四国歩き遍路日記08日目。この旅の記録は以前旅をしながら公開していた日記を諸事情によりお蔵入りしまったものを再編集して公開したものです。
僕は普段は非常に遅筆でして、何度も何度も繰り返し見直してから公開するスタイルなんですが、このシリーズの記事は旅先で書いたというのもあり、注意が足りずにある人にとっては嫌な気分にさせてしまうような部分があったようです。
そのつもりで書いてはなくとも、読んだ人がそうであれば、やっぱり駄目だよなぁ〜なんて思いまして、愛着はありましたがシリーズ全部を削除しました。
が、しかし、最近はその時の記事を読んでくれた人から励ましの言葉などをいただく事もあって、せっかくだから記録は残そうと思って書き直しました。今度は慎重に、より慎重に。
それでも誰かを不愉快にさせてる部分などあったらごめんなさい。自分では気がつけない部分もありますので、出来ればメールで教えていただけると助かります。
さて。今回の話は、僕の中で非常に大きな転換期になる話。なぜ僕が先生と出会ったのか。普段は神様とか運命とかそういうスピリチュアルなものを信じているわけではないけれど、どうしてもそれを信じたくなる経験をしたことを語りたいと思います。
ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
四国歩き遍路日記08日目のまえがき
四国歩き遍路日記08日目になりました。昨日も夜遅くまで語っていましたが、今日は朝から貴重な体験をさせてもらいましたよ。
そう、松茸狩りです。食欲の秋、松茸!王者松茸!!
考えてみれば、松茸なんてものは永谷園のお吸い物の中に入っているうっすくスライスされたドライフードの松茸しか食べたことありません。そんな僕が松茸を狩るのです!!
…しかし、人生は楽しいことも哀しいことも一緒にやってくるのだと僕は知りました。夜には自分が情けなさ過ぎて泣いた1日。
※復刻にあたり、旅先で沢山写真を撮ったものをアップすることにしました。ここのサイトでは軽量化のため写真を圧縮しています。しかし、徳島の自然の美しさなどをぜひ知ってもらいたいので高画質の写真をFacebookの方へアップロードし、アルバムを作りました。ここで紹介しきれないものもありますので、よろしければ御覧くださいませ。
今日は写真多めだと思います。
痔持ちの僕にとって一番辛い修行。それはこれだった…
遅くまで語っていても、ここの朝は早い。尾根の方に登って松茸狩りとしに行こう!とのお誘い。
「後ろと前どちらがいい?」と聞かれ、始めはよくわかりませんでしたが、どうやら軽トラの荷台か助手席の選択を迫られている模様。
荷台。面白そうじゃないっすか。
ふと、荷台に乗るのは道路交通法違反なのではないだろうか?なんて思ったが、道路交通法第55条「乗車または積載の方法」って所に、
もつぱら貨物を運搬する構造の自動車(以下次条及び第五十七条において「貨物自動車」という。)で貨物を積載しているものにあつては、当該貨物を看守するため必要な最小限度の人員をその荷台に乗車させて運転することができる。
引用:道路交通法
という記載があった。
なるほど。荷物の監視役として、乗ろうじゃないか。結構山道通るみたいだし、トラック乗っている荷物飛んでっちゃうと困るし。
ま、そもそも通る所が私有地らしいから道路交通法の適用外なんだけどさ。すごいよな。山ひとつ持っている事はザラなんだそうだ。
…なんて楽観的に考えて、ひょいひょいと荷台を選んでしまった僕は馬鹿だった。
う、う、うおおおおおおおおおおおおおーーーーぅぅっっ。
車に揺られる揺られる!!
荷物が飛ばないように監視するっていうより、自分が落ちないように荷物に引っ捕まっているって感じだ。痔なんて関係ないんじゃ。そんなレベルの揺れではない。僕は振り落とされないように荷物にギュッとしがみつく。
うひょーーーっ。全然スピード出ていないのにこんなに揺れるのかよ!!映画でトラックの荷台に乗るシーンとかあるけど、なんであんなに飄々と乗ってられるんだ!?
痛てててて。この写真を撮るのでさえ、恐怖やでー。ブレるブレる。こえー。ピントなんて合いやしねー、ちくしょうぃっ!!
もう荷台になんて乗らないなんて言わないよ、絶対。
高所恐怖症にとっての試練
目的の場所につくと、ほとんど何の説明もなく松茸探しに入る。どうやら先生と姉さんは二手に分かれて松茸を探すようだ。僕はあねさんの方についていく。松茸狩り初心者の僕は全く何も知らない。松茸とは一体どのような所に生えているのか。
え。
無理無理無理無理無理無理無理っっ!!!!
角度!!道の角度!!鋭角やないかっ!
これ、別に携帯傾けて写真撮っているわけじゃないんだからね!
とにかく怖えーーーですよ。滑ったら死んでしまうと思うほどの崖。急な坂道。
「落ちたら死ぬ」と脅して去った先生。
「落ちても木に引っかかるから大丈夫やけん」とあねさん。
「あぁ。今日が人生最期の日になるのかもしれん」高所恐怖症の僕はそう心の中で悟った。
普通なら感動するであろう絶景も…
ん?光が射し込んでいる。
下ばかり見ていた僕はふと、顔をあげてみた。そこにはこんな景色が広がっていた。
…。
もう少し目線を下げてみる。
うおーーーーー。こえーーー!!
綺麗とか思えねーー!187cmの僕でも高所恐怖症。ほら、人より高い位置に顔があるからさ、高さも倍に感じるのだよ。
足滑らせたら、見事この大きな谷に吸い込まれて、野口くんが小さな藻屑となって消えてしまうよ。怖いよ寒いよ切ないよー。
もういいです。松茸食べなくていいです。帰りたいです。
けものや!けものがいるんや!!
僕がしばらく足がすくんで動けずにいるとあねさんが「これ見てみ?」と地面を指さした。
掴んでいた木から手を離し、地面を這いつくばってその場所へ近づいてみる。あ。足跡だ。イノシシ?鹿?けものがここ通るんじゃ。
僕の頭の中ではCoccoの「けもの道」が流れていた。
嘘には罰を 月には牙を あなたに報いを〜♪
引用;「けもの道」Cocco
縁起でもないやい。
けもの道って名前だけしか知らんかったけど、こういう感じで動物たちが通ることによって道みたいになっている所を言うんだってさ。わかる?なんとなーくここ通っているんだろうなーってわかるっしょ。それ、けもの道。
うん。ま、長々どうでもいいことを喋ったのはさ、尺稼ぎでさ、決死の覚悟で探した結果、見つかったのは食べられないきのこのみ…。ナームー。チーン。
なかったんだよ、松茸。怖い思いしたのになかったんだ。松茸とは空想上の食べ物だったんだね。
帰りの道は猛スピードで薪拾い
不発に終わった松茸狩り。僕らは諦めて山を下る。
行きはヨイヨイ帰りは怖い。
行きは登りでそれほどスピードが出ていなかった。しかし、帰りは下り坂。飛ばされないように一層がしりとしがみつく。
しかし、急にスピードを緩め軽トラは止まった。
「薪拾って行こう」
ここいらの場所は誰も手入れをしないわけで、道には平気で折れた大きな枝とかが落ちている。それに負けじとトラックで通っていくわけだけど、たまーに枝が車体に食い込んでしまって、カラカラ音を立てて走ったりするのである。
その時は細い道をバックで戻り、枝を取り除いたりして走るのだけれど、それはやはり危険。先生は意味のない事をしたくない主義で、松茸を拾いに行って、目的が果たせなかったら道を掃除しに来たと思えばいいのだと言った。
道端に落ちている木の枝は燃料としても使える。掃除も出来るし、燃料も増える。まさに一石二鳥。よくよく夫婦仲良く手をつないで散歩している人がいるけど、どうせ散歩するならビニール袋持って、ゴミでも拾えばいいのにと先生は言っていた。
あぁ。
言われてみればそうだ。今度から僕も散歩に出かける時は、ゴミ拾いでもしながら歩くことにしよう。
朝ごはんはフィッシュカツ!
さてさて、だいぶ長いこと話をした気がするけれど、実はまだ朝である。小屋に戻りみんなで朝ごはん。そーいえば徳島にはフィッシュカツという食べ物があるのを初めて知った。
魚のすり身のカツ。ハムカツみたいな感じだけれど、味付けはカレー味。
食文化の違いって本当に面白い。ここに来てすごくそれを実感する。
先生はなんでも作り出す。実はこの…
今日は小屋の二階をマジマジと見て回らせてもらった。写真の掲載はしないという約束で色々と見せてもらったが、本当に何でもあった。目に見えるほとんどすべてのものが手作りだというのだからすごい。
昔から先生は発明が大好きだったのだそうだ。小屋にあるものはほとんど先生が考え出し、自分で作ったもの。
家だって立てちゃうんだぜ!本当にすごいよ。…っていうかね、さっきフィッシュカツを食べた場所も、もともとは牛舎だったんだそうだよ。言われなかったら全然わからなかったよ!!
DIYのレベルを越えている!もう業者だよ、業者!
パソコンを発見!これは何かの啓示か…
小屋の二階でパソコンを発見した。ここでは、商品に貼るラベルなどを生み出している模様。
今現在、ここで作った商品は産直などに置いてもらったり、ヤフーオークションを通して、ネットで販売している。
ネットで販売。
僕は考えた。これは恩返しが出来るのではないか。10年前からネットを使ってお金を稼いでいる僕。
昔は国家資格取ったりしてさ、その国家資格の試験なくなって、えー!とか思ったりしたけど、とりあえずパソコンを使って何かをするのが好きなのだ。
そこで、先生とあねさんに提案する。
「オークションを通して販売するのと並行して、独自でホームページで販売出来るようにしましょう。それと宣伝も兼ねて、収益化出来る、生きたブログ作りましょう」
ここのお店にはホームページがあった。しかし、それは昔ここにお世話になった人が作ってくれたものであり、先生とあねさんは特別パソコンに詳しいわけではないのだ。
ホームページを作る為の土地であるサーバーは借りてある。今はそのサーバー代がマイナスになっているけれど、せめてサーバー代だけでも稼げるようになれば、ブログをやる意味があるし、ブログからお金を生み出せれば、書く方もやる気が出る。
ほぼ放置状態だったブログを活性化させるのだ。
僕がやる事は2つ。ブログの引越しと、ネットショッピングサイトの構築。
おお。これは恩返しになるのではないか。
「これを終えたらお遍路を再開します」と告げ、了承してもらった。
すだちミョウガお芋を実家へ。お米の精米と先生の実家
そーいえば、今日は先生からすだちとミョウガ、鳴門金時をもらいました。実家に送ったらええとの事だったので、ここでの日常を親に向けて書いた手紙を同封し、郵便で送りました。
ありがたい。
お父さんお母さん、こんな温かい方々に囲まれて過ごしていますので心配なさらぬよう。
そして、美味しく食べてくださいまし。
郵便物の写真撮るの忘れてしまったけど。
あ、それでここは山の上なので郵便物を出すにしても山を降りて下界に降りなければなりません。
郵便物を出す為だけに降りるのもあれなので、ついでにお米を精米してきました。
…と、僕は思っていたのですが、今日はどうやら先生のご実家でご飯をご馳走になる予定なのだそうだ。
無神経な自分と真実
先生のご実家に着いた時、僕はふと表札を見た。それを見た先生は「なに?」と聞いてきたので、「いやー何人家族なのかなと思いまして」と答えた。
家には、昨日元気に遊んだ先生のお孫さんがいた。
僕を見つけると、ガーッと走り寄ってきてバシッと手をつないだ。
そしてこう言う。
「パパに言ってきたら?」
僕はそこで「はて?」と思う。考えてみればお父さんの姿を見かけない。そして、先生の奥さんが僕に説明をしてくれた。
僕は隣の部屋に行き、お孫さんたちのお父さんであり、先生の息子さんの遺影を拝んだ。
無性に哀しくなる。僕はなんて気が回らないやつなんだ。
先生たちと今日まで暮らしてみて、所々、不思議な違和感を感じる事はあった。
でも、先生たちは僕に非常に優しくしてくれ、まさかそんな事が起きているとは思わなかった。辛いのは自分だけだと思っていた。
僕は自分が情けなくて泣いた。先生の優しさに泣いた。そしてお孫さんに悪い事をしてしまったと泣いた。
子供はただ、「お父さんに挨拶してー」と言っただけなのだ。それなのに僕は涙を流してしまい、あれ?何か悪いことしちゃったのかなと思わせてしまうような事をしてしまったように思う。
先生が息子さんを亡くしたのは今年の春の事だった。その事をきっかけにずっと続けていた人の受け入れや、相談を中止したのだという。先生はげっそりと痩せ、70年心の病気などにかかったことがない鉄人だと自分では思っていたけれど、今回初めてうつ病に近い状態になり病院に通った。
心の整理が付き始め、もう一度人の相談に乗ったり、人の受け入れを再開するかと思ったのがちょうど一週間前。そう、僕と出会った日。
先生はなんとなく声をかけただけだったし、あの場所には僕の他に外国人2人いたわけだけれど、結局先生の場所に泊まったのは僕一人。そして僕は過去に自分の子供が亡くなった事で悩み、お遍路に来た。
先生と僕。
不思議なめぐり合わせに無宗教者の僕も、神様の存在を信じたくなった。そして先生が毎晩毎晩、話をし終えた後に感謝する意味をやっと理解した。
僕がそうだったように、先生は息子さんが亡くなってから誰とも話さなくなった。誰にもこの気持ちは理解出来ない、誰に話しても弱音を吐いているようになってしまう。みんな辛い。奥さんも辛いし、お母さんもお孫さんたちも辛い。それなら自分でこの感情を整理しなければならないと思ったのだ。
僕は8年経った今でも2人の子供を失った事を受け止められていない。それはきっと今の今まで誰にも話をしなかったからだろう。病院にもいった。でも、あそこは僕の話など聞いてはくれない。聞く気がないのではなく、聞くための時間が充分にないのだ。
そんな僕。そんな先生。二人の男を引き合わせ、毎晩寝る間を惜しんで話をする時間を与えてくれた偶然に、四国という土地の不思議な力を感じた。
しかし、なぜ僕は自分ばかりが苦しいのだと思っていたのだろう。なぜ相手にも同じように悩みがあるのだと気が付かないのだろう。先生は僕に息子さんの死を微塵も感じさせなかった。
僕に気を使わせなかった。それなのに僕は…。世界で自分だけが哀しい思いをしているのだと思ってしまう。情けない。本当に情けない。温かい人になりたい。人の心を暖められる温かい人に。
僕の好きなものランキング1位
先生は僕が落ち着くまで横で話をしてくれた。その間にお孫さん達はご飯を食べていた。そして、僕が落ち着いた頃、食事をする所に通され、そこには唐揚げがあった。豆腐があった。
前回、先生の実家へ行った時に僕が好きなものは1位唐揚げ2位豆腐3位うどん。と、さらりと伝えていた事を覚えていてくれたのだ。
なんと温かい。
人とはこんなにも温かいものなのか。自分を嫌い、人間不信になり、人を妬み、恨んだ自分の心を柔らかくしてくれる。
人の心が温かいとはよく言うが、それを実感した1日だった。温めると怪我は少しずつ治っていく。手当てという言葉の意味を理解した気がした。僕の心に温かい手を当ててくれているのだ。
吉野川温泉から月の見え方
非常に美味しい夕食をたらふくお腹に入れ、涙も乾いた頃。先生の実家を後にし、帰り際に吉野川温泉に寄って風呂に入った。
ここのお風呂屋さんにはロイヤルゾーンというのがあり、お金を追加で払わなければ入れないお風呂がある。
サウナなどもロイヤルゾーンだったので、毎回楽しみにしているサウナには入れず、お風呂オケも少なく、ワンプッシュで出てくるお湯の長さも短い。
おー。これが経営術か。なんかケチっている感じがするな〜。とか思っていた。
しかし、風呂からあがった帰り道に先生に聞くと、
「あそこの温泉な、他より100円安い。それにお湯の温度が他より2度高いんじゃ。年間で考えてみ?2度下げるだけで光熱費ごっつ安くなるで。他の所はそれでぬるいお湯出しとるけど、あそこは違う。人とは違う所に目を向けているってことや」
と。
なるほど!と、うなずくと先生は続けてこう言う。
「それに野口くん、月を見てみ?」
ん?あれ。さっきはむっちゃデカく見えたのに小さくなってる。
「あれはなぜだかわかるか?」
えーっと、月の周り方で、地球の近くにいたり遠くにいたりするからですか?距離的な。近いと大きく見えて…みたいな。
「違うなー。大きく見えた時はどこだった?」
街の所です。
「今はどうだ」
山の上です。
「何が違うと思う?」
うーん。街で見た時は街の風景に溶け込んでました。山の上では空に月があります。
「それや。人の目っちゅうのはな、大きさを周りと比較して捉えるんや。街の中で見るとビルとかの間に月があるやろ?だから大きく見える。しかし山で見ると周りには何もない。空にポツンと月がある。そうなると比較するもんがないから小さく見える。ここから見てみ。周りには木がある。そうすると、月が大きく見えるじゃろ」
確かに!!
「それであんたが持ってるカメラで見てみ?小さくならんか?」
おおお!確かに僕が思っているよりもだいぶ小さく見えます。…あ!真実を写す。だから写真って言うんですか!
「そうかもしれんなぁ」
四国歩き遍路日記08日目まとめ
今日は朝から、新しい経験、自分を見つめ直す経験、物を考える勉強など、様々な角度からギュッと凝縮された何かを受け取った感じがします。
自分の頭がいかに凝り固まっていたか。自分の世界を全てだと捉えていたか。それを把握出来た気がする。
全ての悩みは常識や習慣が作り出す。悩みがあった時、環境を変えたりすると治ったりするのは、その常識や環境をぶっ壊してくれるからなのかもしれない。
自分が見えているものは真実とは限らない。そんな事を実感できた『四国歩き遍路日記08日目』の旅でした。
あ。最初の方でも言いましたが、このブログでは重さ対策として一部の写真しか紹介出来ません。ここで紹介しきれなかった写真はFacebookにアップしておくので、よかったら御覧くださいませ。