四国歩き遍路日記05日目。この旅の記録は以前旅をしながら公開していた日記を諸事情によりお蔵入りしまったものを再編集して公開したものです。
さてさて、4日目で決意をした通り、歩き遍路は完全に休止し、滞在していく中で人を救い人に救われる旅にしようとしばらく徳島に滞在することに決めました。もちろん色々と各地を移動したりしますが、俗に言う遍路日記を期待してしまうとガッカリするかもしれません。
なので、ぜひぜひそのような遍路旅をお探しの方は別のブログを探していただき、遍路に出た男が遍路先で出会った人たちと生活する旅日記でも構わんよーというあなたはこのまま読み進めていってくださいませ。
個人のプライバシーに関わるところはカットされていますが、それでも人との関わりで得られる温かさや難しさなどは伝わるはずです。ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
- 1 四国歩き遍路日記05日目のまえがき
- 2 明日のイベントの準備
- 3 鳴門金時を積んで、車で何処かへ向かうが…その前に遍路靴の話
- 4 先生とあねさん、そして僕は車で山道を進む
- 5 焼山寺の文字が見えた気がしたのは気のせいだ
- 6 ヤギに鳴門金時を届けに行く。無駄なものについて。
- 7 神山温泉に連れて行ってもらう。そこで教えられる人間の本質
- 8 町おこしにWiFiって言うのもありだよね?
- 9 安いは悪いではない
- 10 福福というお店にて、徳島ラーメンを食べる。
- 11 金長まんじゅうで糖分補給の後に…
- 12 先生たちと語る裏表。表の宗教と裏の密教。
- 13 大切なのはお参りをする事ではない
- 14 商売繁盛、家内安全…
- 15 ノーベル物理学賞の湯川秀樹と宗教
- 16 四国歩き遍路日記05日目のまとめ
四国歩き遍路日記05日目のまえがき
遍路開始から5日目です。一昨日の夜、昨日と引き続き、今朝も雨が降っていました。しかし先生曰く。
「昔の人のことわざでこんなものがある。3日と続く雨はない」
だそうです。その言葉通り本当に昼頃には雨が上がりました。確かに今日は雨が降り出して3日目。昔の人のことわざって面白いものが多いですな。
さて、今日はどんな1日になるのかしら…
※旅先で沢山写真を撮ったものをアップすることにしました。が…このブログで紹介すると重くて閲覧できないレベルの数です。なので写真をメインに見たいあなたはFacebookの方へアルバムを作りましたのでそちらを御覧くださいませ。
明日のイベントの準備
明日は日曜日。先生の所では障害者の自立支援のイベントに参加する準備を進めて行きます。どうやら僕も参加することになりそうです。自立支援。ちょっと前までお世話になっていたからなぁ。因果なものだ。
僕は梱包された鳴門金時の商品にラベルを貼っていく仕事をさせてもらう事に。賞味期限の日付をスタンプし、ペタペタ袋にシールを貼っていく。ペタコーンペタコーン、ペリッピタ!っとね。
いやー内職を思い出すね。こういう単純作業の繰り返し、大好きなんだよね。ずっとおんなじことを繰り返しているように見えるのに、徐々に仕事が速くなる。
それって、やっている事が少しずつ上達していくってわけで、慣れもあるかもしれないけど、少しの工夫を発見したり、手順を開発したりと、同じように見えて同じじゃないんだな。
イチローもすごい事を達成する唯一の方法は小さな事の積み重ねだとかなんとか言ってたしな〜。同じことを繰り返せる才能。それはきっと同じことを同じことのように捉えない感覚を持つってことなんだろうなぁ。
鳴門金時を積んで、車で何処かへ向かうが…その前に遍路靴の話
ラベルを貼り終えると、ここでの基準にもれたイモを車に積んだ。どこへ行くかは知らされていない。まぁ、場所を言われた所でまったくもって土地勘がない僕にはちんぷんかんぷんなのだけれど。(ちなみにこのイモ画像はイメージです)
先生たちが準備をしている間に僕は自分の履いている靴を撮る。ちんまり。
…というのも、Twitterでレスを貰っていたのです。どんな靴履いてるん?っていうね。@Asayake_Dropsこのアカウント。
そもそもTwitterというものをあまり使っていなかったのだけれど、この旅に出るにあたって速報的な役割でブログに書く前のちょっとした事をTwitterに書いていたのです。自宅にいる親への報告も兼ねてね。
ただやはり、まだまだ使いこなしていないようで、自分で発信はするけれど、レスを貰った事に気がついていなかった。その質問に対しての返信として写真を撮ったわけだが。まぁ、いい機会だし、四国遍路をするにあたって一番悩んだ靴の話をしよう。
僕の足のサイズは28.5cm。まぁ身長が高い割には足のサイズは大きくないのだけれど、それでもやはり一般的にはデカイ足だ。そうなると困るのは遍路ブログなどで紹介されている歩き遍路御用達の靴が買えないこと。サイズがないからね。
トレッキングシューズがいいとかウォーキングシューズが良いとか色々あったけれど、とりあえずみんなが大絶賛していた靴はこれ。
ミズノのODスペシャルっていうウォーキングシューズね。でもこれ27.5cmまでしか作ってないんだよね。僕は少なくとも29.0cmの靴を買わねば履けない。甲高幅広。俗にバンビロっていうんですかね、だんびろ?つまりは足が横に平べったくて当たっちゃう。
そういうのもあってウォーキングシューズがいいのか、トレッキングシューズがいいのか…。悩んだ結果、僕はいっつも散歩している靴であるウォーキングシューズを選ぶ事にした。
でもまぁ、雨の日も歩くだろうしって事でGORE-TEX素材の物を探す。そうなるとね、やっぱり限られてくるよね。サイズがね。んで、結局選んだのがNew Balanceのウォーキングシューズ、MW880なのです。4Eと2Eの2種類で甲高幅広対策もしてくれている。(ま、結局買ったのは2Eだったけど)
注文して家に届いた時はかっこよすぎて写真撮りまくってしまった。そちらの方も、今日のアルバムに載せておきます。
でもまぁ、これで完璧ではないのです。インソールね。中敷きもこだわっているのですよ。
これ。SUPERFEET TRIMFIT。下手すれば靴がもう一足買えてしまうような価格の中敷き。これを買ってね、New Balanceに入れた時にはもう感動したね。
ほれ。こんなんですよ。こんな分厚いかかとが僕の足を守ってくれているのです。僕は趣味で散歩するのですが、どうしてもかかとが痛くなってしまうクセがあったのだけれど、これ使い始めてから痛いのが消えた。中敷きって大切なんだなぁ…って思った。
靴、中敷き。それで完璧とは言うまい。お遍路、足の三種の神器というものがあるのだよ。そう。靴下だぁーーーーあああ!!!
僕が買ったのはこれだ!!
み、3つあるやん!!ってね!なんかね、蒸れ防止と靴擦れ防止のために靴下は重ね履きした方がいいんだってさ。そして調べたら二重で履くための靴下の靴下があるのだよ。すごいよね。
そう。こんな感じで足を万全の体制にして僕は四国へ歩き遍路に出たのです。そして歩いたのです。
2日だけ。
ふ…。何も言うな。いずれ歩くんだから。万全の体制で八十八箇所歩き切るんだから。
先生とあねさん、そして僕は車で山道を進む
さて、靴事情の座談会をしている間に先生達の準備が終わったようなので、車でガタンゴトンと揺られながら山道を進んでいきます。すんごいんだから。もう揺れるんだから。それは二日前ぐらいの日記にも書いたけど、痔持ちの僕にとって地獄のような道なのだ。
でもまぁ、あれよね。人間って慣れるよね。揺れる事よりも動物が現れるんじゃないか?!っていう楽しみの方が勝っちゃうもんね。ここの道を走っていると時々、鹿やらイノシシ、山鳥などなど、都会に住んでいたら絶対に会えない動物達に会えるらしい。
僕は山の上で先生と話しているうちに何度もヒャーンヒャーンという声を聞いた。
…ぶっちゃけ、最初は全く何の声かわからなかったし、先生たちは全く聞こえていないような反応をしているので、統合失調症による幻聴が出ているのだと思っていた。女性がね、ヒャーンヒャーンって叫んでいるように聞こえるわけ。あぁ。聞こえる。ここでも幻聴聞こえるよって。
先生と姉さんにとってはそれが日常で聞き慣れているから、何も反応しないけど、僕にとってはそれが鹿の鳴き声だなんて知らないから気になって仕方がない。鹿だけに。ヒャーンヒャーン!キャーッ!!って女性がヒステリー起こしているように聞こえる。
ま、それだけ鹿が身近なわけで、山を走っていると鹿にも会えるんだそうだ。サファリパークなんて行かなくても、毎日の通り道がサファリパークじゃ!おもしろいよなー。
焼山寺の文字が見えた気がしたのは気のせいだ
そんなこんなで車に揺られながら、動物の登場を待ちわびて外を観ていると、僕の目になんとなく馴染みのある言葉が飛び込んできた。
「焼山寺30km先」
あ。
僕が歩き遍路を継続していたら次に行くはずだった札所じゃないですか。ってかさっきからずっと車で坂道登り続けているんだけど、これを歩くってわけか…。遍路ころがし恐るべし。エンジンでさえだいぶ苦しそうに走る道である。
そんな山道をひたすら進む。人間の歩く時速は4km。7時間ぐらい山道歩くのかよ…。やべぇよ。しかも山って登ったら降りるわけでしょ?30km登って終わりってわけじゃないんでしょ?こりゃー、焼山寺に向かう時は朝5時ぐらいに出発せねば山の中で夜を迎えるなんて事もありえるで…。
なんて考えていると、なんか目の前に見えてきた。
おや?
ここはお遍路道の途中にある柳水庵近くにある小屋。焼山寺への道の途中にある。先生が遍路道はこういう所と紹介がてら連れてきてくれたのだ。
無人だったけど、どうやらお遍路はここで休憩していいらしい。トイレットペーパーなどが備えてあったので、時々誰かが管理してくださっているらしい。ありがたい。
小屋の横にはスズメバチ対策のペットボトルの仕掛けが設置してあり、すでに数匹のスズメバチが沈み、1匹がもがいていた…。スズメバチこわぁ!!
先生はこの仕掛けを見て、ここ、もうちょっとこうした方がええんちゃうか?と、知恵を出していた。こういう仕掛け、常識なんだな。知らなんだ。なんだかんだでいずれここの小屋を利用する時が来るかも知れないなと、その時思ったが、スズメバチ怖えなとも思った。
ヤギに鳴門金時を届けに行く。無駄なものについて。
先生はどんなものでも無駄にしない。農家で選別され、廃棄すると判断された物でも時間と手間を加えれば商品に出来る。もちろん利益は二の次にはなるわけだが。
では、農家の選別で外され、さらに先生の所の選別でも外されたものはどうなるのか。それが今日、ここに来た理由。選別に落ちた鳴門金時はこうやってヤギを飼っている人などに餌としてタダで配って歩いているのだ。
先生は言う。
「物は使いようやけん。みんながゴミと言うものでも、ワシにはゴミじゃないんよ。人間もそうやで。社会に適合出来ない人が、ウチで暮らしていくうちに自分の得意なもの、適所を見つけて社会に戻って活躍するやつがよういるけん。この世に捨てなきゃいけないもの、使い道のないものなんてないんよ。見つけられてないだけなんじゃ。ほうじゃろ?」
使いみちのないものなんてない。見つけられていないだけ。僕もきっとそうなのだろう。僕の使いみちは…。
…あ。使いみちで言うとさ、ヤギも大変なんだってさ。ヤギは必要とされない事が多く貰い手が少ない。今、ヤギの使いみちって考えた時に簡単にはポンと浮かばんよね…。
昔はヤギの乳も売れたけど、最近じゃ飲む人が減ったからなぁ…。でもヤギは牧草地を保ってくれるのだよ。荒れ放題になる草をムシャムシャ食べてくれるからね。ほれ、人間でも言うでしょう。家は住む人がいないとすぐに駄目になると。それと一緒で牧草地も住む動物がいないとすぐに荒れ果てる。
ということはだね、使いみちとかそんな難しい事考えずとも、ヤギはそこに存在しているだけで土地を生かしてくれているのだ。僕も生きているだけで、地球の何かしらを循環させたりして生かしているのだよね。きっと。
それにしてもヤギ可愛かった。ポリポリ芋食べてた。いや、ポキポキという音のほうが正しいかも知れない。いい音立てて食べていた。なんとなくブラジルの人まで届きそうな音だった。
神山温泉に連れて行ってもらう。そこで教えられる人間の本質
神山町という町がある。ここは比較的開けている町。家が山の所々に点々としている向かいの山の町に比べて、こっちの町には平地があり、いくぶん人の交流がある。一山違うだけで町の性格もだいぶ違うのだ。
町によって人の性格なども変わってくるようだ。人間の潜在意識は環境によって左右される所があり、閉鎖的な地形にはうちにこもりやすい性格になりやすく縦の関係を大切にする。開けた地形では社交的な性格になりやすく、横の関係を大切にする。
ココらへんの土地ってすごーく安くてね、家賃とか5000円とかで住める家もあるのだそうだ。東京に比べたらアホのように安いわけだけれど、それでも人って東京に住みたがるよね。
それは何でかって言えば不便だからだ。しかし、最近はその不便さがちょっとずつ変わってきた。インターネットさえあれば、ネットショッピングで何でも買える。家まで運んできてもらえるわけで、近くに量販店がなくても不便じゃなくなった。
そのことに目をつけた神山町は、町中にインターネット回線を普及させた。そしたらどこで働いても構わない芸術家やベンチャー企業の社長達が徐々にこの町に移り住むようになってきたらしい。
町おこしにWiFiって言うのもありだよね?
人は都会に集まりやすい。土地が高かろうが便利さや華やかさ人を求めて、競争を求めて都会に向かう。結果田舎町はドンドン過疎化する。
さっきのヤギの話じゃないけどさ、人がいなければ産業も廃れ、便利さや華やかさは失われる。しかしそれと同時に人がいなくなれば競争する事もなくなり、ものが余る。結果土地代も安くなる。
今、働き方が様々になり東京で働こうが、地方で働こうが同じ仕事が出来ることも増えてきた。だったら、こういう田舎町で土地が安いのはメリットでしかないのではないか。僕もこうやってブログを書くことで生活出来ているわけで、だからこそ旅に出られるわけで。
最近じゃその流れを読んでね、家探しの間取り図にネット環境の有無も載せるようになってきたんだってさ。
それはやっぱりネットが現代人にとって重要事項になっているからであり、町おこしの為にWiFiを取り入れる事も大きな一手な気がした。僕個人の意見だけど。WiFiがどこでも拾えるって素晴らしい。
ケータイあるからえーやん!って都会の人は思うだろうけどさ、山の上、ケータイの電波だけじゃ圏外の所ばかりだからね!!ケータイでブログ書いている僕としては死活問題ですよ!
でもこの町ならば、ブログアップロード出来るのです。うふふ。ここに住んでしまおうかな。
安いは悪いではない
だって、家賃5000円だよ?昔、神奈川で25000円で安いとか言っていた僕が小さく見えるぐらいな価格だ。東京に住んでいた時なんて14万払ってたもんな。ネットで仕事してたからぶっちゃけどこに住んでも変わらないのに、5000円と25000円、14万円の家じゃ全然普段の生活水準変わってくるよな。
だからさ、人がいない所にネット環境なんて整えたって仕方ないって考えじゃなく、ネット環境整えたら人増えるんじゃね?って僕は思うんだ。特に今のご時世、ネットを使って仕事している人も増えたわけだし。
たとえば漫画家とか小説家さんもさ、原稿用紙に書いてたら出版社の近くに住まなきゃいけないけど。今じゃデジタルになってきたでしょ?書いたらデータで送れる。そうなるとどこに住んでいてもいいわけ。こういう環境で生まれる作品ってのも雰囲気変わってくると思う。
創作意欲的なものね。
ちなみに先生の山の家にはWiFiはない。ケータイの電波も入ったり入らなかったり。4G、3Gは知ってたけど1xと言うスマホの電波の表示を初めて見たよ僕は。
このブログも必死で電波探して書いているのさ(笑)
便利さや華やかさはないけどさ、ここには人間との競争もそれほどなく、自然から学ぶ事がたくさんある。毎日毎日勉強。学ぶ事や新しい発見が多くて、ブログで伝えたい事が都会よりも沢山あるのです。
福福というお店にて、徳島ラーメンを食べる。
さてさて。神山町の温泉でそんな事を考えながら、ゆっくりとお風呂に浸かった後、ラーメン屋に連れて行ってもらいました。ラーメン、つけ麺、僕イケメン!OK!!(温泉効果による)
髪の毛濡れている人ってなんか魅力増すよね。そしてその髪の毛みているとラーメン食べたくなるよね。…よね?
ここのラーメン屋さんは大通りから少し外れた所にあり、連れてきてもらえなければ、きっと来れなかった場所。方向音痴だからね!
これ、メニューね。やっぱり全体的に都内のラーメン屋さんより安い。これも家賃効果なんだろうか。僕はらーめん550円をチョイス。
おお。おおおお!!これが550円のらーめんのクオリティかよ!!800円ぐらいするじゃろ、普通!う、うまそうだ。じゅるり。ではまず一口。
スープはとんこつのような、魚ダシのような都内のラーメン屋では食べた事がない味。なんとなく言えば長崎ちゃんぽんみたいな、でもちょっと違う。チャーシューも大きい。
麺は細麺。これも歯ごたえが面白い。
前に徳島に来た時は、生卵がぽとりと落としてあり、甘い牛肉が入っているお店に行ってこれが徳島らーめんかぁ!なんて思ったけど、こういうお店のらーめんの方が徳島ではスタンダードなんだとさ。
前回徳島に来た時に行ったのは、確か「いのたに」っていうお店。ちょっと待って。今、写真探してくる。
あ。あった。
そうそう。やっぱり「いのたに」だった。そこで食べたのが僕の中の徳島らーめんだったわけ。
これね。こういう感じで生卵がポトリと落としてあって甘いお肉のやつ。すき焼きラーメンみたいな感じで。確か値段は中華そば肉入り大盛りで650円だった気がする。それでも安いなぁなんて思っていたのだけれど。
今回食べた福福のらーめんは見た目から味からすべて違う。
とにかく。
すんげー美味い!うまいぞぉぉーーーーーーーーーーーー!!ぜひ徳島に来たらここのらーめんは一度食べてもらいたい。ご当地ラーメンとか関係なく、全国区で考えても550円でこの味が食べられるなんて、羨ましすぎる!!それほど美味いぞ。
ストレートで半分ぐらい食べた後、焦がしネギをちょこっとだけポトリと落として食べるのもオツだ。
金長まんじゅうで糖分補給の後に…
金長まんじゅう知ってる?前に自転車で四国通った時にね、工場に行って食べたのですよ。金長まんじゅうを。それからすっかりハマってしまってね。
ほれ。昔、自転車の旅の時に撮った写真。
無残…(笑)
前のブログもわけあって消しちゃったから、機会があれば自転車の旅復刻版も書こうかな。写真もHDDがぶっ壊れてオシャカになってしまったとガッカリしていたけど、Google Photoにあげていた分だけは残っていた。この写真もGoogle Photoにあった写真。バックアップは大切だね。
さて、こんな感じで金長まんじゅうにハマった僕は金長まんじゅうを常日頃、求めていたのです。
それがこちらではスーパーなどで売っているのだから、もうたまらない。マルナカで発見した時は飛び跳ねたね。ポンポコしてたね。らーめんを食べ終えて山の家に戻った時に食べようと買ってきたデザートなのです。
お菓子を食べたりお茶を飲んだりしながら、夜の哲学の授業が始まります。
金長まんじゅう。マジで美味しい。一個100円。関東のコンビニとかでも買えたらいいのに。あとで必ず親に送ってあげよう。
さて、哲学の授業なんて言いましたが、要は雑談です。寝る時間までゆっくり会話をして過ごすだけですな。でも、この雑談がさ、本当に学ぶ事が多いんよね。
先生たちと語る裏表。表の宗教と裏の密教。
物事には裏と表がある。陰と陽がある。
僕はお遍路に出て、寺での作法がわからなかった。それを見よう見まねでお線香立てたり、般若心経唱えたり、御朱印もらいながら四国88ヶ所巡りをしようとしている。
現在11ヶ所回ったわけだけど、途中何度も本当に88ヶ所周ったら心が救われるのだろうか?と不安になる事があった。
僕のやっている事は正しい方法なんだろうか?礼儀作法は間違っていないか?途中、車で送ってもらったりする事はズルなのではないか?御朱印はスタンプラリーなのではないか?本当に救われるのか?
こんなに話を先生にぶつける。すると、「世の中は全て裏表がある。宗教だってそうじゃ」と教えてくださった。
大切なのはお参りをする事ではない
「ええか?お寺に行ってお参りをする。般若心経を唱える。これが本当のお参りをするという事ではないと偉い坊さんから聞いた事があるんじゃ。信じるものは救われるってよく聞くじゃろ?各宗教に神様がおるけー、神は、信じるものは救ってくださる」
ふむふむ。
「お賽銭にいくらいくらツッコむとか、何度も寺に参る人、礼儀作法がちゃんとしているとか、そういう事で信心深さを測る人もおるけど、それじゃーな、お金を持ってない人や、足がなく寺参りに来れない人、手がなく拝む事が出来ない人は神さんは救ってくれんのか?」
うーむ。
「違うじゃろ?本当はお参りなんてせんでもいい。お賽銭に入れるお金だっていくらでもいい。ふと普通の生活をしている時に拝む。これが究極の拝み方じゃと聞いてワシは妙に納得してもうたんじゃな」
なるほど。言われてみれば確かに。では一体お遍路とはいかに…。
商売繁盛、家内安全…
「拝む内容もな、みんななんじゃかんじゃと自分の事ばかりお願い事するだろ?しまいにはお墓の前でさえ、お願い事を唱えるやつもおる。本来、お墓の前でするんわ、会話じゃけー。こんな事があったでー、とかそういう報告をな、すればええんじゃ」
そう言われればそうだ。拝むという行動が似ているからお墓でも願い事とか言っている人もいそうだ。
「でもみんな自分の事しか考えんけー、商売繁盛だなんじゃと祈ってしまう」
うむ。ほんとそれ。みんな自分の事しか考えない。僕もそう。自分の事ばっかり。
「お賽銭にしても、このお金はどうせお寺の人が懐に入れよるから、もったいないとか考える人がよーさんおるけ、でもお賽銭ってのは人間の金欲を捨てる行為でな、お金持ちの人が1億円お賽銭に入れるより、日々生活に困っている人が、お金ほしいお金ほしいという気持ちを捨てるために1000円の生活費から500円入れる」
ふむ。
「そうするとお金なくなって生活出来なくなるから、頑張ろうって気になるわな。お金にすがって勿体ないって考えたら唯の1000円しか持ってない人間になるけど、いったん捨てて、欲が消えるとそこに新しい気持ちが生まれる。頑張って働こうって気持ちだったり、もっとこう出来ないかなーって頭使うようになったりな」
500円が50万円分の努力に変わる。うん。
「だからな、1万円払ったんだから願いをかなえてくださいとか考える人おるけど、ちがう。でも普通の人はそういうこと気づかんで。だって宗教の表ではお賽銭を入れなさい。神様に拝みなさいしか教えてくれんのやから」
確かに。特に日本人は宗教心薄いのに、イベント大好きだから、初詣とか受験の時とかお賽銭の金額で叶えてくれるって思ってる所あるよな…。
「でも昔、えらい修行を積んだ坊さんは、その宗教の奥義、おくの義と書いておうぎを知った。奥にしまうということは普通は人に見せない。それが密教」
密教。昔ちょこっとだけ勉強しました。
「密教を深く勉強をしたわけではないけれど、きっと密教では、表の宗教の教えとる事のまったく反対のことが書いてあると思うんよ。でもそれを最初っから見せたら人々は混乱してしまう。矛盾しとるやないかってな」
人を殺してはいけません。という教えがあるのに、人を殺しなさいと書いてあるページもある。それは時と場合によってって事なんだろうけど、理解が浅いと確かにパニックになるだろうなぁ。
「だから、表を知って理解した人だけに裏を教えるんや。表だけでは解決出来ない問題も出てくる。それを裏を知ることで残りの部分も解決できるようになる」
確かに。綺麗事だけ言っていてもどうにもならない問題とかあるもんなぁ…。
ノーベル物理学賞の湯川秀樹と宗教
「日本人初のノーベル賞をとった湯川秀樹という男がおってな、あの人の人生の最後知っとる?最後は宗教を研究しよったんや。物理学をやってきたもんが宗教をやる。まったく正反対の存在やで」
あ。湯川秀樹。本で読んだことある。
「こんな科学者の権威のような人がしよったら、科学の世界の面目丸つぶれだから、大声で発表出来ん。そやから知ってる人も少ないかもしれんけどな、表を極めた人は必ず裏も知りたくなるっちゅうーわけやな。表だけをきわめてもどうしてもわからんことが出てくるで?そしたら裏も知らんといかん」
ふむふむ。
「科学の結晶である宇宙飛行士もな、飛び立つまえは必ず教会で神に祈る。科学と宗教。まったく別のもんなのに、面白いで?」
宇宙飛行なんて科学結晶のような物だけど、やっぱり最後は神頼み。
「でも、今の若いもんは純粋でなー、裏側が存在するっていうことにすら気がつかん。表だけを見て悩む。こんつめて考えてもうて、表の世界だけで判断しつぶれてしまうんやなー」
そんな感じの話を先生はしてくださいました。その話を聞き、確かに僕の考えは0か100という極端な考え方しか出来ない。光と影。影を裏返そうにも出来ない。太陽そのものには影が出来ない。表しかない。裏しかない。そんな発想で物事を考えてしまう癖がついていた。
だから自分の意見にあわないものは全否定し認めない。認めないから認められず攻撃され否定される。そして悩む。誰も自分のことをわかってくれない。周りの考えがわからない。
そうじゃなく、両方を認め柔軟に対応する。そうすれば世の中はもっと生きやすくなるのではないか?と考えた夜でした。
四国歩き遍路日記05日目のまとめ
先生はいろいろなところへ連れて行ってくださり、そのつどそのつどその場所を用いて僕に話をしてくれる。あまりに多くの発見や驚きがあるので、ぽろぽろと記憶から落ちてしまわないか心配だけれど、出来る限りこのブログに残していけたらいいなぁ。
電波が届かない場所なので、メモを取っておいて、ガーっと書いてるけど、なんとなく忘れちゃっていることもありそうだな。
しかしまー、こんなにも人の話を素直に聞ける自分というのも、珍しいものだ。
先生は考え方を押し付けない。様々な角度から質問をなげかけ、自分の頭や経験で考えさせる。そうやって自分で納得が出来たものだから、すーっと体の中に染み渡っていく感じがします。
さー、明日は支援施設のイベントでお手伝いをします。緊張するけどたのしみだー。
ではでは、四国歩き遍路日記05日目の出来事でした。
あ。最初の方でも言いましたが、このブログでは重さ対策として一部の写真しか紹介出来ません。今日は久しぶりに100枚近くになりましたので、ここで紹介しきれなかった写真はFacebookにアップしておきます。よかったら御覧くださいませ。