四国歩き遍路日記11日目。この旅の記録は以前旅をしながら公開していた日記を諸事情によりお蔵入りしまったものを再編集して公開したものです。
その諸事情というのは、この日記シリーズのラストの方で明らかになるとは思うのですが、そこに至るまでにはまだ2ヶ月程先になると思います。なので、まぁ、1年前の旅日記なんだなという事だけをわかっていただければ嬉しいです。
1年も前となると記憶がどうなんだ?という問題もありますが、実は昔書いた記事はお蔵入りしたとはいえ、データとしては残してあったのです。
という事で、そのデータを元にその当時の事を思い出しつつ、初公開の時には書き忘れてしまった事なども詳しく書いていきたいと思います。
ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
四国歩き遍路日記11日目のまえがき
『四国歩き遍路日記11日目』になりました。今日は夜の3時まで会話をすると言う、今までで1番長い講義でした。
「今までこんなに話したことないんじゃ」と先生はおっしゃる。
なぜそんな先生がここまで語ってくれるのかと言うと…
※復刻にあたり、旅先で沢山写真を撮ったものをアップすることにしました。高画質の写真をメインに見たいあなたはFacebookの方へアルバムを作りましたのでそちらを御覧くださいませ。
今日は雨だったせいもあって、ちょっと写真は少なめです。
二層式洗濯機から学ぶ
今日の天気は雨。昨日は22時半に夜の講義を終えたけれど、やはり先生は疲れが溜まっているのだろう。今日の朝はゆっくりだ。
天気予報を見るとここ数日はずーっと雨らしいので、僕は仕方なく洗濯物をした。お遍路の旅にあたって替えの洋服は下着も含め3日分しか持ってきていないのだ。
雨でも部屋干ししなければ着る洋服が底をついてしまう。
あ、そー言えば、過去の記事でも書いたと思うけれど。僕が使わせてもらっている洗濯機は懐かしの二層式で、洗濯、すすぎ、脱水の度に洗濯機に行って操作をしなければならない。
この洗濯機も誰かが捨てるはずだったものを、まだ使えるならもらっておこうと先生がとっておいたものだ。洗濯機だけでもいくつあるんだろ?でもこうやって僕が使っているという事はもらっておいて良かったという事だ。
使えるものは使えるまで使い切る。壊れても修理して使う。ここまで物を大事にしているなら、長年使われた道具などに宿るという、つくも神様もいるかもしれないな。
もちろん、昔の洗濯機なので、不便といえば不便だ。今の洗濯機はボタンをポチッと押せば、終了までなんも操作しなくてもやってくれる。しかし、先生は、二層式洗濯機を使えば2つの良いことがあると教えてくださった。
1つは構造が非常にシンプルなので壊れにくい事。
今の洗濯機のようにタッチボタンなどついていない。ねじってジジジジジとタイマーが動き出している間、洗濯槽が回るだけのシンプルなものだ。壊れたとしても構造が簡単なので、先生の手でも直せるのだそうだ。
そして、もう1つは体内時計が身につく事だ。
毎回15分ですすぎ、脱水と操作をしに行かなければならない。それを繰り返して行くと体の中に15分の時計が出来上がる。
15分とはこのぐらいだなとわかるようになれば、時間で動けるようになるし、15分で出来ることはこれだけだと時間を大切にするようにもなる。
先生は毎回、技術躍進を見つけると、必ずその反対の事も考えるようにしているようだ。便利になるという事は必ず反作用を生み出す。何かが自動になるという事は何かをやらなくなるという事。
何かをやらなくなれば、その能力は衰えていく。もちろん、自動でやってくれるようになれば、時間に余裕が出来て他の事が出来る事でもあるのだけれど、便利さだけに目を向けているといつかそれが消えてしまった時に何も出来ない自分だけが残される事になる。
それを忘れてはならないと言う教えですな。
部屋の掃除とスズメバチ
洗濯機をかけながら、僕は食卓の部屋の掃除をした。ここの部屋には色々な虫や動物が入ってくる。ねずみやゴキブリなどは罠にかかり落ちている。
虫が嫌いな僕としては毎回ヒヤヒヤものなのだけれど、先生は無駄な殺生はしてはならんといつもおっしゃる。
ここで食事や話をしていると、スズメバチなどがぶーんと飛んでくる事がある。前の僕ならビックリして大騒ぎしている所だと思うが、あいつも一生懸命生きているのだなと思うようになってきた(つよがり)。
攻撃さえしなければ、虫などは穏やかなのだ。ギャーギャー騒いだり、ダーッと逃げ出す方がよっぽど危ない。
静かに時が過ぎるのを待てば、スズメバチはやがてまた何処かへぶーんと飛び去っていく。これもまた人間の生活に応用出来るのかもしれないな。
…でもなるべくやって来ないように部屋の掃除はしておく事にする。逃げ出さないようにはなったけれど、怖いものは怖いのだ。うん。
パンの後に仕事を手伝い、人間の話
先生が起きてきたのでぶどうパンとバナナを食べた。今日はあねさんが実家に帰っている日なので男2人、軽い食事。
その後、昨日受け取ってきた大量の鳴門金時の選別をする。
農家基準では捨ててしまうものも、手間をかければまだ使えるもの、加工すれば食べられるもの、家畜の餌、腐っているものに分ける。この作業が実に時間がかかるのだ。
確かに農家の人からすれば、こんな時間をかけるぐらいなら、次から次へ出来上がってくる新しい作物に手をかけた方が効率が良い。形が悪いものは売れないし、小さいものを加工なんてする人手も手間もない。
だからちょっとお金を払ってでも大雑把な基準に落ちたB級芋達は捨ててしまうのだ。
しかし、サツマイモとして店頭に並ぶには格好が悪いものとかだって、皮むいて干しいもにしたり、小さいものでもすりつぶしてスイートポテトにすれば、A級芋と味の面でなんら変わらないのがサツマイモの特徴だ。
あ。なんかね、普通の野菜は大きさによって味が変わったりするのだそうだけれど、サツマイモは大きくても小さくてもそれほど味は変わらないのだそうだよ。ま、僕も含めた消費者は見た目で野菜を選ぶ事が多いから、どうしても小さい芋はそのままでは売れないよね。
僕はそのサツマイモ選別を手伝い、先生は鳴門金時の皮剥きをした。そしてこの鳴門金時の皮むきからも講義が始まる。
「部分的にダメなものでも切り落として小さくしたら使えるものもある。人間も同じじゃ。たとえ中まで腐ってしまってもな、自然界に帰り、生まれ変わればいい」
ほほう。ひとつの部分が駄目だからといって全てが駄目な人間にはならないという事ですな。そしてそんな人達も環境を変え、生まれ変わることが出来れば、また社会復帰が出来るって事ですな。
「環境を変えたり、社会の基準を外してみたりしたらな、また別の道だって見えてくる」
うんうん。社会の基準に適合出来ずに苦しむ事もあるけれど、それは無理やり社会に馴染もうとしているからで、一度その考えを捨ててみたら、案外新しい道が見えてくるかもしれないな。
僕もそうだった。みんなと同じことがどうしても出来なくて悩んだ事もあったけど、みんなが出来る事はみんなにやってもらえばいいや、僕はみんなが出来ない事をやろうって思えるようになったら、生きるのが楽になった。
先生はたまにこう呟く。
あっという間の70年じゃったのう
「ワシはな、自分の人生を振り返って色々な事をやってきたけどな、本当にあっという間だったんよ。我が人生に一片の悔いなしと言えるかもしれんな。いつ死んでもいいと思っとる」
おお。ラオウだ。
「会社に勤めて給料をもらったのが2年。そこでワシにはこれは合わんと思って、自分がやりたい事をひたすらやってきた。成功もしたし、失敗もした。しかしワシは本当になんも悔いがないっちゅうわけやな」
そういう人生が送れたら本当に幸せだ。僕も残りの人生、そうやって生きていきたい。
「周りもな、ワシの性格しっとるけー、ワシも年だし、もうゆっくり休ませてもらおうかなと思って前の仕事を辞めた」
前の仕事。ふむ。やっていた仕事を沢山聞きすぎて、どれの事かわからないが、とりあえず最近ひとつの仕事を辞めたようです。
「でもな、周りは何て言ったと思う?」
おつかれさまっすか?
「先生、次は何するんですか?やで」
僕はこの話を聞き、まともに会社に就職したことがなく今まで生きてきた自分を重ねた。人間いつ死ぬかわからない。出来ない事でくよくよするより、出来る事を伸ばしていこう。失敗だって、自分の人生の一部。失敗したということはチャレンジしたという事だ。
悔いのない人生と言える男になりたい。
鹿のお肉と田舎の生活と家の鍵
今日のお昼は先生が知り合いからもらったという鹿のお肉を焼いてくれた。鹿のお肉を食べた事がない僕は、けもの特有の独特な香りを想像したが、一口食べて感動した。
なにこれ。マジで美味い!!全然臭くないんだが!!鹿さん、ぱねーっす!
柔らかいし、噛めば噛むほど味が出てくる。
鹿のお肉とはこんな味だったのか。本当に僕は知らない事ばかりだ。やはりネットなどで知っているだけではダメなんだな。実際体験する事は、知識だけで知っている事とこうもズレがある。
部屋にこもっていただけの僕では知り得なかった知識だ。またひとつお遍路に出て良かったと思える体験をした。出発前は全然予想していなかった体験だけれど。まさか鹿を食べる事が出来るとは。
食事後、仕事の続きをし、やり終えると、先生はドライブに連れて行ってくれた。
先生との車の会話は本当に面白い。地方の事。社会の事。政治の事。僕は本当に表の面しか知らないのだと思った。
そー言えば最近、先生の家も鍵をかけるようになったという。物盗りが増えたのだ。しかし、この物盗りは窃盗が目的ではない。
嫌がらせなのだ。人と人のつながり。人口が少ない村でも、やはり人は衝突する。
田舎って何となくのほほんとして、のどかでいいな〜とか思ってしまう所だが、実際住んでいる人にも色々な事があるんだな。
先生には家に鍵をかける習慣がなかったようで、不慣れな行動をとる事が多く、その時になぜ鍵をかけるようになったのかを教えてもらった。
ま、悪い面だけじゃないんだけどね。
うん。
良い人も悪い人も合わせて人間。鍵が開いているから、家の人がいなくても、ちょっとした食べ物を作って置いていく心遣いも出来るし、鍵が開いているからそこから物を盗む人もいる。
まー、鍵をかける習慣が子供の頃から普通だと思っていた僕には、とても興味深い話だった。
夜にはすき家
本当は美味しいうどん屋に連れて行ってくれる予定だったらしいが、そのうどん屋は金曜日なのになぜがおやすみ。
結果、見かけたすき家で豚丼大盛り480円を食べた。僕はいつもすき家に行くとこれを頼む。
なんや、普通の豚丼やないか。と思われることでしょう。しかし、僕はこれをそのまま食べたりはしないのです。
そりゃ、いくぞーーー、ぶたーーーーーーーーーーーーっ!!
どーーーーーーーん!!!
このように、紅しょうがを大量に乗せ、フレンチドレッシングをかけて食べる。フレンチドレッシングの酸味と紅生姜の酸味が、上手いこと豚丼の甘辛いつゆに混じってむせる程美味い。
普通に食べても美味しいのだけれどね。マヨラーの僕は、普段マヨネーズを親子丼の上にかけて食べるのが好きなのだけれどさ、すき家でフレンチドレッシングが横に置いてあるのを発見して、親子丼じゃなくて、豚丼だしなー、どうかなーとかけてみたらイマイチ美味しくない。
しかし、そこに紅生姜をサンドする事によって、絶妙な味になることを見出してしまったのです。ええ。作ってくれる人には悪いけれど。そのまま食えよって感じだけれど。
先生は僕がこんな風に食べているのを全く気にせず、サンマ定食を食べていた。話を聞くと、過去にこうやって食べていた人いるんだってさ。
ぷぃー。僕が初めてじゃなかったー。ま、思いつくよね。テーブルにあるものかけ合わせただけだもんね。あはは。
あー、腹いっぱい。あ、そー言えば、食事中に世界が団結する方法という講義を受けたのだけれど、それを聞きなぜ中国が漁船の衝突事故を起こしたのかがわかった気がする。
政治の世界、こえー。ってか、何でも納得出来るように説明出来る先生すげー。
ヒントは内乱を治めるには外に敵を作る事!!
土柱←これ読める?
さて、今日の銭湯は土柱の湯。銭湯自体はこじんまりとしたお風呂ですが、サウナにテレビがついており、埼玉特集をやっていたのもあって、ゆっくり出来ました。
ちなみにアメリカ合衆国ユタ州南西部のプライス・キャニオン国立公園内、イタリア北部の南ティロル地方、そして阿波の土柱が世界三代土柱なんだそうだよ。
土柱。
つちばしら?
どちゅう?
英語だと、earth pillarっていうらしいんだが、
阿波の土柱(あわのどちゅう)は、徳島県阿波市に存在する土柱のことであり、1934年(昭和9年)5月1日に国の天然記念物に指定された。とくしま88景に選定。
阿波の土柱は800年に発見されたとの記録がある。吉野川によって作られた砂礫層が侵食されて出来たものである。この段丘礫層は吉野川が約130万年前にこの地が川底であったときにできたものである。最も大きいものは波濤嶽(はとうがたけ)と名付けられ高さ10m前後の柱が南北約90m、東西約50mの範囲に多数立っている。
引用:Wikipedia
だってさ。Wikipediaに写真載ってるけど、暗かったし、全然こういう感じのやつ見なかった。なので未だに土柱がどちゅうなのか、つちばしらなのかわからなくなります。
僕はなんとなく土柱という文字を見ると、荒井注がどないっせいちゅーねんって言っているイメージが湧いてきます。
とにかく土柱温泉は外に出た時の景色が綺麗です。うん。
実はここに来る前に本当は行こうとしていた別の温泉があったのです
名前は忘れましたが、郵便番号が777-7777にあると言う温泉が潰れていたのです(ブルーヴィラとかなんとかいう温泉)。
景気が良くなっていると政治の世界で言われているようですが、田舎の経済はかなり厳しいのだそう。
こんな感じで潰れる店はよくあるんだってさ。縁起が良さそうな777のお店なのになー。
※2018年4月にリニューアルをしたという事を教えていただきました!!潰れていなかった!!さすが777!!情報ありがとうございます。
実際行ったお風呂は500円。良い風呂だった。
家に帰ってブログの話をする。
家に帰ると先生のお孫さんとあねさんがいた。お孫さんが眠ったのが9時半。そこから僕が作ったブログの話をし始める。
僕はブログとネットショップを作り終えたらここを出発しようと思っている。その片方であるブログの方が完成したのだ。
なぜブログなのか?
ここでも日記の中心になっているぐらい、先生の話は本当にタメになる。だから全国で悩んでいる人を少しでも救えたらいいなという気持ちがあった。
ブログなら何度も読めるし、遠方で先生に会いに来れない人でも先生の伝えたいことを受け取る事が出来る。それにブログなら、検索から入ってくる事もあるので、先生の事を知らない人でも、たまたま見つけた記事で救われる事もあるかもしれないと。
先生は自然界の原理と人間社会をうまく重ねて納得しやすい話をするのが得意だ。
本当にさ、これは実際に先生の話を聞いて欲しいと思うぐらい見事なものなのだよ。
ただ、ちょこちょこ話に出している通り、先生は壊れた物を修理出来るほど機械には詳しいのだけれど、パソコンやインターネットなどの先進的な便利なものは毛嫌いをしている性格だ。
便利さには裏があると思って手を付けなかったらしい。
しかしまぁ、僕が統合失調症であり、それでもブログがあるから収入を得て生活出来ているという話をすると、興味を持ってくれた。先生の教え子には統合失調症を患って何十年も治療を続けている人が何人かいる。
その人達は働くという事に自由が効かない所があり、働いては仕事を辞め、働いては仕事を辞めという事もしばしば。僕もきっと外で働いていたらそうなっている事だろうし、過去に発狂した事もあったので、外で働く事に見切りをつけて、一人でやると決心したものだ。
そんな話をしたところもあり、ブログという媒体があれば、たとえ僕のように旅に出ようが何してようがある程度までやってしまえば収入が入ってくる。それはつまり時間に自由が効くということだ。
先生は昔、全国各地に呼ばれ、人々に講演をしていたりしたらしい。しかし、そろそろそのように活動的に移動したりする事も出来ないような歳になってきた。
気持ちがあっても体がついてこなくなってきたのだ。
姉さんはそんな先生の一番弟子なわけだが、そんな感じになってきた先生の話をなんとか形にして教科書的なもので配布できないものか?なんて考えていた。
そこでブログである。
これならば全国各地で読める。何度も読める。先生の話を形として残せるのだ。
まー、そんなこんなでちょうどパズルのピースがハマったように、必要な時に必要な男(僕)がやってきたのである。
という事でブログが出来たので、実際にアクセスしてもらえるブログの書き方の話に入ろうとすると一つ困った事になった。
先生はパソコンがちんぷんかんぷんなのだ。
そこで姉さんの登場。
姉さんに関してはパソコンなどはあまり詳しくはないのだけれど、それでもここで作った商品などをネットを通じて販売しているぐらいなので、ある程度の事は出来る。
…が、姉さんは文章を書くことが苦手。
なので文章は先生が考え、それを姉さんがパソコンに打ち込むという正にお互いの苦手なものはお互いが補う形で新ブログが開設しましたよっと。
(ちなみに、前はそのブログのリンクを紹介していたのですが、諸事情により紹介出来ません。いつかどこかでそれらしいブログに出会ったら、あいつが言っていたのは、これかな?程度に思ってくださいませ)
ふう。次はネットショップの方だな!!
人の死について
今日はここで語っておきたい事がある。
僕は今日のお昼に鹿のお肉を戴いたわけだが、先生は無駄な殺生を嫌う。ずっと続けていた鹿や猪の狩猟も辞めてしまったらしい。
それには理由がある。
ここに書くべき事ではないのかもしれないが、僕にとって強烈な出会いであり、この旅の意義を見出した事なので、書かせてもらう。
以前に書いた通り、先生は今年の春、息子さんを亡くした。落ち込み、何度も何度も考え、なんでなんでなんでと自分に問うた。
親より先に死ぬ子があるか。自分の行動によって止められたのではないか。もっとあーしていれば。もっとこーしていれば。
息子の死を理解しようにもわからない。何かにつけて思い出し、哀しくなる。
僕にとって仙人のような、超人のような先生もやはり人間である。人はそれほど強くなれないのだ。
考えて考えて、思考が停止し、心が停止し、物が食べられなくなり、病院にかかった。
薬をもらい、3日。やっと眠ることが出来、頭がまわるようになる。
ずっとやっていた仕事も辞め、人の相談を受けるのも休憩。これからはゆっくり生きていく事にしようと、からだを休めた。
休みながらプラス思考に切り替えた。
これには意味がある。お天道様はきっと何かを教えてくださっているのだ。
そして新たに出発しようとした1日目、僕に出会う。なんともない元気な青年のように思ってお接待をしたのだが、蓋を開けてみると2人の子供の死で未だに立ち直れずにお遍路に来ていた青年。
完璧主義で大食漢。突っ走ってしまう性格。息子に似ている部分が沢山ある青年。
これは本当にお天道様が巡り会わせてくれたのだ。そう思うに充分すぎる程の偶然だった。
僕が考えるにも、あの時、鴨の湯というお風呂屋さんで外国人2人と僕の3人が一緒にお泊りお接待の誘いがあり、2人は断り僕だけ受けた。
もしあの時2人のうちどちらかがついて来たなら、今お遍路の続きをしていただろうし、子供の話もしなかったと思う。
先生は哀しい経験をした人間は、同じ想いをした人間の気持ちを知ることが出来ると教えてくれた。
「道を歩いた事がない人間よりも、道を歩いた事のある人間の方がうまく道案内出来るじゃろ?」
僕に人は救えるか。僕は自分に自信がない。“僕なんかが”とすぐに考えてしまう。子供が健康に生まれ、元気に育つ事を当然だと考えていた自分が大嫌いだ。
そんな僕に、「人の前に立って案内する必要はないんだよ。その人と横に並んで一緒に歩いていけば良いのだよ」と神様が教えてくれたのだと勝手に思っている。
先生は僕に出会って救われた部分があると言う。教えられた物があるという。
先生が僕に息子の死について話をしてくれたのは、横に並んで歩いているのは人間。助け合いながら歩きなさいと教えてくれたものだと思っている。
なんというか上手く言えないが、僕も少し自信を持って歩いていけるような気がする。もう少し自分の命に、自分の存在に自信を持って生きていける気がした。
今日はブログの話のあとで、そんな話をしたのだった。
四国歩き遍路日記11日目まとめ
夜の3時まで語った。先生の涙。僕の涙。8年経っても僕は子供の死について受け止められていないし、50年以上も息子と歩んできた思い出が沢山ある先生の哀しさは、果てしないものだろう。
自分の生活の中のいたるところに哀しみのスイッチがある。
それでも人は生きていかなければならない。
どうせ生きていくのなら、楽しく生きなければ。意味を持って生きていかなければ。
僕は少しでもここで出会った人たちの力になりたい。それがきっと僕に自信を与えてくれる事にもつながるだろう。
そしてこの出会いに感謝して歩き遍路を周ろう。救いを求める遍路ではなく、感謝して周る遍路。
今日、偶然潰れた温泉で777の数字を見た事も何かの啓示かもしれんと先生は笑った。
ワシにもフィーバーがまだ待っているのかもしれん。信じよう。
泣いてた2人が笑って眠りにつく。