう。

統合失調症の独語:趣味をぶっちぎる!

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清書

趣味とは人の心を動かせて初めて、意義を持ち始める。中途半端な深さでは自己満足で終わってしまう。やるなら極めろ。影響力を持つ趣味のなんと両得なことか!自分が楽しい事が周りも楽しくさせる。とことんだ。とことんぶっちぎれ!

やるならとことん。趣味は人に何を言われようが好きでたまらないようなものだと思うが、それをひたすら極めて行くと、趣味に没頭している姿を見て、周りも興味を持ち始める。

中途半端が一番いけない。ちょっとかじっただけの趣味は周りに何を言われても反論が出来ない。趣味なんかにお金を使ってと言われても仕方がない。

しかし、極める所まで行けば立派だと言われるようになる。人にひかれてしまいそうな趣味でも突き抜けてしまえば眺めたくなってくる。

そこまで極められるような趣味に出会える事はありがたい事。没頭出来る趣味を見つけよう。そしてそれがどんなものでも行くならとことん突き詰めよう。ぶっちぎりのウルトラパワーだ!

統合失調症の独語:受け止める

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清書

何を言われても動じない強い心を持て。何を言われても言い返さない力強い心を。言われた事を受け止められる柔軟な心こそが自分をもっともっと上へ成長させる。自分が聞く耳を持たなければ、相手も聞いてはくれない。わかって欲しかったら、まずはわかってあげなきゃ!

この歳になると、どんどん自分が頑固になっていくのを感じる。人間はある程度の年齢になると、「自分たちの世代が正しい」と新しいものを受け入れなくなるらしい。

最近の若者は…なんて言葉を言い出してしまう。しかし、自分たちも若者の時は最近の若者は…なんて言われてきた。結局は繰り返しなのだ。

それと同じで、自分の人生の生き方が正しいのだと主張するために、何か言われたりするとすぐに言い返してしまう。自分の中にないものを否定してしまう。それでは成長が止まる。

いつまでも柔軟に。言われた事は客観的に見てくれた事だと受け止めよう。自分を客観的に見ることはなかなか難しいのだから、それをしてくれているのだ。主観的に客観的に、両方の視点で自分を捉えよう。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

引用:『方丈記』鴨長明

常に物事は変動する。自分も一緒だ。変わっていく。川の流れが止まった時に水は淀み始める。人に意見を取り入れなければ自分も淀む。受け入れよう。そうすれば川は再び流れ始める。その水は相手にも届くようになる。

統合失調症の独語:ターニングポイント

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清書

今日が人生のターニングポイントになる。そうやって生きていこう。毎日がターニングポイントなのではなく、今日。今日なのだ。今日から事態は良くなっていく。踏ん張りどころは今だぞ。今日を乗り越えろ。今を。今を!

これが頭に浮かんで来た時は、なぜか心が高揚した。これだ!と思った。とっさにホワイトボードに書きなぐった。

時間が経ってから読んでみると、なんであんなに盛り上がっていたんだろうと思った。しかし、とりあえずやってみるか!と今日一日だけ頑張ってみる。するとどうだ。本当にその日一日は充実した日だった。

アトムズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)のファンだった村上春樹が小説家になろうと決めたのは、ヤクルトと広島の試合を外野席の芝生に寝そべって観戦していた時だったと友人から聞いた(後に調べてみると詳しくは先頭打者のデイブ・ヒルトンが左中間に二塁打を打った瞬間のことだそうだ)。

もしかしたら本当にあの日がターニングポイントになるのかもしれない。人生が変わり始めたその瞬間というのは案外ドラマチックではなく、なんでもない日常の、ふとした瞬間なのだ。

統合失調症の独語:ちょっとだけ

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清書

「ちょっとだけ」この言葉が持つ魔力には気をつけろ。ゼロをイチにするのが非常に難しいように、イチをゼロに戻すのも想像以上に難しい。「ちょっとだけなら大丈夫」という時のちょっとは最終的にゼロからだいぶ遠く離れたところに行ってしまう。それを理解してから判断しろ。軽い気持ちが取り返しのつかない事になりかねない。決壊したダムの水はとめどなく流れるのだ。

日々の生活には到るところに誘惑が潜んでいる。

そして大抵の場合はその誘惑に負けてしまう。その時の言い訳は大体が「ちょっとだけなら大丈夫だろう」というものだ。しかし、そのちょっとはどうしてもちょっとにならない。抜け出せなくなるのである。

人間の意志が弱いのではない。「ちょっとだけ」という言葉の魔力に気がついていないのだ。判断する時は想像している何十倍の代償を計算に入れて考えなければならない。

それでも取り戻せると考えられるのであれば、それは実行してもいい。しかし、もしそれが難しいと思うのであればちょっとだけなら大丈夫かな?と考えた時に身をひいておくべきだ。

このステップを踏むかどうかは小さな事に見えるが本当に大切だ。ダイエットに失敗する時も借金も、アル中も、みんな最初はちょっとだけなら大丈夫だと信じて疑わない。でも結果はどうだ。

精神的に弱い僕ならなおさらだろう。そんな時はでっかいダムにコルクが刺さった姿を想像しろ。コルクは非常に小さく見える。しかし、それを抜いてしまったら、元の穴に戻すのは非常に難しい。本当にそんなコルクを抜きたいか?

統合失調症の独語:月が笑う

統合失調症-薬-その5_独り言-12

清書

月を見て思った。僕は何が悪かったのか。運か?タイミングか?そうか。僕は性格が悪かったのだ。ここぞとばかりに正論を振りかざし、自分は間違っていないと突っぱねる。結果はどうだ。誰も反論してこなかったが、何も残らなかった。自分が悪くなくたって、正しくたって、人を攻撃したらオシマイだ。歳をとってやっとわかった。正義が必ず正解というわけではないのだ。月がこっちを向いて不気味に笑っている。違うのか?

夜中に散歩をしていたら、突然月から目が離せなくなった。下弦の月だった。

月がじっとこちらを見ている気がした。そしてなぜか突然わかった。僕は性格が悪かったのだ。今までの失敗すべては運でもなく、タイミングでもなく、ましてや環境や状況のせいでもない。性格が悪いせいで引き起こった事。

人は僕に優しいねと言う。違う。それは作り出した優しさだ。計算の上での優しさだ。利益に見合わない状況になれば優しさなんて消える。優しさに漬け込まれていると感じたら、豹変したように怒り狂う。

だから、みな僕がどうしてしまったのかわからないのだ。対応に困るのだ。しかし僕としては、当然のことだと思ってしまっている。ダメだ。作った優しさはなんにもならない。

正義がなんだ。正しさがなんだ。自分がただそう思い込んでいるだけだろう。性格がネジ曲がっているんだ。

月に見透かされている気がした。お前は性格が悪いなと笑われている気がした。

…このメモを読み直して公開していいか迷ったけど、書いた順番に色を変えてしまっているから、突然その順序が変わったら気持ちが悪いし、取り繕っても意味がないと思ったのでそのまま出すことにしよう。月は怖い。

統合失調症の独語:傲慢と謙虚

統合失調症-薬-その5_独り言-13

清書

「何でも出来る!」は傲慢か?「出来たらいいな」は謙虚さか?「出来ないかも…」と浮かんでしまった時の焦燥感はどうだ。同じ努力をするにしても、必死なのはどっちだ。「傲慢」なんて言葉は簡単に諦められるやつの遠吠えさ。近くで「自分は何でも出来る!」と堂々と吠えてやれ!

僕は俗にいうビッグマウスだ。大口を叩いてしまう。

言わなければいいのにと言われる事も多々ある。口だけだと嫌われる事もあるだろう。

しかし、そうしなければ行動が出来ないのだ。自分に責任を課す事で自分にプレッシャーをかけなければ、ついつい堕落してしまう。

自分は何でも出来る。出来て当然だと思い込んで行動を起こすと、ある時に壁にぶち当たる。出来て当然だと思っているのに、出来ないのだ。そりゃそうだ。口から始まった何の根拠もない自信なのだから。

しかし、大口をたたいてしまっているが故に後に引けない。このまま諦めたら周りに笑われてしまう。だから必死になる。必死に出来るように努力する。

するとふとした時に出来るようになる。その度に安堵に見舞われる。プレッシャーがかかっていたのだなと感じ、もう次からは大口を叩かない事にしようと思うのだが、やはり次も大口を叩いてしまう。

もうそれでいいのだ。それが僕のやり方なのだ。傲慢なやつだと思われるぐらいでちょうどいい。そうじゃなければ、僕は何にもなれない。

統合失調症の独語:大学入試

統合失調症-薬-その5_独り言-14

清書

大学入試のミスが相次ぐニュースにブーブー言っている人を見た。きっとこれが普段の僕なのだ。ギリギリのラインにいるから1点や2点のミスにも必死に抗議する。相手のミスで自分の人生が左右される事になってしまう。そんな人生なら所詮そこまでの能力しかないのだ。ぶっちぎりの点数を取っていたなら些細なミスなんて気にしないし、人に左右されない。人にイラついて噛み付いている時に自分の立ち位置を知れ!そんなことやっている場合じゃないぞ!

毎年どこかで大学入試のミスをしてしまう学校がある。5分早く始めてしまったりだとか、採点ミスがあっただとか。

僕も大学に浪人して入った組なので、試験の時のプレッシャーは覚えている。人生を1年まるまる大学合格の為に費やして、それがダメだったらどうしようと考えていた。自宅浪人で自分の立ち位置がわからなすぎて、不安に襲われ新年になってから試験までの日は何も手につかなかった。

だからまぁ、相手のミスで受かっていたものが落ちたと知ったならきっと憤慨している所だろう。

…が、大人になって他人事になってから実際にブーブー言っている人を見た時に考えてしまった。誰にもミスはあるだろうにと。そんなにプンプンしていては日々の生活がストレスだらけになってしまうだろうにと。許してあげられたらストレスも少しは減るだろうにと。

そしてそれが自分の姿に思えてきた。そうか。これが普段の生活の僕なのだ。

人のミスを許せない。それは自分がそのギリギリのラインを漂っているからだ。圧倒的な実力を持っていたなら、圧倒的な能力を持っていたなら、人のミスも許せるようになるだろう。生活から少しはストレスが減るだろう。

失敗は誰にもある。誰もが失敗しようとして失敗をしているわけではない。プレッシャーがかかる大事な場面だからこそ失敗をしてしまうのだ。それはその人が真剣にそこに当たっているからだ。

もちろん、細心の注意は払って欲しいと思う。しかし、きっとそれでも失敗は世の中からなくならない。そんな何ともしようがない失敗で自分の人生が左右されるのが嫌だったなら、人に噛み付いている時間を実力を伸ばすことに使うべきだ。

誰かに噛み付いてしまっていたら自分を見直そう。人を許せるようになるために実力をつけよう。

統合失調症の独語:母子家庭

統合失調症-薬-その5_独り言-15

清書

「母子家庭だから」という言葉は心が痛くなる。それのせいで不幸になっているかのように聞こえてしまう。「母子家庭だけど」という言葉は良かった。みんなレッテル貼ってくるけど自分は幸せってメッセージに聞こえた。人それぞれの事情はある。でも生まれてこれた。2倍頑張って育ててくれている母親がいる。「母子家庭」という言葉が母を称える言葉にならないもんかなぁ。母は偉大だ。子供に会ったら伝えてあげよう。かーちゃんの愛を一人占め出来ると。

同級生達がみな子供を生んで、自分の家庭がある人が周りに多くなった。僕は今でも人の子供を見ると心が苦しくなる。もし自分の子供が生きていたらこんな歳なんだなぁと思ってしまう。

だから今でも子供は苦手だ。

しかし、どうやら僕は子供に好かれやすいらしい。子供っぽい性格や、ヒーロー好きが理由なのだろうか。どこの家庭に行っても、どんな子供でもなぜか僕にすり寄ってきてくれるのである。そして色々と話をする。

ただ、僕が思っているよりも、子供というのは頭がいい。5歳やそこらだとは思えないような発言をする。僕が行く家庭というのは、経済的な問題を抱えている事が多く、その相談に乗りに行く。

すると子供が「貧乏だ貧乏だ。お金くれ!野口さんはいくらお金持っているの?」なんて安達祐実もビックリな発言をするのだ。5歳児が。家なき子でさえ小学校6年生だったというのに。

そんな子が言った。「ウチは母子家庭だからお金がない」と。

僕はハッとした。5歳なのにもうすでに母子家庭という言葉を知っている。幼稚園でいじめられたりするのだろうか。心が痛くなった。僕は何も言えなかった。ハハハと笑ってごまかした。

また別の家庭に相談に乗りに行った時の事だ。父親が事故で早くして亡くなってしまった家庭だった。やはりそこでも僕は好かれて子供と話をさせてもらった。

その子が言った。「知ってるけど。母子家庭だけど。うちは母子家庭だけど」とモジモジしてた。

次に続く言葉はなかった。母子家庭という言葉を知って使いたかったのか、だけどという言葉が口癖なのか、ママが大好きと続けたかったけど恥ずかしかったのか、それはよくわからないが、不幸感はなかった。

僕はちょこちょこ人にアドバイスをしたくなる性格だが、家庭の子育てについては、その家庭のやり方がある。だから子供と話す時は軽々しく何かを教えたりはしないようにしている。やはり子供にとって大人の言葉の影響力がデカい。

でもどうだろう。母親の偉大さは教えてあげてもいいのではないだろうか。いじめられたりした時になんて言い返せばいいかを教えてあげても…。うーむ。

もっともっと世の中が母子家庭という言葉に対して理解を深めたらいい。偏見がなくなればいい。片親だという理由でいじめられたりする子供がなくなって欲しい。

生まれてこれたのは奇跡だ。奇跡を起こした母親だ。子も親も幸せになってもらいたい。そのために僕が出来る事は経済的な問題を解決する術を知ってもらう事だ。なんかお金の話をするのは嫌だけど、もう少し頑張ってみよう。

まとめ

BA-90

今回はなんだかアクが強かった気がします。すべてのメモにおいて自分だけが読むものとして書いてあるので、こうして公開するのもちょっぴり恥ずかしい気はするのですが、月の話は格別に恥ずかしさがあります。

月にはうさぎがいる。日本人はうさぎで、ヨーロッパでは薪を背負ったおっちゃんだそうです。そして僕には左を向いた顔に見えるのです。JISマークのような横ではなく、BA-90という名前の顔のマークのやつ。

↑あれの黄色いのが左を向いてこちらを見ている

そんな事をここで公開して良かったのだろうか。そしてそんな月に見つめられて思った事を書いてよかったのだろうか。頭のおかしいやつだと思われないだろうか…。いや、頭はちょっとおかしいのだけれど。まぁ、出してしまったものは仕方がない。

今回でとりあえず、一通りメモのストックは終わりました。いや、実際はまだメモは残っているのですが、15枚まとめて出すという決まりを自分で作ってしまったので。

もし、次回があれば、それはきっと、ここに公開するかもしれないと意識して書いたものになってしまうので、ちょっぴり形が変わってしまうかもしれません。

人に見られるかもしれないものと自分だけが読むものってやっぱり形が変わる気がします。

ここのメモのコンセプトはあくまでも自分に言い聞かせるためのもので、誰かに訴えたいことではありません。あなたに読んでもらってこうしろ!というものではないのです

そもそもメモを書いた時はこの記事も存在していませんでしたし、そういうつもりで書いたものではないので、その体を守れた気がしますが、次回書くメモは大丈夫だろうか。やはり人にこうして欲しいと思うものを書いてしまわないだろうか。

書くことについての怖さを拭う為に過去に書いたものの力を借りてきましたが、やはり知らないうちに誰かを傷つける事を恐れてしまう自分はまだまだ治らない。

とりあつかう問題が統合失調症と、非常にナイーブなものだと思うので、こうして記事にする事もちょっぴりビビっていますが、でもやっぱり書くことは楽しい気がします。

メモに対して説明をつけるのは、過去のものをそのまま出しても構わなかったのですが、現在の自分が書くものを混ぜて出したかったからだと思います。

あぁ。なんだかんだで久しぶりにこんなに書いた気がするな。最後まで読んでくださってありがとうございました。僕のブログは長くなってしまうもので、離脱率が半端ありません。

それでもこうして最後まで読んでくれた。大切な時間を使って読んでくれた。それだけで僕に勇気をくださいます。本当にありがとう。

統合失調症の病気で苦しむ事もあるでしょう。幻聴で悩まされる事もあるでしょう。僕も幻聴で苦しむ者の一人です。それでも、ちょっと前の自分より、今の自分のほうが好きだなぁと感じられるようになりました

紆余曲折はありましたが、なんとなくですが、長いトンネルの先に光が見えてきた気がします。あ。四国での旅で出逢った人に抜けないトンネルはないと言われました。今、やっとそれが実感しかけている気がします。

気持ちの浮き沈みもなくなりはしませんが、徐々に底上げされていっている気もします。すべてが気のせいじゃなければいいのですが。物事はなるようにしかならない。と、過去の自分がメモっています。

少しでもあなたの人生が生きやすいものでありますように。本当にここを訪れてくれてありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。それまでに僕は地球を回してきます。

ではでは。

強い雨の降る夜に
野口明人

統合失調症の独語シリーズ

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統合失調症-薬-その5_独り言
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