『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』こんなにも心動かされるエッセイ…

まず初めに。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はエッセイです。小説ではありません。しかし、ヘタな小説よりもすらすらと面白く読めると思います。

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3分でわかる『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の概要(あらすじ的なもの)

著者、米原万里(作中での呼び方は「マリ」)さんは1960年~1964年(9歳~14歳まで)の少女時代、チェコの「在プラハ・ソビエト学校」に通っていた。そこは世界中から集まってきた共産党員の子弟のための学校。その学校で出会った同級生3人の話。

「リッツァの夢見た青空」

ギリシャに故国を持つリッツァはマリにとって強烈なイメージを持つ女の子だった。彼女は勉強が出来るわけではないが、とにかくませた女の子。まだ何も知らないうぶなマリに子供の作り方などを教えてくれたのもリッツァ。男の良し悪しは歯で判断すると教えてくれたのもリッツァ。彼女は将来大女優になって色々な男と寝まくってやると豪語していた。そして帰る事も出来ず、いまだに仰ぎ見たこともないギリシャの空を「それは抜けるように青いのよ」と瞳を輝かせていた。

リッツァの父は「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集局に勤めており、ギリシャ共産党を代表していた。マリの父も同じ局で働いており、その関係でマリはプラハに来ているのだった。その父の任期が終わりマリは日本に帰り、日本の中学校になじめずにプラハの学校を恋しく思っていたころ。リッツァとの文通は頻繁に行われていたが、受験勉強に追われるような年頃になると次第に文通も途絶えがちになる。

しかし、マリが突然プラハの同級生たちを思って眠れない日々が続くことになる事件が起きる。「プラハの春」である。チェコスロヴァキアで起きたこの変革運動に対して、ワルシャワ条約機構軍の戦車がチェコスロバキアを占領し、改革は排除弾圧し始めた。

リッツァに久しぶりに出した速達の返事は返って来ず、何度試しても電話もつながらなかった。そして風のうわさでリッツァはプラハ・カレル大学医学部に入学したと聞いた。あの勉強嫌いのリッツァが日本で言う東大のような最も権威のある大学に入学し、まして医学部だなんて。もしかしたら父親のコネを利用したのかもしれないと幼いころのリッツァをよく知るマリは考えていた。

70年代半ば以降、ギリシャの政情も安定課して軍政から民政に移行した。ギリシャに帰りたくても帰れなかった人たちは次々と帰国していった。きっとリッツァたち親子もギリシャに帰国したのだろう。リッツァは青い空を仰ぎ見る日をあれほど夢に見ていたのだから。

リッツァがギリシャに帰れる状況になったことを安心すると、リッツァの事はそれほど思い出さなくなった。しかし、またもや心配で眠れない事件が起きる。80年代後半に共産党政権が軒並み倒れていき、ソビエト連邦が崩壊した。この激動期を無事生き抜くことはできたのだろうか。

マリはその後何度もプラハやプラハ時代の学友たちが帰って行ったであろう国々に旅するようになった。14歳のころに教えてもらった住所に今も住む者は誰もいなかった。

なんとかリッツァの消息を探し出したマリ。リッツァはドイツに住んでいることがわかり、無事再開を果たしたマリとリッツァ。マリはそこで、あれほど憧れていたギリシャではなくドイツで医者をやっているリッツァの口から激動の人生の話を聞くことになる…。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

ルーマニアの重要人物の娘であったアーニャはひたすらに嘘をつく女の子だった。しかし、友達を非常に大事にする女の子でもあるので嘘をつくにもかかわらず周りからは愛されている。

マリの家の近くに引っ越してきたアーニャはインドのデリーで生まれ、北京で育ちブカレストのソビエト学校ののちプラハに来た。アーニャの父は足が悪いようでいつも杖をつき、片足を引きづりながら歩く。非合法時代に投獄されたとき、拷問で足を痛め、義足になったらしい。

マリとおんなじような家に引っ越してきたアーニャはまたすぐに引っ越していった。マリとしては満足に思っていた家だったが、どうやらアーニャ家族には不満があったみたいだ。

新しい家が見つかりお呼ばれして行ったマリはその家の豪華さを観て驚かずにはいられなかった。使用人を雇い、巨大なシャンデリヤがぶら下がるガラス張りの居間。食堂のテーブルはなんと24人掛け。

社会主義国家である以上、貧富の差はあるはずではないのだから、ルーマニアという国は全国民が高い生活水準を享受しているのだなとその時はそう思い込んだマリだったが、実際は違う。特権階級の恩恵なのだ。

しかし、アーニャは「ママはパパを助けて日夜、労働者階級のために、ブルジョア階級と闘っているのよ」なんて共産主義思想の教科書的セリフを平気で言う。そのママは贅沢に身を包み、働いてる姿さえ想像できない人なのに。アーニャはそのことに何の矛盾も感じていないらしい。さらにアーニャは人よりも愛国心の強い女の子だった。とにかく純潔のルーマニア人であることを大事にしていた。

のちに、マリは日本に帰り、アーニャとも文通をするようになる。そこでアーニャが結婚したことを知る。その相手はイギリス人。その頃のルーマニアでは異国のものと結婚することは御法度でふつうは結婚できない。そこでも父親の特権階級の力が働いていた。

ルーマニアの特権に甘んじていたチャウシェスク体制が崩壊し、チャウシェスクと第一副首相の妻エレナが処刑され新しい政権が立ち上がったが、なおも特権階級層の人々は何も変わらずに特権に甘んじていた事を知ったマリ。

あれだけ大事にしていた愛国心。祖国ルーマニアをとっとと捨てイギリスに移住してしまったアーニャ。あれだけ上手に使えていたロシア語も今ではへなちょこ。いろいろなことにショックを受ける。

大人になってからアーニャに会いに行き、矛盾だらけの事に質問をぶつける。そこには小さいころと変わらず丸い栗色の瞳で誠実そうにマリを見つめ、

「民族とか言語なんてくだらない。人間の本質にとっては、大したものじゃない」
「狭い民族主義が世界を不幸にするもと」

と言ったのだった…。

「白い都のヤスミンカ」

ユーゴスラビアから来た転校生のヤスミンカは勉強も人一倍出来て、何よりも絵が上手な女の子。人を寄せ付けなさそうなクールな雰囲気を持っている。そんなヤスミンカに人知れず惹かれていたマリ。ヤスミンカの描く絵を見るとなにか懐かしさを感じる。友達になりたいと思っても声をかける勇気も出なかった。

そんなマリが街で買い物をしているとなんとヤスミンカが親しげに声をかけてきた。クラスで放っている近寄りがたそうなオーラはまったくなく、家にもお呼ばれされ無二の親友になった。ヤースナと愛称で呼ぶようになったマリは、ヤースナが神とあがめる絵を見て驚く。それは葛飾北斎だった。ヤースナの絵を見て懐かしさを覚える理由はこれだったのだ。

マリが帰国することになったとき、ヤースナはマリに一枚の絵を贈るとともにメッセージを添えた。そこには「マリは私を忘れる」と読み取れるセルボ・クロアート語が書かれていた。

日本に帰ってから文通をしてはいたが、やはり受験モードになったマリは次第に文通が途絶えがちになった。その中でクールなヤースナには珍しい「寂しい」などの泣き言が書かれていた手紙もあったが、心に余裕のなかったマリは特別気にもせずおざなりな返事を送ってしまっていた。

それ以降ヤースナから手紙はピタリと来なくなった。受験が終わり、ヤースナの手紙を読み返していると、泣き言が書かれていた手紙の行間からヤースナの悲痛うなうめき声が漏れていたことに気がつく。急いで手紙を書いたが受取人転居先不明で戻ってきてしまった。

リッツァに手紙を書くと、ヤースナはソビエト学校を退学してチェコに転校したことを教えてくれた。その転校の原因となった新しく赴任してきた校長とのいざこざも。泣き言が書かれていた手紙はちょうどその事件があったときの手紙に違いない。「マリは私を忘れる」と書かれた言葉がむやみに浮き立って見えた。

その後、ユーゴスラビアで民族紛争が起きたことをきっかけにマリは真剣にヤースナを探すことを決意した…。

…うまくまとまりませんがこんな感じのあらすじです。

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の気に入った表現

胸の線、腰のくびれ、お尻の質感、これに男がイチコロだと思うでしょ。それは、先入観というものよ。男の心臓が止まりそうになるのは、目と足。

男の善し悪しの決め手は歯である

労働者農民の解放を説いたレーニン自身が、実は生涯に一度も自らの労働で自分の生活を支えるという生活者の経験を持たなかったことや、地主として小作人からの小作料を当てにして生きていた事実を確認できたのは、ごく最近である

東京は、外気の温度はプラス五度前後ですから、プラハよりはるかに暖かいはずなのに、とても寒いんです。家屋の造りが夏向きなものだから、たえずすきま風に悩まされてます。それに、普通の家には、まともな暖房がないんです。家全体を暖めるのではなく、部屋ごとにストーブを焚いたり、コタツやヒバチという身体を部分的に暖める器具を使うんです。

私も素っ気ないほど簡単な挨拶に万感の思いを込めて受話器を置いた

帰国後、地元の中学に転校した直後、私がひとかたならぬショックを受けたのは、いとも気軽に生徒たちが、学友や教師を、「デブ」とか「ハゲ」とか「チビ」とか「出っ歯」とか「オデコ」と当人の人間としての本質とは無関係な、当人の意志ではどうにもならない容貌上の特徴をあげつらって呼んでいることだった。

私が日本の大学に通う頃、ルーマニア口承文学を記録した本を大学付属図書館で見つけたとき、すぐさま借り出して目を通したのだが、アーニヤの聞かせてくれた物語ほど起伏に富んでワクワクさせる物語は見つからなかった。でも、アーニャのおとぎ話の骨格らしきものはそこかしこに発見できた。語り部としての創造力に誇張癖は欠くことのできない手段だったのだなあとアーニャのことが懐かしくなった。

故国への愛着は、故国から離れている時間と距離に比例するようであった

異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。

大きな国より小さな国、強い国より弱い国から来た子どもの方が、母国を想う情熱が激しいことに気付いた

人聞は自分の経験をベースにして想像力を働かせますからね

人間の言語習得能力が頂点にある七歳から一四歳までの七年間

「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに」

なぜ、差別無き平等な理想社会を目指して闘う仲間同士のはずなのに、意見が異なるだけで、口汚く篤り合い、お互いが敵になってしまうのか。それが、どうしても理解できなくて絶望的に悲しかった。

愛しいマリ、私と別れてから、マリにはいろいろな友達ができると思う。私より大切な友達ができたら、私のことは忘れてもいいのよ。でも、そうでなかったら、時には私のことを思い出してね……。

「むかし、むかし、あるところに、それはそれは仲の良い兄弟がおった。苦労も喜びも分かち合って支え合いながら暮らしておった。ところが、あるとき、余所からやって来た男が、兄を訪れ、その耳元に何事かヒソヒソ囁いた。次に弟のところへやって来て、その耳なかむつ元にヒソヒソ囁いた。仲睦まじかった兄と弟の間がこじれていったのは、それからさ」

店で素敵なのを見つけて、買おうかなと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに失う悲しみが増えるだけだ、っていう思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。

引用:「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」米原万里著(角川文庫)

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社会主義や共産主義の知識はほとんどなかったですが…

現代の日本を生きる僕らにはあまりなじみのない社会主義や共産主義。正直、ほとんど知識はなく、ついこの間、映画「グッバイ、レーニン!」を観て東ドイツの体制が共産主義だったのでそれでちょっと調べたぐらいだった。

早稲田大学に通っていた時も入学当時に「革マル派の団体に巻き込まれないように気をつけてください」と注意を受けて、実際に大学のあちらこちらにそれらしき団体がいたのはわかっていたけれど、いったいそれがどんな団体なのかわからないし、Tシャツにでっかく文字書いて歩きまわっている人ぐらいの認識しかなかった。

実際、そのTシャツを着た人が僕の友人の高校の先輩だと知った時もなんとなく関わらないほうがいいと察して、その友人からでさえ離れて行ってしまったし、“知らないものは怖いもの”で触れないほうがいいものとして処理してきた。

マルクスという言葉も、なんとなくかっこいいから文庫だけは持っておくかと岩波文庫で古本をそろえて本棚に飾ったままだし、とにかく共産主義とはどんなものか本当に知らずに生きてきた。

今回このエッセイを読んで、そんな風に生きてきた自分が少し恥ずかしくなった。あー、日本は平和でよかった。などと考えてしまっていた自分が恥ずかしい。共産主義に同意したとかそういうことではなく、政治情勢に自分の人生が振り回されずに生きていることがどれだけ幸せなことなのかを知らずに生きてきたことが恥ずかしいのです。

ソ連の崩壊やベルリンの壁の崩壊など、歴史的に共産主義はうまくいかないことが多く、過去の遺物となってしまっていますが、そもそもマルクスが提唱した共産主義はもとは貧困をなくし、平等を実現するための理想を掲げてはじめられたものなのです。

Tシャツに馬鹿でかく文字を書いて大学を歩き回っていた集団は、いまだに貧困が無くなっておらず平等さが実現できていないことの現れでした。そういう問題に目をつぶって、何事もなかったかのように幸せを当然として生きているのであれば、僕は嘘つきアーニャのアーニャと同じことをしているも同然でした。

このエッセイを読んで3人の同級生の中で唯一、いらだちを覚えたアーニャ。

矛盾だらけのアーニャ。なんの悪びれることなく自分が正しいと信じ込むアーニャ。簡単に信念を捨てるアーニャ。

なんだこいつ。と思った僕自身、アーニャとまったく同じことを知らずにしていたのです。

そんなことを気がつかせてくれたエッセイでした。

まとめ

エッセイを読むことなんてすごく久しぶりな気がします。おもにストーリー性を文章に求めてしまう僕は自然に小説のほうを選んでしまいがちになりますが、こんな感じのエッセイがあるのであれば、これからはエッセイも視野に入れて読書をしていこうかなと思いました。

今回は小説よりも心を打つ文章が多かった気がします。さらにエッセイといいつつもミステリーを読んでいるような、先が気になる展開で書かれていることもあり下手な小説を読むよりも面白くためになる本だと思います。

そんな感じなので、まだ読んだことないあなたはぜひ手にとって読んでみてください。エッセイとはこんなにも心を動かすものなのかと驚くこと間違いありません。ふつうの小説も面白いですが、ノンフィクションのエッセイもぜひ。

ではでは。

米原万里さんはすでに亡くなってしまった方ですが、ほかにもいろいろとエッセイを書かれているので、エッセイはそこからせめて行こうと思います。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

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