エッセイの書き方とは何ぞのもんや?とふと考えたのです。有名人や漫画家さんのエッセイが本屋さんに平積みされている場面をみて、こういうの書ける人は特別なんだろうな〜と思っていました。
たとえば、僕が旅ブログと称して、チャリや四国遍路に行った記録を綴ったとします。僕の文章は人によっては、読みやすいと感じてくれる人もいるのかもしれませんが、専門的な人から言わせれば、あれは日記でしかないのです。
日常を綴ったものがエッセイであるはずなのに、僕の文章はどうしても日記の域を出ることがない。
そこで今回は、過去に出会った天才のエッセイを紹介したいと思います。それはおそらく、世にあまり出回っていないエッセイだと思います。
しかし、僕は若い時にそれを読んで多大なる影響を受けたのです。僕の文章の書き方はきっと、その人のエッセイのマネごとから始めたものなのかもしれません。
なのに、僕が書くものは日記で、その人が書くものはエッセイなのです。
今回は、それを紹介する事で、あなたにもエッセイの書き方を学んでいただければ嬉しいなぁという記事です。
ではまずは、そのエッセイを見ていきましょう…
- 1 エッセイの書き方をブログから学ぶ1:LOVE IS ALL. ALL IS LOVE.
- 2 エッセイの書き方をブログから学ぶ2:早く人間になりた…
- 3 エッセイの書き方をブログから学ぶ3:東京の中心で「タワー!」と叫ぶ
- 4 エッセイの書き方をブログから学ぶ4:お茶でものんでゆっくりしなよ
- 5 エッセイの書き方をブログから学ぶ5:happiness is always decided by one’s own heart
- 6 エッセイの書き方をブログから学ぶ6:もし世界が100人の村だったら
- 7 エッセイの書き方をブログから学ぶ7:私の名前はおバカさん
- 8 エッセイの書き方をブログから学ぶ8:そういうふうにできている
- 9 エッセイの書き方をブログから学ぶ9:恋愛依存症
- 10 エッセイの書き方をブログから学ぶ10:誕生日
- 11 エッセイの書き方をブログから学ぶのまとめ
- 12 エッセイのおまけ:この作者は誰?
エッセイの書き方をブログから学ぶ1:LOVE IS ALL. ALL IS LOVE.
結構、かたよりがちな食生活を送る私。
ハマったものにとことんこだわり、同じものばかりを毎日3食なんていうのはざらにある話です。
一時期は、北海道に住む親せきの家に行ったときに、
「北海道の人はトマトに砂糖かけて食べるのよ。あなたもいかが。」
と、言われ食べてみた“砂糖がけトマト”。
これが意外とおいしいのです。
家に帰ってから、スーパーで早速トマトをまとめ買い。来る日も、来る日もトマトだけを食べていたことがありました。
ただ、同じもの食べ続けて一週間もすると
あれ。私なにやってんのかしらん。
と我に返る。
次の日からは、まるで昨日までの出来事がなかったかのように違うものをむしゃむしゃと食べているのです。
そんな私が最近ハマっているのが、牛丼。
朝、起きると牛丼。昼飯も牛丼。夜飯はさすがに・・・
と、思いきやまた牛丼。
まあね、一週間もすればまたいつものように我に返るのであろうと高をくくっておったのです。
ところがですよ。
聞いて驚くなかれ、もうかれこれ2、3カ月続いているのです。
・・あっ・・・
こ、んなの・・・はじめてっっ・・・。
です。まさに。
あれですよ。松屋さんとか、吉野家さんとか、すき屋さんとか、行かせていただいて。
「すいませーん。牛丼並みで」
と。
一日3回。
やってるんです。
私だって女です。
あ、そうです、私は女なのです。
と、いうことで。
おじさんや若い男の人たちに囲まれてカウンターに座ってもくもくと牛丼をいただく。
少々恥ずかしさがあるのです。
しかしまあ、牛丼を一口食べたときの幸福感と、男性に囲まれながら女一人で牛丼屋に向かうという恥ずかしさ。
一体私はどちらをとるのかというと、後者。
それはもう圧倒的に後者なのです。
もはや、牛丼中毒者です。
ちなみに、大手牛丼屋さん三店にランキングをつけるのならば、私は松屋さんが圧倒的にいいかなと思っています。
牛丼の食券を買うときのあの高揚感がたまらん。小銭を入れるあの瞬間、私の手の震えようったらもう。
言いすぎですけど。これは言いすぎですけどー
はい、ごめんなさい。
でもね、「最近ずっと牛丼でー」とかをね、楽しそうに私が知り合い、友人にお話しするとみなさん口をそろえて言うのです。
「・・え?大丈夫?」
牛丼3食生活を送る私に対して、大丈夫?だなんてそんな愚問を放り投げてくるなんて。
実にバカバカしいのです。
私はね。
一日三回、牛丼と向き合う時間をつくっているのだよ。
会いたくてたまらないのです。
一緒になれたとき、他のなにかでは代えることのできない幸福感が体を包む。
2、3カ月経った今でも私は彼を、はじめて愛しあったあの日のときのまま、あの時と同じ気持ちで、愛し続けることが出来ているわけなのです。
私は、「大丈夫?」だなんてくだらない質問をぶつけてきた人たち全員にこう言いたい。
お前ら、本物の愛に触れたことがないのかい?
え、え?まじ?
まじでないの?
まじかー・・それ結構やばいぜ?
と。
こいつでいいや。一応好きだし。
そんな気持ちで毎日すごしていないかい?
本当の愛に触れたことのない周囲の人間がかわいそうでならない。
みなさんもぜひ、一生限りの人生だ。
本物の愛。
ってやつに触れていただきたい。
エッセイの書き方をブログから学ぶ2:早く人間になりた…
小学校3年生のときに私が書いた作文の題名です。
お前、一体何様のつもりだったんだと思うわけなんだが。
みんなが私を求めてきて、それに答えることがもう疲れてしまい、私はいまどうしても笑いの道から足を洗いたいんだと。
そういった内容となっております。
小学校3年生といえば、8歳くらい?なんて、つまらない生き方をしているんだ私は。と思いましたね。この作文を久々に見たとき。
若干8歳の女の子が。疲れた、なんて一言を漏らすなんて。
いや、そもそも人に何かを与えることを、与えてあげていると思ってしまっているとがもう・・・あきれてものも言えないよ。ばあちゃん。
しかしでも残念なことに、ですよ?人に何かを与えているだけでは、やはり疲れるのです。
そのことに気づいてしまったのですよ、若干8歳にして。立派じゃあないか。
give and take.
これねー大事ね、やっぱねー。
人に何かをしてあげる。
私の作文の話で言うならば、
「私は人を笑わせている」
これね、最初はいいの。なんなら、楽しいの。自分の喜びだったりもするんだけど、人は欲張りなもんです。
ほーら、ぼくったらこんなに君に色々してあげているんだから、それ相応の代価を支払っておくれよう!おい!おいこら!ねえ、ねえってば!と考えるようになっちゃうのだ。くしくし。
数年前、人に与えることを、人に与えてあげているとひどく勘違いしている時代がありましたね。
え?じゃ、あれなの?いまは、違うの?とか言われそうなニュアンスでいってしまったけれども。
相変わらず、give したらtake だろ。と思っちゃうboku.
どうにかこうにか、この考え方を打破して「愛されるよりも愛したいまじで」な気持ちをもってして利益なんか求めず生きてゆきたいものです。
あー・・こんなこと書くつもりじゃなかったのに。
でもこんな小さなことに気づいてね、駄目なことだなあと考えることの出来る立派な脳みそをお持ちでいらっしゃる私はさ、
もうあれだ。
神様だ。
ほら、神様なんだからなんかよこしなさいよ。
神様、普通ブログとか書かないから。
神様のブログ見たでしょ?君。
そしたらもうなんか頂戴よ。ね。そうやって人は歴史を築いてきたんだから。ほれほれ。
エッセイの書き方をブログから学ぶ3:東京の中心で「タワー!」と叫ぶ
夜にクモを見ると悪いことが起きる。
カラスが鳴いたら、人は死ぬ。
黒い猫を見たらなんたら・・。等々。
日本には動物にまつわるジンクスが結構あったり、なかったり。
さて、ということで。
東京タワー、しってますか。
あいつ、夜はキラキラとかがやいているのです。きれいです。
あれが、24時をまわると消灯するのです。真っ暗です。
数年前お付き合いしていた彼と、私の友達カップルの4人でお台場に行って遠くで光る東京タワーを見るなんてのをしたことがあったのです。
まさにちょうど皆で東京タワーを拝んでいるときに、私の彼がこんなことを言った。
「24時をまわって東京タワーが消灯する瞬間を目撃できたカップルは離れることがなくて、それが出来なかったカップルはすぐに破局してしまうらしいよー」
ふむ。
これは面白い、と。
4人で消灯のそのときを待っていたら、私と彼は話に夢中になり消灯のその瞬間を見なかったんだねー
彼「あーあ、みれなかったねー俺たち別れるのかなー」
私「そうかもねー」
彼「そんなこと言わないでよー」
私、彼「あははー☆」
・・・
その一週間後に別れましたね。wwwwwwwww
いや、まあね。こんなこと書いておいてあれですけど。東京タワーのせいではないってことくらい重々承知です。
ただ、消灯を目撃していた友達カップルはいまも仲良くお付き合いしているのです。
こういうことがあるから、結構ジンクスというのは面白いのです。信じてはいないけど。でもって、信じていないとか言っておきながら少し気にしちゃったりとかもしてみる私です。
なんで人はジンクスを信じてしまうのか…
あー不思議だなあ、なんて思いませんか?
あの、あれだ。有名なのだと、
初デートでディズニーランドに行ったカップルは別れる。
とか。
ま、これに関しては私、そもそもジンクス云々言うより、初デートはディズニーランド行きたいおっ☆なんてそんなこと言ってうかれてるその脳みそをどうにかするべきだろっおーい!
って思うけど。
いやでも東京タワーなんか見なくたって、別れるカップルは別れるし、長くいるカップルは長く一緒にいるのです。
…でも、別れたとき東京タワーのせいにしてみたりした自分がいたような気もする。
普段、合理的に物事を考える私が、あんなたかが東京タワーごときで。あの腐れ電波塔なんかに振り回されるなんて・・!
(※東京タワーを批難しているわけではありませんので、あしからず。)
いや、さっきも言ったけど。分かってます。分かってるんです・・。
たまたま、東京タワーさんを目撃した日と私たちカップルが別れるタイミングが近かっただけのこと。
しかし、まあこういうことが実際に起きてしまうと、
それが本当に起こりやすいかどうかなんていう本当の確率は一体どれくらいなのかしらん
なんたることは考えもせず、
あ、あのとき東京タワーのあれがあったからかー、そっかそっかー
なんて思ってね。
小さな奇跡が、くだらないジンクスになり、人から人へと受け継がれると。
そして僕もまたジンクスを信じて多少なり振り回されてしまっているようなくだらない人間になっちゃっていると。
あ、そうだ。今日私の母が言ってました。
夜中に口笛吹いたらヘビ出るらしいぜ。と。
すごいだろ。この話。
気をつけなきゃね。へび、怖いから。
エッセイの書き方をブログから学ぶ4:お茶でものんでゆっくりしなよ
先日、とある知り合いに言われた台詞です。
「・・・え?な、なにいきなり。関係ないでしょ、うるさいなー」
と答えることしか出来なかった。
大打撃でした。生きがいってなに?と、問われ、「これでーす、ジャーン」とすんなり答えられなかった私。
あれ、、周りの人ってそんなに人生充実してんのか?と。疑問に思ったわけです。
大学1年生の頃、ろくに学校も行かずバイトばかりに明け暮れておりました。
そのときのバイトの店長さんに
「そんなにお金稼いでやりたいことでもあるの?」
と、問われ、
「いやーなんとなくですかねーお金ほしいし」
なんて笑いながら答えていた私なのですが。
あれから数年が経ち、現在。
現状、
…変わらず。
ただ、「お前いま充実してんの?」系の質問が出たときに笑えなくなってきたのが唯一成長できた部分じゃなかろうかと。そう思ってまーす。
まあね、私は努力する時間があるなら、鼻くそほじってたほうがいいみたいな感じの人間ですからね。ぽいぽーい。
…あ、一応言うけどそんなにほじらないからね。そんな四六時中ほじっていたら鼻の穴広がっちゃうよ。鼻ほじり過ぎ注意ですよ、みなさん。
あ、そんな鼻くそほじってる時間の方が大事系女子の私なのでね。夢を追いかけたり、時間に追われたりしてるような人がとても素敵に魅力的に見えるのです。
いや、きっと誰もがそういう人たちのほうを魅力的に思うのであるとは思われますが。
夢見がちだ、とか現実が見えていないとか色々悪くいう人も時々でてくると思うのだけど。でも、結局そんな悪口叩いてるけどうらやましいのです。
自分がせかせか汗水たらして、必死に働いてお金稼いでるときに、
「俺、夢追ってるんす」
とか言って自由そうに暮らしてる方を見て、イラッとしたり馬鹿にしたりしてしまう。
「あいつ、あのままで大丈夫なの?なにラクしてんだよ」
とか言っちゃったり思っちゃったりね。
ただもう一言これ付け加えるなら、
「あいつ、あのままで大丈夫なの?なにラクしてんだよ。うらやましいぜこの野郎」
になると思うのです。
人を馬鹿にしたりするのって結局、嫉妬の裏返しなのだと私は考えるよ。
馬鹿にすることで自分の立場を必死に保とうとするなんて、可愛いですね。ふはは。
あー…ところで、自分の話に舞い戻ります。ふわり。
私のいまの立ち位置は悪口を言っている側の人でも、夢追い時間なし人間側でもないのね。
なんの目標もなく、寿命を食いつぶしてます。自分の人生がたったいま終わることになったとしたら、絶対後悔する!!
・・か、もしくは、
「まーいっかー☆たはは☆」
で終わるかもな。
あーあ。自由になるっていうのは、必ずしも嬉しいことじゃないのだねー。自由=幸せではないのだねー。
・・がんばろう。
エッセイの書き方をブログから学ぶ5:happiness is always decided by one’s own heart
漫画ワンピース Dr.くれはの台詞より抜粋。
先日、ライアーゲームの漫画が一時的に連載休止となりました。
「一日平均18時間労働だったのをしばらく一日8時間労働にペースダウンするだけです。1日8時間で週刊の原稿は描けないのです。僕の力不足です。」
と。
ワンピース描いてる作者の方は、週7勤務20時間以上労働らしい。
漫画家の方はすごいな~。
いや、しかし。
漫画家に限らずこんな感じでせっせこせっせこ寝る時間ない、休む暇ないなんて言って働いてる人いるからな~。
飲食店で働く私の友達は、朝8時出勤からの深夜5時とか6時まで。いつだったか、その友達と会ったとき
「昨日まで2、3ヶ月連勤だったよー」
とか言っていた。
いま思えば、学生生活のときも、夜は明け方までバイト。そして朝から学校。休日も朝から深夜まで働いているような方でした。
そんな生活送っていて仕事やめたいとか思わないの?
と聞いたことがあるけど、
「これはこれで充実してるよ。」
と言っていた。
周りから見ると「この人苦労してるなー」と思うけど、当の本人は「自分、苦労してるな」なんて微塵も思ってない。
幸せはいつも自分の心が決める、なんていう相田みつをさんの言葉がありますがまさにそれを思い出した瞬間でありました。
かくいう私はてっとり早くなんでもしたいので、埋蔵金でも探しに行って来ることとします。
エッセイの書き方をブログから学ぶ6:もし世界が100人の村だったら
byふかわりょう
さて、ふかわりょうの話はそうそうに置いておくこととしますよー
いいかーい
いいよーー
ってなわけで、
『もし世界が100人の村だったら』
こんな本が10年ほど前に流行りましたよね。はじめは海外でインターネットのチェーンメールから広まったものだそうですが。
もし世界が100人の村だったら
57人のアジア人。21人のヨーロッパ人。14人の南北アメリカ人。8人のアフリカ人がいます。
52人が女性で48人が男性です。
70人が有色人種で、30人が白人。
70人がキリスト教以外の人たちで、30人がキリスト教。
89人が異性愛者で、11人が同性愛者。
6人が全世界の59% を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。
80人は字が読めません。50人は栄養失調に苦しみ、一人瀕死の状態にあり、一人は今生まれようとしています。
1人は大学の教育を受け、そして1人だけがコンピュータを所持しています。
うんぬん・・と。
どうすか。
この地球には私たちの知らないところで毎日毎日貧しさと戦って必死に生きている方たちがおるのです。
そしてこれを読んでみると、そういった人たちのほうが多いのだなと思うのです。
ただ、だからもっと頑張ろうよとか、手助けしたろとかそんなことが言いたいのではないのです。
きっと私はこういう厳しい現実がこの地球のどこかで起きているということの事実を実際の目で確認することなく、人生を終えることとなるのであろう。
ということで、この事実を頭で想像してみることしかできない。
「うん。私は恵まれている。だからもっと頑張らなくては。」なんて行動にうつすことは簡単じゃないし仮に簡単に出来てしまったとしてもやってはいけないことと考えます。
彼らを可哀想と思うことがそもそもの間違いでありまうす。ちゅーちゅー。
しかしただ一つ、今日私これだけは言いたい。
1人だけが、コンピュータを所持しています。
と書いてあったとこで思い出したんですけど、さっきノートパソコン買ったんす。
だからもし、私がその100人の村の住民だったら、「その1人だけがコンピュータを所持しています。」のその1人に選ばれているはずなのです。
「うはwwwwwwすげーwwwwwwちょ、おま、まじでwwwwwwww」
と、村の人たちに言われていたのです。
そうなのです。
ずっと欲しくてですね。
ここ数日「ああ、欲しい。」と思ってどれがいいかなと調べまくっていて、今日「欲しい」の気持ちが頂点に達したのでインターネットでポチッと。
…ボタン押してみたら「お買い上げありがとうございます。」と画面が切り替わって、メールで請求書が送られてきたのです。
もう私には何がなんだか・・まったく状況が飲み込めないですね。
・・・。
・・・・。
コンピュータを買うことで貧困の苦しみを味わうことがなければ、あなたはここでブログをちまちま書いている人より恵まれています。
落ちなし、金なし。
エッセイの書き方をブログから学ぶ7:私の名前はおバカさん
なんだあの歌い方は・・。と思う人多いと思う。
でも彼女の歌を聴いてごらんさい。歌詞を読んでごらんさい。
愛の伝道師です。
愛について歌わせたら彼女の右に出るものはいないと信じてやまない僕です。
JUNIOR SWEETのアルバム一枚聞いたらもう・・
次行くカラオケで自然とCharaみたいな歌い方しているはずです。
・・え。
いや、バカにしてないっす。自分本気でいいとおもってます。
音楽というのは凄いものですよNE
だってNE
思い出の曲ってありませんか。
あの曲聴くと、思い出すわ~あの頃~なんて思う曲ありませんか
音楽を聞くということは、写真にとったり日記に書いたりして思い出をとっておくようなものに似ている気がするのです
そう思うと、音楽を作っている人(と、言うのか?)は凄いと思うのです。
人を泣かせたり、元気にさせたり出来るのです。
CD とかで気に入った曲をひたすら聴くのも良いが、しかし、人が歌っているところを実際に見ながら聴くのはさらに良いです。
これ私だけですかね。
こう、ライブだとたくさんの人の前で歌ったり、演奏してる人が舞台にいるじゃないですか。
曲の始まりとか、盛り上がり部分で観客が「きゃ~」だの「おお~」みたいな歓声が沸きあがったときに、舞台に立つ方たちが「してやったり」みたいな感じで嬉しそうにニヤッと笑う顔が好きなのです。
いろんな形で、人を喜ばせたり、感動してもらえたり出来ることってあるとおもうけど。
音楽に携わるひとたちほど、観客との距離が密で、影響力を与えることができる存在は他にいないんじゃないかしら?と思ったりしたんですけど、、、なにか間違ってますか?w
ということで、私は歌ってる人が好きだし、音楽が好きなのです。
NO,iPod.
NO,life.
apple最高。
エッセイの書き方をブログから学ぶ8:そういうふうにできている
さくらももこさんの
『そういうふうにできている』
面白いです。
私のリスペクトしておる木村カエラ先生が妊娠してるころブログに書いていたのです。
『そういうふうにできているおもろーだお』
と。(脚色してまーす)
ということで、好きな人がしてることはとりあえずやってみる。で有名な私なのでそれを読んでみたわけですよ。
妊娠したらもう一回読んでみようかしらんと思いました。
さくらももこのちびまるこちゃん調の口調でとんとこ進んでいく感じがとても読みやすい。
ああああああ、妊娠てこんな感じなんだねーと。
私は幼稚園のころ、夜な夜なお母さんに
「ねえ、赤ちゃん産むのっておなかいたいの?」
と泣いていたことがあるのです。
いや、お前何年先のこと考えてんねん。と。
心構え早すぎるよ。と。
いやー、それにしてもお母さんになってみたいなあ。と思う一冊なのです。
きっと男の人が読んでも「ほうほう」と思ってもらえるんでないかしら。
妊娠というのは、だって女の人しかできないんだよ
男の人でも良いはずなのです。不思議だすなー神秘だすなー。
でもなあああああああああああああああああ
小さいときに思っていた「ねえ、赤ちゃん産むのっておなか痛いの」は今も変わらず胸の中にあるなあ。
私の友達にも、何人かお母さんになった方いるのですが。
そのたびに感じますねええ
母すげーと。
ハハスゲー。と。
なんなんですかねええええ。
いいですね。
早速、服の下にボールつめて「妊婦。」ってやってみようと思います。
エッセイの書き方をブログから学ぶ9:恋愛依存症
まーいまもあまりその点は大きな変化はないと思われます。
なによりも恋が大事。
人を好きになるなんて・・ああ、なんて素敵なことなの。
ねえ、お母さん。私を生んでくれてありがとうです。
恋愛するというのは、本当に大切なことなのです。本当の自分を映す鏡です。
ただ、自分を見失ってまでする恋愛は恋愛とは言えないのです。
男と女。
まったく違う生き物ですよね。
どうしたって分かりあえない壁があるのです。
ましてや~男と女だからすれ違いはしょうがない~妥協してみたり多くを求めたりなっちゃうね~♪
と、山崎まさよしさんが歌っている通りです。
なんなんだ。
頭ではわかってて、理解している。なのに、違いに直面するとぶつかりあうのです。
女ってのは、どうしてあんなにまくしたてるように次から次へと話題を変えてマシンガンのように話をしてくるのか。俺は一人の時間だって大切にしたいんだよ。なあ、とりあえず疲れてるから休ませてくれないか?と。
男ってのは、どうして話半分に私の言葉を聞いているのかしら。なんで聞いてくれないのかしら。ほら、案の定私の話聞いていないでしょ?と。
女の人は、一度に2つ以上の違うことを同時に出来る生き物なのだそうです。
一方男の人は同時になにか違うことが出来ない生き物なのだそうです。
もう脳の中を広げてみれば、一目瞭然。使い方がまったく違うのだそうだ(個人差は勿論あります)。
同じ姿かたちをしているのに、不思議だね~
でもさ。こんな脳科学的な見解的な感じ風なのをね、言われたところで我々人間様がね。
いまお付き合いしている彼氏彼女が仮にいたとして、自分にとってそいつの許せない行動が
「あ、大丈夫。こういう脳の作りになってるから、当然だから。仕方ないよな。はいはーい、好きにしなさいな~」
などと許せるのかい?絶対に答えはノーのはずですよ。
ああ、分かりあうのは難しい。それでも、お互いがお互いを求め合うのはなぜなんだと思いますか。
違いを受け入れるのは大変なのです。
時間をかけて育むんすか。愛とかなんとかいうやつを使って?
おほほ、笑わせないでください。
ラブ アンド なんちゃら。
た、だ、し。
ここまで言っておいて、それでも、それでも私は本物を選びたいなあ。
永遠を信じますなあ。
恋愛って・・・素敵やん?
エッセイの書き方をブログから学ぶ10:誕生日
私、twitterをやっているのですが。
フォローしてる友達が、私のいないところで
「そろそろみんなで集まって飲もうよ。」
「そうだね、あとアイツの誕生日も祝おうよ」
と会話していたのです。
最近、友達とはめっきり連絡をとっていない私です。
しかしまあ、こうやって私の誕生日を覚えていていただいて、私の関与していないとこで自分の話をしてくれているのを見るとうれしいですな。
ということで、私は4月になりますと誕生日を迎えるわけでありますが。
18歳を過ぎたあたりからでしょうか。
ありゃ、18歳ってこんな感じなの?と思ったわけです。
小さいころ見ていた18歳の人たちはもっと大人で、しっかりした人たちなのだ、と。勝手にイメージを作っていたなあ。と考えたんです。ふと。ふとね。
とくに20歳を過ぎたときなんて
ええええええええええええええええええええええええええええ
と思いましたね。
こんな私が選挙権握ってしまっているううううううううううう
いやああああああ
と。
きっとあれですね。
おばさんが、「おばさんじゃないでしょ、お姉さんでしょ」と言ってくるのは、この「あれ、思い描いていたのと違うわ」の原理なんでしょうね。
外見は年と共に勝手に成長していくけれども、内面は勝手には成長しないんですよ。
だから、
20になったときに「あれ?もっと大人だと思ってたんだけど。」と。
30になったときに「あれ?20のときと気持ち変わってないんだけど。」と。
40になったとき「なんかしわ増えてきたんすけど。気持ちは現役ですけど。」と。
50になったとき「やたら体力落ちたんすけど。まだまだ俺いける思ってたんすけど。」と。
60になったとき「おれ、赤いちゃんちゃんこ着せられてんすけど。」と。
70になったとき「なんかおれ、死にそうなんすけど。」と。
なっていくわけなんですな~
いや、ね。
外見は年と共に勝手に成長していくけれども、内面は勝手には成長しないんですよ。
って思ったより良いこと言えたなと思ったから、ね。ちょっとがんばろうしただけなんだいっ。
エッセイの書き方をブログから学ぶのまとめ
さて。10編のエッセイを読んでいただきましたが、いかがでしたでしょうか。
なんとなく僕が書く文章と似ている所を発見出来るかもしれませんが、それは僕がこのエッセイストのリズムから影響を受けているのでして、僕のブログの記事の書き方とは、やはり根本的に違う所があります。
それは、テーマを絞って書いているのです。僕の記事がどうしても日記になってしまうのは、ある日の一日を綴ったとして、出来事の経緯をすべて語ってしまうからです。
朝起きて、こんな事があった。お昼は何を食べて、こんな風に時間を過ごした。夕方にはある場所へ行って、こんな人に出会った。今日も一日良い日だった。
これでは、人はそれをエッセイとは呼びません。
日常を綴る事がエッセイだとしても、書き手が見ている視点をそのままの感じで写真のように描写してはいけないのです。
その人の視点で、「イイ!」と感じたものを、読者に読み取ってもらう為に切り取って伝える。これが必要なのです。
そこには書き手の個性というものが現れると思うのですが、目のつけどころとでも言うのでしょうか、ものごとの捉え方が面白く、独特なんですよね。
同じものを見ているのに、この人はここを切り取って語るのかぁ。
そうやって読者にアピール出来る人の事を、ブロガーではなく、エッセイストと呼ぶのです。
今だに僕は、これらのエッセイを時々読み返す事があるのですが、文章をまねてみても、やっぱり僕のは日記になってしまう。多くを語りすぎるせいなのかもしれませんね。
と言うことで、エッセイのブログ記事を読んでもらい、エッセイと日記の書き方の違いを学ぼうという話でした。
今日もここまで読んでいただき本当にありがとうございました!
野口明人
あ、僕の書くものがどんな感じで日記になってしまっているのかを知りたいあなたは、ぜひ旅ブログを読んでみてくださいませ。
エッセイストに僕も早くなりたいなぁ…。
エッセイのおまけ:この作者は誰?
さてさて、今日は10編のエッセイを読んでいただきましたが、この作者は一体誰なんだ?という話。
今回紹介させて頂いたのは、チュー太郎の兄貴というエッセイストです。もしかしたら知っている人も中にはいるかもしれませんね。
僕はこの人が書くブログのファンでして、記事が出る度にメモをとっていたのですよ。
ですが、ある日突然、そのブログが閉鎖。
うわあああああ!!と大変ショックを受けたんですが、先日その人がネット上にまた現れましてね、ここですかさずダイレクトメールを送ったわけです。
と。
気持ち悪いですねー、僕って。ストーカーみたいですねー。あの時は5年ぶりぐらいに見つけたことでテンションあがっておりました。
そしたらチュー太郎の兄貴さんは、
「別にかまへんで。ってか、あんなのに読者いたんかいな」
と、なぜか胡散臭い関西弁で返事をくれました。そういう理由で今回こんな感じで紹介するにいたりました。
チュー太郎の兄貴さんは一体、どんな人なんだろう。
ネット上のキャラって文章からしか受けとれる情報がないので、関西弁を話している事が意外でした。うん。
もしかしたら、僕も、あなたの想像する野口明人とは全く別のキャラなのかもしれないなぁ〜と思いましたとさ。
それではまたどこかでお会いしましょう(´・ω・`)ノシ