四国歩き遍路日記25日目。この旅の記録は以前旅をしながら公開していた日記を諸事情によりお蔵入りしまったものを再編集して公開したものです。
基本的にはこのブログには季節柄的な事は書きません。それはまぁ、この記事を読むあなたの時間がもしかしたら夏かもしれないし、冬かもしれないし、春かもしれないし、秋かもしれないから。
さらには1ヶ月かも10年後かもしれないので、いつ読んでもらってもいいようにこのブログ内にはニュース的な事は取り上げないし、その時しかわからない内容は扱わないようにしているのです。
が。とりあえずこの記事は今年になって最初の記事なので、ひとこと。
おめでとうございます。これからもよろしく。(別に何がおめでたいとは言っていないし、これからもよろしくは一年中いつでも言っていい言葉のはず)
という事で、引き続きプライバシーなどには気をつけつつ、前に書いた記事よりも内容の濃い内容になるように旅日記を書き直していきます。
ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
四国歩き遍路日記25日目のまえがき
『四国歩き遍路日記25日目』です。体調もだんだん良くなっていき、この旅に出てよかったなぁと思ってきた今日この頃。そういう時に落とし穴はやってくる。
もう大丈夫だろうとあがった分だけ下に落ちる。それの繰り返しの8年。なんとかせねば。なんとかせねばともがいてみたけれど自分じゃどうにもならない問題。
そういう時に人がいるのだと実感した事件が…。
→他の日の四国歩き遍路日記はこちらにまとまっています、合わせてどうぞ。
※復刻にあたり、旅先で沢山写真を撮ったものをアップすることにしました。Facebookの方へ高画質のアルバムを作りましたのでよろしければ御覧くださいませ。
桃ジャムの完成
朝起きると、まだ先生は起きていなかった。お湯を沸かし、いつでもお茶が飲める状態でスタンバイ。
桃ジャムを見ると見事に蓋がペコンと凹んでいた。煮沸して上がった温度が冷えた事で空気圧が下がったのだ。ほほー。こうやって密封状態を作るのか〜と、感心。
台風のきた頃から作り始めて、じっくりコトコト時間をかけて煮込んだジャム。
写真は企業秘密なので載せられないが、スーパーなどで売っている物と色がぜんぜん違う。余計なものが一切入っていないジャムだ。
食べ物の製造過程を間近で全部見ることが出来てしまった。
こうやって商品が産まれていくのだな。これもいい経験になった。全部手作業。手間暇かける。そうすると工場がなくても作れてしまうのだ。
なんとなく僕らが食べている食品って、工場とかで勝手に作られてスーパーに無機質に並んでいるイメージがあった。でもこうやって手間暇かけて全て手作業で作られているものもあるのだと知ると、これからの食事に対する姿勢も変わってきそうだ。
いただきます。それは人の手間をいただくという事でもあるのだなぁ。
僕が朝ごはんを作ったよ
金曜の朝はあねさんがいない。先生が起きてきて、「朝ごはんにしよか」という。
周りを見るとパンなどはなくお米を炊くことになった。粕汁などが残っていたのでそれを温めて添えるだけ。左手は添えるだけ。
でも、「朝ごはん」を食べられる状況を作ったには違いない!
…。
どひゃー!魚がこっちを向いている!!すいません!朝ごはんを並べただけでございます。
僕が作ったのではございません!嘘つきました!!
さて、ご飯にかけるこれ。鰹節と唐辛子で先生が作ったという佃煮。
これが本当に美味しい。
ご飯2杯食べてしまった。昨日体重計が+7.5を計測していたばかりだというのに…。
まぁ、体重は減らせるけど、ここのご飯は今しか食べられない。だから食うのだ。
米洗っている時に気がついた
今日の仕事はまず、桃ジャム作りに使った、でーーーーーっかい鍋を洗う事から。
お米を洗ってる時も思ったけど…、
凍るぐらいつめてー!痛さを感じる冷たさだ。
しかしね、僕は皿洗いが大好きなのだ。趣味は皿洗いなのだ。皿洗いゲーム1回100円という出店があったら、きっと僕はお財布を広げて100円を取り出すと思う。
だから冷たさなんて屁でもないのさ。そうなのさ。
でも、洗った後の手は真っ赤っ赤であった。冷たさは我慢できる。しかし、肌の弱い僕はきっと霜焼けになるであろう。そういう季節になってきたという事だな。
お遍路再開は寒さとの闘いになりそうだ。
そー言えば今日は…
鍋を洗い終わると、先生が見当たらなかった。僕は何か出来ないものかとうろちょろし、今日が鳴門金時を受け取りに行く日だという事を思い出した。
軽トラックのホロを外し、そこに大量の芋を受け取れるように、カゴを設置する。僕もいよいよ先のことを考えて行動出来るぐらい、ここの仕事を理解してきたのかもしれぬ。ふふふ。
これでいつでも出発出来る。準備万端。しかし、先生はどちらに…。
干しいもを取り込む
先生は二階にいた。手伝えることはありますか?と聞くと、干し芋を取り込んでくれと指示をくれた。
鳴門金時の干し芋をバットに入れる。それを部屋の中に入れ、空気が通るように十字に重ねておしまい。
寒くて乾燥している季節だから、良い色の干し芋が出来た。芋が金色に光っている。まるで小判のようで、美味しそうだ。
…僕は手が伸びそうになる自分の食欲を抑え込んだ。これは商品。食べてはならぬ。この干し芋を食べられる人は幸せものだなぁ。
次の仕事はなにかしら?
時にはお寺の修行のように
再び先生に次の指示を仰ぎに行くと、「玄関に落ちた落ち葉を掃くように」と言った。
僕は竹箒片手に玄関に向かう。
うおー!すごい落ち葉だらけ!シャコシャコ掃く。「お寺の修行みたいですねー」と先生。
どやー!ビフォーアフターはっきりわかるじゃろー!
これが掃き終わった落ち葉の山。ふう。いい仕事をした。
干し芋を量って商品化
掃き掃除を終えると、先生は干し芋の袋詰めをしていた。僕は近くに座り、干し芋を量る仕事をする。この作業は慣れたものだ。昔、しいたけ工場でアホみたいに重さを測ってたからね。
先生は「少し重いぐらいでちょうどいい」と言ってた。
多く入っている分にはお客さんは困らないもんね。
ただ、干し芋もね、同じ環境下で干してはいるけれど、カチカチに干されているものとちょっとしっとり気味の干し芋があるのだ。それを偏りなく選んで測らねばならない。
そしてそれをひとつの袋に入れるとお客さんの口に届く頃には袋の中で湿度が一定化されて、ちょうどよい固さの干し芋になるのだよ。
そんな事を注意しながら用意されたすべての干し芋を量り終えたので、バットを洗った。再び冷たい手。ちべたい。
先生が詰めた干し芋をプレス機で口を止めて、今日の山の上での干し芋の作業は完了!
山を降りて、鴨蔵ラーメン!
天気が良い。なんだかんだで台風の気配はまだない。これから先生と一緒に山を降りて干し芋の原料である鳴門金時を取りに行く。
吉野川沿いをひたすら走る!車が他にいなくて爽快だー!何度もここの写真を撮っているけれど、僕はこの道が好きだ。走っていて気持ちが良い。
途中、お昼の時間になったので「鴨蔵」というラーメン屋に寄る。
メニューは全て良心的な値段。やはり、都内のラーメン屋は高いよな〜と感じてしまう。土地代が高いからね。そう思うとやっぱり住むのは地方の方が美味しい物を安く食べられる気がする。
どやー。黒ラーメン大盛り。650円!
チャーシューでかー!肉やわらかー!
麺は普通な感じだけど…
スープがとにかく美味い!徳島で食べるラーメンはスープが何故こんなに美味いのだろう。あれかな。やっぱり海が近いから、ダシが良い感じなのかもしれないな。
あれだな。高田馬場で食べた「渡なべ」というラーメン屋さんに匹敵する美味しさだ。あそこも美味しいけれど、ここも負けじと美味しい!!
何より、もう一度食べに来たいと思う味だった。次は白か赤を注文してみたいな。辛いの苦手だから白かな。…でも、この黒ももう一度食べたいな。
未来の僕の判断に任せることにしよう。
お腹いっぱい、またもや走ったその先に…
ラーメンを食べ終えると、再び目的地へ走る。
先生は車に乗りながら、「自分にとって時間を忘れて打ち込めるものの1番はなにか?」と聞いてきた。
うーむ…。なんだろう。
沢山あり過ぎる。
本読むのも好きだし、音楽聴くのも好きだし、文章書くのも好きだし、パソコン触っているのも、ジーパン眺めるのも、靴を集めるのも、アニメも、映画も…とにかくなんでものめり込みやすい性格だ。結果、時間が足らなーいって事になるんだが。
「自分ってなんだろなー、なにもんなんだろうなーって考える事がよくあるんよ」と、先生。
最近、この歳になって、自分を探す事は彫刻のようなものだと考えるようになったそうだ。ひとつの大きな岩があって、それを削っていく。
すると、徐々に自分ってこんな姿してたんだなぁーってわかってくる。時には自分の姿に関係ないところを削って空振りに終わる事があるけど、それでもいろんな事やって削り続けると自分というものが明確になってくる。
そんな先生の話を聞いて、僕は今までの自分探しの方法を振り返ってみた。
僕は頭の中に自分を思い浮かべて、こんな感じかなと、粘土のように作り上げていく。そして出来上がった自分像を見て、こんなの僕ではない!と、壊す。そしてまたまっさらな状態から自分を作り上げるのだ。
結果的に現在も何も出来上がっておらず、後に残ったのは潰した粘土だけである。
うーん。彫刻かー。僕も確かに色々とやって来たけど、先生の経験には負ける。
自分が何者か。自分が打ち込めるものは何か。ちょっとばかり、彫刻家の気分で自分を掘りあげるつもりで考えてみることにしよう。
顔がこっちを見てる
ん?
こわー!なんだー!?なんかこっち見てたぞ!
鳴門金時の芋を1軒、2軒と受け取りに周り、軽トラックにパンパンの鳴門金時を積んで走っていると、不思議な顔がこちらを見つめていた。
…なんて事を車に乗りながら見ていると、先生がアイス買ってくれた。ビスケットのアイスは昔、ホームステイでアメリカに行った時に、そこのママさんが買ってくれた味を思い出す。
美味しいよね、ビスケットアイス。
とある企業の工場に社会科見学
鳴門金時の引き取り周りを終えると、先生は知り合いが作った会社の工場に車を走らせた。
そこにいたのは、ものすごーーーーーく貫禄のあるおじちゃん(専務と先生は呼ぶ)。先生より若そうだが、咳き込む姿が度々見える。
僕は挨拶をし、先生との出会いを軽く説明した。そして、今は先生の元で手伝いをしている事を告げる。
「お前、変わってるんやなー」と専務。そして、「こいつも相当変わっとるでー」と、先生を指差して笑う。
僕は専務から色々と会社の運営について話を聞いた。そしてその最後に専務はウチの会社で何かやってくれんか?と言ってきた。
僕はただの個人事業主。インターネットにちょっと強いだけの男。そんなやつがデカい会社の何かに関わっていいのだろうか?
僕は頭でこわごわ考えながらも、口でペラペラとインターネットを使った仕事について語った。よく自分でも思うことだが、僕は人前でなにか話すと饒舌になる。
それがまぁ、言ってみれば第一印象としてはイイとは思うのだが、実際に僕と関わりだすと、僕は薄っぺらで、実に中身のないつまらない男なのだ。そしてメンタルが弱い事も便乗して、関わるのが面倒くさい男。
ペラペラとしゃべる、中身のないペラペラな自分。
ペラペラという擬音がしゃべることと薄いことのふたつを表す音なのが面白いものだ。よく喋る人間は中身がない。話を聞く人間は吸収するから厚みが出てくる。この初対面の人とペラペラと喋ってしまう性格、直さねばならないとは思うのだけれど。
「野口くん、とにかくなんか考えておいてくれ」
そう専務は去り際に言った。
うーむ。どうしよう。僕の方法はあくまでも引きこもりが1人で食べていくのに困らない程度のお金を稼げるようにと考えたもの。それが会社に通用するんだろうか。
工場見学をさせてもらいながら、僕の頭はグルグルと運営方法について回っていた。どうしたもんじゃろのう。
うぬぼれに気がつき号泣する
専務の会社をあとにし、先生のご実家に行く。そこにはすでにあねさんが到着しており、ご飯をみんなで食べた。
春巻きウマー。
ご飯を食べた後、お孫さんたちと遊んでいると、1番下のお孫さんが背中に馬乗りしてきた。
「ゲームしよーや。これで僕を落としたら野口さんの勝ち。落とされなかったら僕の勝ちな」
よっしゃ。ゲームという名のつくもの、僕は負けたくないのです。
僕はブルブルと震え、必死に落ちまいと楽しそうに喜ぶお孫さん。僕は急にガクンと小さくなる。対応出来なかったお孫さんは僕の首の上から前にクルリンと落ちた。
僕はそれを両手で受け止める。
「負けてしもうたー」と喜ぶお孫さん。もう一度!と背中に登る。
僕は喜んでくれた事が嬉しく、また四つん這いになる。
ブルブルと震え後、同じように急にガクンと姿勢を低くした。
その時、お孫さんは僕の背中から横にコロリと落ちる。僕は体を翻し、お孫さんをキャッチしたが遅かった。
お孫さんは肘を強く打ち、泣き出した。
…やってしまった。
泣き声を聞きつけた先生がどうしたん?と顔を出し、泣いているお孫さんをあやす。
どうやら骨は折れていないようだ。ひとまず安心したが、僕は心臓が潰されたように鼓動が速くなっているのを感じた。
そのまま泣き続けるお孫さん。僕はその声を聞きながら別の声を聞く。
「ほらまただ。またお前が関わると周りが傷つく。またやった。またやった」
家から飛び出し、逃げ出したくなったがなんとかとどまる。
僕は先生の軽トラックに乗り込み大泣きした。またやってしまった。慢心だ。油断した。最近、僕を褒めてくれる人が多いから、自分でも役に立つ事があるんだとか思ってしまっていた。専務に語った言葉もそうだ。僕がなにを偉そうに話しているんだ。
僕は人を傷つける。だから人と関わってはいけないんだ。
頭の中の声がうるさくなる。しゃべりも「どもり」が出てきた。元に戻ってしまう。嫌われる。駄目だ。駄目だ。
先生は横で車を運転しながら、優しく、考えすぎなくていい。考えすぎなくていいと言ってくれた。
なんとかせねば。ドンドン嫌われてしまう。人に迷惑をかけてしまう。僕は深呼吸し、大丈夫だ大丈夫だと自分に言い聞かせる。
僕はバカだ。
頭をグルグル駆け巡るもの
山の上の小屋に着き、先生と話をする。
「別にそこまで深く考え込まなくていい。専務の事も、判断するのはあっちじゃけん、別の視点からのアドバイスをしてあげている程度に考えたらええんよ」
と、おっしゃってくれた。
僕は考える。考えて考えて自分が情けなくなる。自分とは何者だろうか。自分は失敗作か。自分は。自分は。
いつも自分の事ばかり。人が考えている事を理解したつもりで勝手に判断する。
決めるのは人だ。相手だ。
僕ではない。
傷ついたりしたなら、きっと相手の方がそう言ってくるだろう。迷惑ならば、きっと迷惑だと言ってくるだろう。
もちろん口に出して言えない人もいるかもしれないが、そうではない人まで、こちらで判断して勝手に決めつけて、行動するのは良くない。
とりあえず、嫌われるまでは人のために何かやってみよう。傷つけたなら謝ろう。
僕は布団の中でそう考え、今日、専務にもらった資料をもとにペンを執った。
四国歩き遍路日記25日目のまとめ
頭が回る回る。ペンが止まらない。関わる全ての人が幸せになる方法というメモを殴り書きし終えた頃には時間は朝4時半を回っていた。
そのまま布団に倒れこんで寝てしまおうと思ったが、折角だしと外に出て空を見上げると、そこには満天の星。
あー。今日も1日が終わった。
そんな四国歩き遍路日記25日目でした。