交通事故の被害者になるなんて夢にも思わなかった…。車に轢かれたり、はねられたりした人は誰もがこう考えることでしょう。僕もそうでした。まさか自分が人生で2度も交通事故に遭うなんて。
1度目の事故を経験してから、あれだけ注意していたのに、注意など無意味だったように猛スピードで車が歩行者の僕に迫ってきました。しかも母の誕生日に。
僕は車に轢かれた瞬間から「自分が一体何をしたっていうんだ」という思いに囚われました。
腰は痛いし、左手の指は麻痺して触っても感覚がない(この記事を書くのも誤入力が多かった…)。
もう最悪です。しかも、ひき逃げしようとした加害者の人の顔も覚えていないし、名前もつい最近まで知りませんでした。とにかく頭の中がごちゃごちゃで怒りやら悲しさでいっぱいなのです。
でも先日、警察署に呼ばれ、警察官に書類を書いてもらっている時に僕は決断しました。
もう相手を憎むの辞めよう。許せなくても憎んだり恨んだりするのを辞めよう。
と。
もしかしたらあなたは現在怪我を治療中で、加害者の相手の人が契約している保険会社の人と示談に向けて交渉中かもしれません。僕も今現在、その真っ最中です。腹立たしい思いで一杯でしょう…。
でも、もし僕がこれからその時の体験を語ることで少しでもあなたの心の中が軽くなったら良いなと思ったので、これから交通事故の被害者になった時に考えた事を書こうと思います。
考え方は人それぞれなので、全然参考にならないかもしれませんし、こいつマジで何言ってんの!?と僕の事も嫌いになるかもしれません。
その時はごめんなさい。遠慮なくページを閉じてください。
ただ、これを読んでくれるうちの誰か一人でも、相手を憎むことを辞めてそれからの人生観が変わったなら、僕の交通事故も意味があった事なんだと考えられる気がするのです…。
交通事故の被害者になるのはいつも突然の出来事
交通事故の話なのに、なんで肉の写真やねん! と思われるかもしれません。あの日、僕が交通事故の被害者になったのは、母親の誕生日でした。
その1週間前、母と大喧嘩をした僕。
喧嘩の理由は大抵の家族喧嘩がそうのように実に些細な事です。
最近父と母が話し合って新しい車を買い替えたのですが、話し合いと言いつつも僕の父親は頑固で人の意見を全く聞かない人間。母は父が決めた新しい車の車種がどうしても気に入らないらしく、新しい車がやってくる前日までずっと、父親の愚痴を僕に言ってきていたのです。
新しい車を買う。これって幸せな事のはず。それなのに大金を払って嫌な気分になっている母を僕は毎晩励ましていました。励ますという言葉はふさわしくないかもしれませんが、こう考えたら良いんじゃない?とか、新しい車が来て乗ってみたら気にいるかもしれないよ?みたいな話をしていたのです。
しかしそれでも酔っ払っては僕に父の愚痴を絶えず続けて来る母。父がそこにいるのに、なぜか僕に向かって愚痴を言う母。僕は我慢できず、それならキャンセルして自分の気に入る車買えばいいじゃん!とキレてしまいました。
まぁ、すでに発注もしていて、次の日に納車が決まっている車をキャンセルする事なんて出来ませんので、実に理不尽なキレかたをしたもんだと今では思いますが。
そんなこんなで喧嘩の種の新しい車が我が家には来たわけですが、母の誕生日に僕は初めてその車を運転しました。最近の自動ブレーキシステムすげーなーとか思ったものです。ブレーキ踏んでいなくても前に車が近づくとフゴッ!ってブレーキかかるんっすよ。
楽しい事には嫌なことを中和させる力があるもの。僕のイライラは木曽路で美味しいお肉を食べている頃には収まっていました。このお肉、メニューに載っている写真と全然違うでやんの。その事を家族に言うと、みんな笑っていました。
お昼に木曽路に行って帰ってきて、夜は姉が母を誘って居酒屋に行く事になっていました。
父親は障害を持っていて、最近は突然転倒する事もしばしば。誰かが付添で居なければならないのですが、その日は僕が一緒に家にいる事になりました。
僕は母をお店のある駅まで車で送っていき、家に戻りました。父はテレビを見ています。テレビドラマが1時間。あ、これならちょっと歩きに行っても大丈夫かも。僕はそう思いました。
前回の記事で書いた事ですが、最近ちょっと太り気味でしてね、夕方から散歩するようにしているのです。
僕は父にすぐに帰ってくるから歩きに行ってきていいかな?と聞くと、気をつけていってらっしゃいと言ってくれたので、散歩にでかけました。その20分後に僕は車に轢かれる事になるのです。
交通事故の被害者になる瞬間の恐怖
それは今でもはっきり覚えています。18時30分過ぎの事です。夕日も落ちかけ暗くなり始めた頃でした。
なぜ、時間まで覚えているのかと言えば、僕の趣味が散歩中に空の写真を撮る事だからです。
空すげーなー。綺麗だなぁー。なんて思いながら写真を撮っては歩くのって楽しいのです。
そこはなんの変哲もない大きな交差点。僕は歩行者信号が青信号なのを確認して渡り始めました。
その途中、僕の右斜め前から車が右折して来るのが目に入りました。
僕は車が当然スピードを緩めるものだと思って歩みを止めませんでした。車との距離はだいぶ離れていましたし、最近じゃ自動ブレーキシステムもあるしなーなんて、お昼に自分が運転した車を思い浮かべながら歩き続けたのです。
しかし、すぐに僕の考えとは違う現実に当惑せざるを得ませんでした。
車がスピードをぐんぐん上げて僕の方に迫ってくるのです。
え!?と僕は車を避けようとしましたが、足が地面に貼り付いたように動きません。車のライトに当てられた猫は一瞬動けなくなる習性があるらしいのですが、まさにそんな感じでした。
襲ってくるのは圧倒的恐怖感。
10年前に車にはねられた時は、ぶっちゃけ驚きが勝っていたのです。雨の日に山道の急カーブで車に出くわした僕は驚いている間に車に飛ばされました。突如現れた車はブレーキが間にあわずに僕を轢いたわけです。
しかし、今回は違います。僕がそこにいないかのようにアクセルを踏み込んできています。
自分に向かってどんどんスピードが上がってくる車がこんなに怖いものだと知りませんでした。
そして僕は吸い込まれていきました。地面に足が貼り付いた感覚と、自分の体が車に強烈な力で吸い込まれていく感覚。僕の体はボンネットに当たり、ねじれました。
気がつくと目の前に地面がありました。
な、なんで!?うわー最悪だよ!なんでだよ。なんで今日轢かれるんだよ。うわー。
僕はアスファルトの道路にパニックを吐き出していました。びっくりするほど痙攣している下半身と、整理のつかない頭。痛いというより、とにかく“なんで?”という事しか考えられませんでした。
僕を轢いた加害者の人は車のドアをちょこっと開け、大丈夫ですか?みたいな事を言っていた気がします。
しかし、僕の頭は全く回らず、なんで?という問答しか起こりませんでした。
その次の瞬間です。
交通事故の被害者だと嘆いてる場合ではなかった…
加害者の人は車のドアを閉め、何事もなかったかのように走り始めました。
え、え、え!?!?
ちょっと、ちょっと待って!ひき逃げ!?
僕は咄嗟に立ち上がりケータイを取り出し、その車の後姿にフラッシュをたきながら写真を撮りました。
するとその加害者のドライバーは車を停め、車を降りて僕の方に向かってきて、すごい剣幕でこう言ってきました。
「それはないんじゃないですか!?」
僕はその瞬間、殺されるかもしれん。という思いにかられました。腰は抜け落ち、脚に全く力が入りません。そこで初めて腰の痛みに気が付きました。
やばいやばいやばい!こいつマジでヤバい。
僕は持っていた携帯電話で警察に電話をかけました。
鳴っている間もガミガミと言ってくる加害者の声。
早く出てー!と祈り、警察官が電話を出てくれた後も、僕は自分の居場所をうまく説明する事も出来ず、焦りでいっぱいになりました。
どうにか場所を説明し、警察官が来てくれる事になりましたが、加害者の人の怖さはなんともなりません。
僕はとにかく父親に電話をかけ、交通事故にあった事を説明しました。
家の父は障害により声がうまく出せないので、電話でのやり取りは難しい物がありましたが、そんな事は関係なく身内の声を聞いていると徐々に心に落ち着きを取り戻してきました。親の声ってのはすごいもんだ。
電話を切り、我に返ってみると頭の中にあるのはこれからのこと。
僕は2週間後に徳島に行こうと思っていたので深夜バスを予約していました。それは行けるのだろうか。キャンセルすることになるのだろうか。
…ってか、今現在、僕はお金を持ってきていません。キャッシュレスブームで現金を持っていなかったのです。携帯で何でも買えて便利だなーって思ってはいたんですが、考えてみれば病院ではキャッシュレスは通用しないのではなかろうか。
そんな事を考えている間に、警察の人が到着し、僕の様子を見てすぐに救急車を呼んでくれました。
でも、僕の頭にあるのはお金を持っていない事。とにかく自分の怪我よりもお金が払えないことで一杯でした。
救急車に乗せられ、僕はお金を持っていないことを説明しました。
病院では、当日はお金払わなくて大丈夫だよと説明され、安心したのもつかの間、僕の頭には次なる不安が襲ってきました。
どこの病院に連れて行かれるのだろう。そこからどうやって帰ればいいのだろう。
受け入れてくれる病院が見つかったらしく救急車は走り出しました。僕は救急車で寝かされている天井を見つめ、どうやって帰ろうかと、それだけを考えるのでした。
病院の帰り道、交通事故を振り返る
病院では何枚もレントゲン写真を撮られ、移動には寝かされて運ばれる僕。
当直の先生はこう言っていました。
「本当に痛いのは今日の夜と明日からだから」
足の痙攣はしていましたが、思ったより痛みもないのでなーんだ大丈夫じゃないかと思っていた時に、その言葉を聞いたので僕はひええと内心ビビりました。
診察を終え、言われた通りにシャッターの降りた受付の所に行くと、そこで交通事故に関する説明を受けました。
保険会社の人が支払いをしてくれるまで、とりあえず1万円を保証金として支払っていただきます。
…も、持ってないよー。
すると次回のときで大丈夫ですのでお持ちいただくか、保険会社の人にお願いしてみてくださいと言われてその日の病院でのやり取りは終えました。
…ん?
それで僕はどうやって帰れば良いのだろう。っていうか、ここどこだろう。僕、独りぼっちなんだけれども。
そこで僕は救急車で出発間際に警察の人から、診察が終わったらここに電話してくださいと言われて渡されていた名刺を思い出しました。
警察の人につながると、今後のやり取りについてお話をしてくれました。
まず病院で診断書をもらってきてほしいこと、今回は加害者が10対0で悪いので現場検証はしなくて大丈夫なことなどを説明していました。
僕はもののついでに警察の人に送っていってもらえないかどうかを聞いてみたのですが、やっぱりパトカーはタクシーではないので、送っていってもらえないようです。
落とし物を拾った時は、送ってもらいたくなくてもパトカーに乗せられたのに…。
電話を切り、仕方なくケータイのGoogleマップを開き、現在位置を確認しました。
家まで8.2km…。
マジかぁ〜。仕方がない。歩いて帰るか。
そう思った時に再び警察から電話がかかってきました。
「加害者の相手の方に、事故起こしたんだから送っていってあげたら?って言ってみたんですけど、いかがですか?」
え!?!?
いやいやいやいや!ムリムリムリムリ!!
またなんか言われそうで怖いし、なんだったらトラブルに巻き込まれそうなので大丈夫です。と言うと、失礼しましたと電話は切れました。
…あれ。なんでこんなに警察の人と僕の温度が違うんだろう。
ってか、加害者の人の顔と名前も知らないや。
それにしても、なぜ僕はこんな目にあったんだろうか。僕の何が悪かったのだろうか。うーむ。
そんな事を考えながら、僕はGoogleマップを頼りに家の方へ歩き出しました。
腰痛え…。僕はその痛みとともに自分の惨めさに少しだけ泣きました。
そして、車のライトに無意識の体のこわばりを感じました。なんか車、怖い。
泣いてる場合じゃない。車の動きは信じない。車は僕が見えていない。安全に帰らなければ。
怪我の痛みは交通事故の夜やってくる
長い時間をかけて家につくと、ちょうど母親も居酒屋から帰って来たらしく、上機嫌で笑っていました。
僕は車に轢かれたと伝えると、その顔が曇りました。僕は誕生日なのになんか申し訳ないなと思いました。最悪だ。本当になんで今日なんだろう。
父と母に事故の状況を伝え終わった頃には、日付は変わり深夜1時。僕は服を着替え布団に潜り込みました。
…眠れない。体がズキズキ痛み始めました。これが先生が言っていた事か。
僕は布団の中で眠れない夜を過ごし、今頃すやすやと加害者は眠っているのかと思うと、だんだん相手のことが憎らしくなってきました。
考えてみれば交通事故の被害者になって、初めてイライラした感情を持ったのです。
なぜ僕だけがこんな思いをしなければならないのか。なんとか相手のことを地獄に落とせないものだろうか。
僕は布団の中で、今まで人生で感じたこともないほど巨大な憎悪の念を抱きました。
ちょうど20パターンほどの地獄を頭の中で考え出した頃、僕はやっと眠りにつきました。それは朝5時過ぎのことでした。
交通事故にあってからネットで情報を検索する事
次の日になると、痛みは更に増しているように感じました。僕は自分の体を確認し、パソコンの前に座ります。
痛てててて。駄目だ。座っていられない。
怒りの感情が文章を書くバイタリティーだと思っていた僕は、この事故の事をすぐにでも記事にしようかと考えましたが、椅子に座っている姿勢が辛いので諦めました。
そう言えば病院に診断書をもらってこないといけないのか。そう思いましたが、僕は保証金の1万円を持っておらず銀行におろしに行くのも苦痛だったので、保険会社さんからの連絡を待ちました。
電話がかかってくるとわかった状態で電話を待つことの長いこと、長いこと。
ケータイを耳元に置き、ベッドで横になって待っていましたが、ケータイは沈黙を続けます。
僕は仕方なく、ケータイを手に取り、寝ながら交通事故後のやり取りの事をインターネットで調べ始めました。
「保険会社は加害者側の味方」
「保険会社に怒鳴ったりすると恐喝で訴えられる事がある」
「保険会社の電話は全部録音されているからキヲツケロ」
…僕は疑心暗鬼に陥っていました。インターネット、怖い。
自分で記事を書いていながら、文字というのは多大なる影響力を持つものだとその時初めて認識しました。
なのであなたに知っておいてもらいたいこと。精神状態が不安定な時には過度のネット検索は心の毒です。本当に調べたい事がある時以外は、出来る限りインターネットは控えておいた方が良いかもしれません。
体の痛みは情報を悪い方向に捉えさせてしまう事があります。なので気持ちの整理が付き始めるまでは治療に専念した方が良いのかなぁ…と僕は思いました。こんな記事を書いていて今更感はありますが。
全く加害者が謝罪してこない
電話が鳴ったのは結局午後の3時頃でした。保険会社の人は男の人で非常に事務的な喋り方をする人でした。
僕はインターネットで調べた情報があったので、出来る限り憤怒を抑えながら話すように心がけていました。
しかし。
保険会社の人と話しながら、なぜこの人は僕のことをこんなに知っているのだろうか。なぜこの人は相手のことを全く何も話してくれないのだろうか?と疑問に思ってきました。
相手の名前でさえ教えてくれないのです。警察の人に聞いてくださいの一点張り。
相手は今、何をしているのか。
僕はそれが気がかりで仕方がありませんでした。なぜ僕の時間が奪われ、その間に加害者はのうのうと生活しているのか。昨日の夜に布団の中で考えた地獄が再び脳裏に蘇ってきます。
まずはとにかく体を早く治して下さい。
そればかりを告げられ、電話を切りました。
とりあえずもう病院には連絡が行っているようなので、1万円の心配はしなくていいのか。それだけが救いで僕は次の日病院に行くことに決めました。…午後の診察の受付時間は終わっているからね。
僕はその日、痛みにうなされ一日が過ぎていきました。考えることと言えば、顔も覚えていない加害者を憎み倒すことだけ。
僕のモットーはいつ死んでも後悔しないように毎日を完全燃焼すること。人生でこんなに一日を無下にしたなと感じた日はありませんでした。今死んだら絶対に後悔する。僕はそう思いながら布団の中でひたすら目をつむり続けました。
眠れない。
時刻は24時。今日も一日が終わってしまった。そこで僕は疑問に思いました。あれ?普通って事故の次の日に謝罪しに来るもんじゃないの?ってか、電話の一本もよこさないでやんの。
まぁ、来たら来たで、怖いから会いたくないし、電話も出ないつもりだけどね!!
…でも、何のアクションも取ってこないのは癪に障る。
ちくしょう…。
交通事故から3日目に気づいた事
次の日、僕は病院で診断書を書いてもらい、事前にお願いされた通り警察に電話をかけました。僕は診断書に書かれている事を警察の人に告げ、書類を書く必要があるので、落ち着いたら一度警察署へ来るように言われました。
ついこの間、落とし物を拾って警察署に行ったばかりなのに、最近は本当に警察と関わることが多いなぁ。そんな事を考えながら家に戻りました。
そして全身がかゆいことに気が付くのです。
な、なんだこれは!!
首や脚、腕や手の甲がまっかっか。それは蕁麻疹でした。
考えてみれば、昼間に外に出たのは本当に久しぶりでした。基本的に自営業として家でパソコンに向かい、夕方から夜にかけて歩きに行く生活を送っている僕は昼間の太陽の光を浴びる事がほとんどなかったのです。
蕁麻疹が出ている所はすべて陽の光に当たっている所でした。
なんだよこれ。
マジでなんなんだよこれ。
夜に歩けば車に轢かれ、昼に歩けば蕁麻疹。
体は痛いしかゆいしもう何が何だかわからなくなっていました。
さらには、ペットボトルを開けようとして気が付きました。なんか手に力が入んないんだけど…。
僕は元々10年前の交通事故で利き手である右手の握力を半分失っています。それからはすべてを左手に切り替えて来ました。
その左手の指先の感覚がないのです。
もう踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。七転八倒。
座れないし、指も使いにくいって、パソコンを仕事にしている僕にどうしろってんだ。
機敏に動かせるのは頭の中だけ。
その頭には加害者を地獄に落とすこと、それしかありません。
しかし、僕がいくら憎んで恨んで怒り狂っても、いっこうに加害者からの謝罪はありません。
これではいかん。こんな気持ちでは今日も時間を無駄にする。
僕はふと思いつき、数少ない友人Tに交通事故にあった事を伝えてみることにしました。
交通事故を友人Tに告げると…
僕はちょっぴり自虐的に車に轢かれちったーと笑ってもらうつもりで連絡を入れました。
以前、僕は自転車の旅に出る1日前にフットサルの大会で右膝の靭帯を断裂した事があり、自転車の旅が一年延期する事がありました。
どこかに行こうとすると怪我する男、野口!もうこれは逆に強運の持ち主っしょ!
みたいな感じで笑ってもらおうと。
すると友人Tはこう言いました。
「それはきっと神様が徳島には行くなって言っているんだよ」
…。
僕はその文字を見た時に、なぜかすごく傷つきました。
なんだそれ。
僕はこんな形で知らせてくる神様なんて信じない!!
他の友人にも同じことを言われ、同じように傷つき、僕は自分が随分と徳島に行くことを楽しみにしていた事を知りました。
今では、なんと八つ当たりな事かと冷静になって考えられますが、僕は周りに冷たく当たっていました。
僕は自分が嫌いになっていました。周りがすべて敵のように思えました。もう何もかもが嫌になっていました。
心と体は繋がっているとか
数日ひたすらベッドで横になる日が続き、少しずつ痛みがとれてきました。
痛みに慣れてきたという事なのかもしれません。外出する際の蕁麻疹も全身長袖と手袋を着用することで避けられるようになりました。
心と体は繋がっている。そんな事をよく聞きますが、どうやら本当の様子。体が落ち着いてくると心も落ち着きます。するとなんとも友人に冷たく当たった事が恥ずかしくなってきました。
自分を反省し、友人Tに謝りました。
それで許してくれる友人Tを考えると、本当に恵まれているなぁと感じます。
僕は性格がネジ曲がっていて、すぐに人と関わるのが嫌になってしまいますが、そんな僕と長く付き合ってくれている数少ない友人は僕の性格を理解してくれているのです。
考えてみれば10年の付き合いになる友人Tにこの間、僕らって出会ってから10年経つんだぜ?すごくない?って言ってみたら、
「それは俺の器がでかいおかげだな」
と笑われました。
こういう事を平気で言える友人Tはかっこいい。さらに友人Tは僕を車に乗せ、ある所に連れて行ってくれるのですが…。
交通事故への考え方が変わって来た出来事
こんな事言うと人生って不思議なものだなぁ〜と考えてしまうのですが、その友人Tと出会ったのは、僕が子供を二人亡くし、離婚を経験したからなのです。
あの事がなければ、友人Tと出会うこともなかった。
友人Tと出会うことがなかったら、僕の中学の同級生もその友人Tの紹介で結婚をすることもありませんでした。
友人Tの紹介で結婚した中学の同級生はこの間、長い不妊治療を続けた末に親になりました。
その赤ちゃんを見に行こうぜと、誘ってくれたのです。
赤ちゃんを友人Tと一緒に見に行った時、僕は初めて知っている人の赤ちゃんを抱っこすることができました。
今までは人の子供を見るとどうしても自分の子供のことを思い出してしまい辛かったのですが、赤ちゃんというのはすごいものですね。僕が泣く間もなく、赤ちゃんが泣き出すのです。
なぜか僕が抱っこする時だけ泣き出す赤ちゃん。こいつ空気読んでるなぁ〜なんて笑ってしまいました。
そしてふとこんな事を思ったのです。
辛い経験は必ずしも、辛い未来を連れてくるわけではないのだなと。
辛い経験を辛い経験のままにしておくのは自分の頭。
僕は赤ちゃんの泣き顔を見ながらそう思いました。
それからと言うもの、少しずつ楽しいことを考えられるようになってきました。
椅子にも座ることが出来るようになって来ました。そうなると今までブログの記事なんて下手したら半年に1回しか更新しない時もあったのに、記事が書きたくて仕方がなくなって来たのです。
僕はあれから一日一つ記事を更新するようにしています。そんな事、この11年ブログ運営をやってきた中で初めてのことです。
今までの自分がダラけ過ぎなだけだろと笑われるかもしれませんが、この事も交通事故に出会ってなかったら自分には起きていない変化だと思います。
ま、いつまで続くかわからない事ですけどね。それでも一つ一つ書いた記事は残るわけで、無駄にはならないのです。
東京で奥さんと娘さんを亡くした交通事故の手紙
あれから病院を近場の病院に変えたくなって紹介状を書いてもらったのですが、その病院の院長が体調を崩していて休院中だったり、新しい病院を探さねばならなくなったりと、不運に思える事はいくつかありました。
しかし、僕は頭の中で、辛い経験を辛い経験のままにしておくのは自分、辛い経験を辛い経験のままにしておくのは自分と何度も唱えるようになりました。
だからといって全てが変わったわけではありません。
やはりひとつのひらめきのような物があっても、何か嫌なことがあるとついつい加害者を憎む気持ちが浮き上がってきてしまうのです。
そんな僕の考えがガラリと変わったのは、警察に診断書を届けに行って書類を書く事になった日の事です。
その日は、ちょうど徳島の深夜バスを予約していた日でして、なんで本来ならば楽しい日のはずが警察署に行かねばならんのじゃ。と不満を抱えながら警察署に入りました。
僕の交通事故を担当してくれている警察官の人が現れ、書類を持ってくるので少し待っててもらえますか?と待ち合わせ室のソファーに腰掛けました。
そこでふと大きな張り紙が目に止まりました。
それはなんの飾りっ気もない長い文章でした。東京の交通事故で奥さんと幼い娘さんを亡くした男の人の手紙でした。
僕はニュースでその事件の事を知っていたので、その人の気持ちを想像するとなんとも言えない気持ちになりました。そして失礼ながらも自分の状況と重ね合わせ、どんな事を書くのだろうと文字を追いました。
しかし、そこには加害者への恨みは一言も書かれていませんでした。
あるのは同じような被害者を出さない為に、車を運転する方へ向けた祈りのような言葉でした。
僕はそれを読み、呆然としました。
なんと強い心だろう。それに比べ僕はなんと小さな男なのだろう。
この言葉を書けるようになるまで、相当な時間が必要だったでしょう。もしかするとまだまだ心の整理などついていないのかもしれません。
それでもこうして他の人の幸せを考えている。
人を呪わば穴二つ。人を恨んだり憎んだりすると、その感情は伝染してしまう。
この人はきっとその事に気がついて、許せなくても恨んだり憎んだりするのを辞めたのではなかろうかと考えました。
僕は、警察官の方とのやり取りをしている間、ずっとこの手紙を頭の中で反芻していました。
そして相手の処罰をどうしますか?という項目に差し掛かった時に、
「望みません、おまかせしますの二つがありますが、どうしますか?それとも…」
と言いながら、第三の選択肢を提示されました。それは簡易書式の書類ではなく、本格的に刑事処罰を望む人のための書類です。
実は10対0で運転手が悪い場合は、現場検証をドライバーの方だけが行うらしいのですが、加害者は逃げようとした事や罵倒を続けていた事を伝えていなかったのです。
あー、これが僕と警察官の温度差の違いの理由かーと僕はその時に納得したのですが、警察の方に事故当時の事を詳しく説明していると、「そうなると話は全く違ってきますね」と第三の選択肢がある事を教えてくれました。
しかし、僕の頭の中には依然として手紙の祈りがありました。
うーむ。どうしたもんか。
誰だって事故を起こそうと思って事故を起こしたわけではないし、加害者の人だって、事故を起こしてしまって相当パニックになっていたんだろうな。
と考えてもみました。
僕があの加害者を憎んだとして、もしその憎悪が伝染してしまったら、またどこかで誰かが傷つく事になるかもしれないし。
そんな事も考えてみました。
そもそも、加害者が処罰されたとして、僕の心はスッキリするのだろうか。
うーむ。
よし。未だにやはり加害者の事を考えるとムカムカしてきて許せる気もしないけれども、とりあえず憎むことを辞めてみよう。恨むことを辞めてみよう。その人がたとえ変わらなかったとしても、僕が変わったことはこの警察官の人が知っていてくれる。
相手の処罰は望みませんに丸してもらっていいっすか。
僕はそう答えました。
一度、決断してしまうと途端に頭の中がパッと晴れたようになりました。
もしこれが僕ではなく、おばあちゃんや小さいこどもだったら、死んでいたのかもしれん。そうなると自分は人を救った事になるのではなかろうか。と、同時に加害者の方を救ったことになるのではなかろうか。
あれ?なんか自分すごい人になった気がする。自分偉い気がする。
あれだけ嫌いになっていた自分の事が少し好きになりました。人間は単純だ。少しのことで大きく変わる。
僕は何度も間違え、何度もやり直す。もしも今回の選択肢が後々間違いだったとしても、その時はその時に考えればいい。とにかく久しぶりに加害者への憎しみから開放された事を喜ぶことにしましょう。
交通事故の被害者になった話のまとめ
昔、僕の大好きな芸人さん、明石家さんまさんがこう言ってた。
生きてるだけで丸儲け。
交通事故にあったけれど、僕はまだこうして生きている。
別にもっと悪かった状況を考えて、それに比べたら今回の交通事故はラッキーだったのだと自分を納得させようとしているわけではありません。
生きているという事は時間が与えられているという事。時間はこの世で唯一平等に与えられたもの。1日は誰にとっても24時間。そうであるならば人を憎んでいる時間があったら、他の事に時間を使った方が良いよなって思うのです。
交通事故によって、いろんな予定が駄目になった。病院にも通院しないと行けないし、保険会社の人とやり取りしなければならない。多くの時間を奪われたと言ってもいいでしょう。
そこから更に自分で自分の時間を奪ってどうする。人を憎んだり恨んだりしても誰もいい気分にならないのだし。それなら人を愛したり喜ばせたりする事に時間を使ったほうが良い。
ま、僕には今現在そういう人がいないから、当面は家の猫を愛でてやる事にしよう。
うちの猫たちは交通事故なんてなかったかのように僕の体に飛びついてくる。僕はそれを受け止め、彼らの腰をポンポンと軽く叩いてやるのだ。それだけでうちの猫は喉を鳴らす。それだけで僕は嬉しくなるのだ。
…とまぁ、最後は急に文体が変わってしまった気がしますが、こんな感じで僕の交通事故の被害者になった体験談はおしまいです。
まだまだこれから治療を続けなければなりませんが、心が治ったのだから体だって治るでしょう。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました。参考になる部分は少なかったかもしれませんが、世の中には色んな考え方があるんだなと思っていただけたら幸いです。
少しでもあなたの怪我が早く治りますように。一緒にリハビリと闘っていきましょう。明日は今日より良い一日。
野口明人