四国歩き遍路日記03日目。この旅の記録は以前旅をしながら公開していた日記を諸事情によりお蔵入りしまったものを再編集して公開したものです。
さて、ついに3日目です。ここからが言ってみればこの復刻版の本番のようなもので、お接待で泊めてもらうようになってからの生活をいかに個人のプライバシーを守りつつ、でもその人の魅力は失わずに伝えていくか…という所なのですが。
写真って、やはり文章よりも情報量多いからね。言葉で説明出来ない事が写真だと一瞬で伝わる事あるもんね…。でもそれが出来ない。なので、僕の少ない言葉の引き出しからなんとかこう、伝われ〜、伝われ〜、と念を込めて書いていきます。
ぶっちゃけ面白くないかもしれません。うん。やっぱり以前公開していた時のって、写真にコメントつけているだけの、言わば大喜利ブログみたいなものだったから。
ということでね、あまり期待せずに御覧ください。
ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
四国で歩き遍路3日目のまえがき
四国で歩き遍路3日目、眠っている途中不思議な夢を見る。夢の話ほどつまらないものはないので、まぁ詳しくは書きませんが、とりあえず夢を見るという事は、眠ることに余裕が生まれたという事。テントで寝るのとは大違い。
温かい布団でぐっすり眠れました。が、しかし。猛烈な腹の痛みで目が覚めたのです…。
あ、沢山写真撮ったのをアップすることにしました。が…このブログで紹介すると重くて閲覧できないレベルの数です。なので写真をメインに見たいあなたはFacebookの方へアルバムを作りましたのでそちらを御覧くださいませ。
トイレとカニとお侍さん
おはようございます。90%雨の予報だったけれど、外を見るとまだ雨は降っていないようだ。…なんて悠長なことは言ってられない。
夜行バスに乗る前にトイレに行って以来全く便意をもよおさなかった僕が、昨日食べた特盛うどんのおかげか、トイレに行きたくて仕方がないのです。
…が、ここは人様の家。トイレの場所がすぐにはわからない。ハタハタハタハタ。まずい。お腹痛ってぇー!!あーっ!トイレ発見!ここのトイレは家の中にはございません。外にトイレがあるのです。
トイレを見つけた僕は一目散に駆け込む。
お手洗いにこもる。
こもる…。
こもる…。
うおおおお。硬い。痛い。辛い。おさむらいじゃー。おさむらいさんがお尻でちゃんばらしとるぅぅぅ…。(食事中の方、失礼)
…残念ながら、僕のおしりは今回も痔になってしまいました。旅の洗礼。チャリの旅でもそうでしたが、僕の場合はなぜか、まずはおしりがダメージを食らってしまうのです。
トイレから出るとサワガニが嬉しそうにヒョコヒョコ歩いてるのを見つけました。僕はそのハサミに何かしらの恐怖を感じざるをえませんでした。やっべぇ。それはまさか、妖刀ムラマサ。
まぁ、サワガニがいるって事はだね、そういう場所なのか、それとも雨が近づいてきているのか、はたまたその両方なのか。トイレにサワガニがいたことがない僕にはわかりません。
あ。カニが手を上げて威嚇してきた。にっげろーぃ。
干し芋の梱包を手伝う
さてさて。実際の写真を載せられないのが残念ですが、お泊りさせていただいている先生の家では現在、傷がついてしまったりして、そのまま販売する基準には至らず、廃棄してしまう鳴門金時のお芋を、ひと手間加えて色々使い道を見い出す仕事などもしています。
考えてみれば味は一緒なのに、僕らってスーパーでキズがついているものとキズがついていないものだったら、キズがついていない物を選んでしまう。だからたった一つのキズでも商品としての価値を失ってしまう。
そんな商品をね、加工製品にすることによって、価値を復活させるわけです。
え?じゃー、それを農家の人がやればいいじゃん…。なんて事を考えたりするわけですが、農家の人はありえないぐらいの数の野菜を生産しているわけです。次から次へと商品が生まれてくる。
だからね、ぶっちゃけキズがついちゃったものを加工している時間があるなら、新しく出てきた綺麗な商品を製品化した方が儲かるのです。結果的に、捨てるのが合理的な結論に。もちろん、捨てるためには産業廃棄物としてお金も払わなければなりませんが、それを込みでも捨てたほうが儲かるのです。
「もったいない」よりも「儲けたい」。
それが資本主義の正義。もちろん、それを否定する事は出来ませんが、もったいないよなぁ…。でもね、そんな事言ってたら生きていけない。
そんな時です。先生はその芋を買い取ることに決めました。そして時間と手間をかけて復活させる事によって、農家とお芋の両方を救うのです。どんなものでも生まれてきた価値がある。形がいびつでもちゃんと向き合えば必ず必要とされる場所を見つける事ができる。芋も人間も一緒だよ、と。
おぉ…。素晴らしい考え。農家の人は時間と手間がかけられない。だったら他の人がそれを補ってあげればいい。
ま、そんな感じで先生の場所ではつまり、鳴門金時の加工も行っているのですが、泊めていただいたのになにもしないのは、なんか心苦しい。
「お手伝いしたいんですが」と伝えると鳴門金時を干し芋にしたやつを梱包する手伝いをさせてくれました。
真空にした袋の口を、さらに熱で封をする作業をさっさかさっさかやる。なんていうんだっけ、ガチャコーン。ってやつ。昔、お店経営に携わっていたときにやってたんだよな。なんだっけなぁ。深海魚的な名前の…。
あ、シーラー!!そうそう。シーラーです。それを手伝わせてもらいました。ぶっちゃけ、久しぶりの人と一緒の流れ作業だったので、ドキドキがとまりません。僕はほら、人と一緒に働くことをリタイアした人間なのでね。
一緒に働くって難しい。
…なんて事を考える暇もなく、先生は僕に色々と話をしてくれました。僕はその話を聞きつつ、せっせとガチャコーン、ジュッ!とシーラーをやったのです。
こういう時間だったら一緒に働くって楽しいかも。
なんて事を思っちゃっているちゃっかりものの自分がいました。こういう作業を通して、社会に馴染めない人が自信をつけていくんですね。自立支援の施設で働いてた時の事を少し思い出した。
実際ここはそういう人達を受け入れて生活出来るようになっている場所なのだ。縁とは不思議なものだなぁ。
そして、その作業が終わった後の事…。
僕のピストルが火をふくぜ!
梱包の手伝い後、鳴門金時を受け取りに行くと言うので、車に一緒に乗ってついて行く事になりました。
昨日の夜、真っ暗の中猛スピードで駆け上がった山道。今日はまだ明るい中でそれを逆に降りていく。舗装されていない道や、木の枝が落ちているのがよく見えます。
ガタガタガタガタ。
う、うお。。。
…痔が。
やばい。これはやばい。つらー。お、おしりが、あっちっち!!火を吹く痛さだ。傷口に唐辛子を塗り込んだ時のような、爆発した火山の火口におしりを差し出しているような。
う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!痔があああああああああああああああああああああ!!!!
とにかくやばい。僕のピストルが火を吹くぜー!ちくしょーーーー。
徳島は綺麗な景色、橋がいっぱい。
そんなこんなで痔の痛みに耐えながら山を下り終えると、車は吉野川沿いを走っていく。先日歩き遍路で1日かけて歩いた道も車ならあっという間だ。
先生は丁寧に吉野川にかかる橋の説明をしてくれる。本当に物知りだ。吉野川にはあだ名がついているようで四国三郎と呼ばれるんだってー。
おもしろいだろ?(先生の口グセ)
ちなみに吉野川は日本三大暴れ川のひとつ。関東に流れる利根川、九州に流れる筑後川、そしてこの吉野川。すべてにあだ名がついている。坂東太郎、筑紫次郎、四国三郎だってさ。僕の家の近くに利根川あるけど、全然知らんかったよ。
可動式の橋。ブルースブラザーズの映画に出てきたようなやつじゃけん。今、車で走っているこの道路がブイーンと上に上がるんだぜ。すごくね!?
徳島という街は4本の橋を爆破するだけで経済中枢を壊す事が出来るのだそうだ。それだけ重要な橋。そんな感じで、先生のガイド付きでブインブインとドライブした。
先生と一緒に銭湯に行く
すごくないかい?これ全部芋だ。芋畑を初めて見たけど、圧巻!写真に写ったのなんてほんの一部。目に見えるもの全部が芋畑だったよ。そりゃー、こんだけ芋が埋まってたら、捨てるものは捨てなければ1年かけても間に合わない。
ちなみに、鳴門海峡やら吉野川に囲まれるこの土地は砂地。その砂地だからこそ、繊維が細かくなり、あの独特な鳴門金時のお芋になるのだそうだ。芋を抜いたあとは大根とか植えたりするんだってさ。
大根も繊維が細ければ、すごーく味がしみるおでんの大根には最適な物が出来そうだ。ぐぬぬ。食べてみたい…。
そんなお芋畑を抜け、農家でお芋を受け取り、荷台に詰め込む手伝いを終えた後、先生と一緒に銭湯に行った。
昔ながらの背の高いエントツ!懐かしいねぇ…。って言っても銭湯世代じゃないんだけどね。僕の住んでいる土地にはこんなに髙いエントツがある場所なんてないから、テレビとか本で知っていた昔ながらの銭湯というものを見て感動した。
そこはまさに天国だった。
天国。大袈裟な表現ではない。そう。痔にイイ!痔で苦しむ僕はお風呂で早くおしりを温めたかったのです。車でガイドをしてもらっている時も、芋畑の時も、芋を荷台に積む手伝いをしている時も、ぶっちゃけ意識は9割はお尻だったからね!!失礼ながら!!!
「ゆ女」って書かれているけど、男女共通の入り口。店内に入ってから男女で別れる場所がある。僕は服を脱ぎ体を洗う。そして入念にお尻を洗った。ふう。痔持ちのみんな、見てる〜?痔には銭湯はいいぞぉ〜。最高じゃぁ〜。
なんて事で、痔との戦いを終え、お風呂にゆっくりつかる。ふと、先生の背中を見ると、70代とは思えない程の引き締まった体だった。先生は泳ぐのが好きで若い頃からスキューバとか、海に潜って魚を採ったりしてたんだそうだ。
体を鍛えている人は本当に若く見えるよね。真っ白な髪の毛じゃなければ70代だなんて信じられん。そう思わんで?
夜は再び先生と夜まで語り合う
銭湯を出たあと、僕は再び車に乗る。お尻はだいぶましになったようだ。それでこのまま帰るのかな?と思っていると、車は来た道とは真逆に進んでいく。はて?これでは山からどんどん遠く離れていっているのだが。
そしてしばらくすると普通の住宅街になった。なんとそこは先生のご自宅。山の上の家じゃなく、奥様が住むご自宅。そこで初めて山の上の家とは別に住まいがある事を知る。山の上の家は言わば職場なのだ。あそこで生徒さんと関わったり、何かを作ったりする。
一週間に2度ほどこちらの自宅に戻ってきて家族と食事をするのだそうで、今日はその日。
餃子を大量に作ってくださり、腹一杯食べる。時々覗きにくる先生のお孫さん。先生が度々お遍路さんを連れてくるので、それが楽しみなのだそうだ。
食べ終わるや否や、軽トラックに乗り込み山の上の家に戻る。雨が降ってきたけど、帰りのでこぼこ道は心なしかお尻に優しい。
家に着き、もらってきたお芋を下ろし終えると、再び先生と夜遅く、23時半まで話こみ本日を終える。
四国歩き遍路日記03日目まとめ
先生との会話は本当に面白い。話し方が上手いので、スッと入ってくるのはもちろんの事、生物学の博士号を持っている程の知識を活かしたDNAの話や、政治、宗教、植物、動物。
様々な角度から僕の悩みを解いてくれる話をする。そしてその一見別々の話に思える事が、ひょんな所でリンクするから理解が二重にも三重にも深まる。
歳をとったらこういう人になりたいなぁ。そう思う僕でした。
考えてみれば、僕はこうやって一人の人とずっと話すことを望んでいたのかも知れない。病院の先生は10分ほどしか話をする時間はないし、カウンセリングの人も1時間だけ。
ずっとずっと話をしたかった。入院した時もそう。誰も話を聞いてくれない。話をしてくれない。僕はどもりだったし、治療とは一体何の意味があるのだろうと思っていた。ただ薬を決まった時間に飲むだけ。
でも今、こうして一人の人と、話が出来る。話が聞ける。僕はこういう人に会いたかったのだと心から思った。あれから8年。やっと。やっとだと思った。
四国歩き遍路日記03日目、早くも歩き遍路を中断している形になっているけれど、今までで一番学ぶ事の多かった日だと思いました。
あ。最初の方でも言いましたが、このブログでは重さ対策として一部の写真しか紹介出来ません。結局今日はあまり写真撮りませんでしたが、ここで紹介しきれなかった写真はFacebookにアップしておくので、よかったら御覧くださいませ。