四国歩き遍路日記41日目。この旅の記録は以前、統合失調症の僕が歩きお遍路の旅をしながらその場で公開していた日記ですが、諸事情により公開を辞めてしまったものを再編集したものです。
さて。実のところ、以前公開していた記事というのは今日が最後です。いや、正確に言えば最終日の方にもう一つ二つ公開してはいるのですが、旅の最中に日を空けずに連続して公開していた記事は今回が最後なのです。
次回の記事からは、今まで誰も読んでいない内容になります。そこへの橋渡しとして今日の記事をまとめていたのですが、書きながら思うことは、なんか前回公開していた記事が結構姿かたちを変えちまっているなって事です。
僕が旅先で書いていた記事は写真多めで、その場所の空気とかが実家の両親などに伝わるように書いていたものでした。
ですが、その記事がちょっと問題がありまして、苦情が届いた事により公開を辞めました。それを今あらためて写真を少なめに文章で説明する事を心がけて書いています。
でもなぁ…。やっぱり写真って情報量多いんだよなぁ…。これ見せたいなぁ…って思う写真ばかり多くて困ります。それを見せる事が出来ないのが本当に残念です。
なので前の記事を読んでくれていた人にとって、印象が全然違ってしまった感がどうしても拭えきれず、書いていてちょっぴり心苦しくも有りました。
が、次回からは新しい記事。新しい事実。新しい旅事情!!
楽しく書いて行こうと思います。ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
四国歩き遍路日記41日目のまえがき
四国歩き遍路日記41日目になりました。旅に出てから6度目の日曜日。お孫さんたちが山に来ているので、遊びながらも色々と仕事の手伝いをするわけですが、子供を見ていると本当に飽きない。ケンカもすれば仲良くもする。
そんな中で、僕は一つの種を植えたのです。
→他の日の四国歩き遍路日記はこちらにまとまっています、合わせてどうぞ。
※復刻にあたり、旅先で沢山写真を撮ったものをアップすることにしました。Facebookの方へ高画質のアルバムを作りましたのでよろしければ御覧くださいませ。
身体が傾く
起きると身体はフラフラ。昨日は早めに寝たと言うのに、身体が起きてこない。気がつけば二度寝三度寝を繰り返し、起きた時間は7時ちょっと前だった。
歩くと身体が傾く。これは運動不足のせいだろうか。それとも自立神経失調症とかいうやつか。
とにかく心身ともにを鍛えなおさねば。心と体はつながっている。体がだらけてくれば精神もだらけてくる。
なんとか体を奮い起こし、僕はいつもの広場に出ていった。素振りで始まる僕の1日。
ブンブン振っていると、あねさんが起きてきて、「なんか振っとる。あれ?棒変わったん?」と聞いてきた。
僕は数日前に先生にいい棒をもらいましたと答え、ブンブン振る。
ブンブンブンブン振っていると、次第に自分がどこにいるのかわからなくなる。ブンブン。ブンブン。襲ってくる脱力感。僕が棒を振っているのか、棒が僕を振っているのか。
あれ…。やはりなんだか体がおかしい。僕は素振りを辞め、トイレに向かった。
ひたいは脂汗でいっぱいである。
これは…。
昨日の食べ過ぎが祟ったのかもしれない。本当に食生活気をつけないとな。日々の生活のリズムの見直しが必要だ。ちゃんとしよう。ちゃんと。
曜日感覚
トイレから帰ってくると、先生がすでに起きていたので挨拶をした。
今日は洗濯の日なので洗濯をさせてもらおう。洗うものはタオルとパンツとシャツだけなんだが、結構それが大切なことなのさ。
これらのものは必ず1日ひとつ減っていく。3日目には使えるものがなくなるのだ。
3日に1度やってくる洗濯の日は、曜日感覚を忘れがちなここでの生活の大切な指針になっている。
お腹の洗濯、服の洗濯、心の洗濯。
手伝えない
今日の天気は曇り。のちのち晴れてきそうな朝だ。最近は山の表情を見て、天気がわかるようになってきた。…気がする。うん。気がするだけ。
先生はカマドに火をつけ始めていた。その時にポットに残った熱いお湯も全部釜に入れて利用する。
ここにはポットが無数にあるので、それだけでも結構な水量になる。当然沸かすのも結構な時間がかかるのだが、使った熱量は残さず全部活用していく。
カマドに火をつけるとなると僕は出来る事がないので、部屋の中に戻った。
四国で関東
するとそこには昨日、知り合いの女性が持ってきた人形焼が机においてあった。なんとなく四国で関東のおみあげをみると変な感じがするね。
僕はそのひとつをヒョイッとつまみ上げたが、今朝のお腹の調子を思い出し元の場所に戻した。雷さまにお腹をピカゴロされたらかなわんからね。
しかし、今ここに関東のお土産が大量にあるのだけれど、やはり彩果の宝石は見かけませんな〜。
…あ、そもそもご存知?
知らないというあなた、ちょっとお時間借りますよ。
彩果の宝石と彩の国
あなたは知っているだろうか。このお菓子を。
彩果の宝石。
どれぐらいの知名度があるのだろうか。僕の地元、さいたま。埼玉ではなく“さいたま”。さいたま市の名物なのだけれど、これがなかなか美味しいのである。大臣栄誉賞を受賞している。
端的に言えばそれぞれの果物の形をした果物味の砂糖まぶしゼリーなのだが、その種類が豊富で、最大で15〜45種類ぐらいの味が詰まっている。いちごやら梅やらぶどうやらももやら杏やら。
彩りあふれる果物のお菓子、食べられる宝石とも言える美しい造形と味を兼ね備えたおかしなのだが、実は問題がひとつある。
それだけ多くの種類があるものだから、一箱に同じ味が一つしか入っていない事もしばしばで、結構それが子どもたちの喧嘩のもとになるのだ。
なので喧嘩の起きぬよう、それを人様の差し入れに持っていく場合は一番でかいサイズを買っていくという気遣いが必要なハイレベルなお菓子。
ただまぁ、それは結構な金額になってしまうので懐事情でそれが出来ない場合は最初っから入っている種類の数を8種類とか6種類とかに減らしてしまってその他の味は無かった事にするという手法もある。
そんな戦略的銘菓が我が地元さいたま市が誇る、彩果の宝石である。
ちなみに、埼玉が彩の国さいたまと名乗っている事はどのぐらい知っているのだろうか。ダ埼玉という不名誉な呼び名を払拭するために生み出されたキャッチコピーなのだが、これは埼玉県の話である。
面倒くさい話なのだが、彩の国さいたまと名乗るのは埼玉県。彩果の宝石はさいたま市の名物。さいたま市は彩の国とは名乗っていない。
埼玉県が彩の国と名乗り始めたのが1992年からで、彩果の宝石の発売が1993年なので、大いに影響を受けてはいるとは思うが、埼玉県彩の国優良ブランド品として彩果の宝石が認められるのはずいぶん後の事。
彩果の宝石はあくまでも彩の国さいたまをアピールするために開発されたのではなく、浦和市(現さいたま市)に本拠地を持っていた卸商が彩りあふれる果物のお菓子として生み出したものなのだ。
「富は急ぐな、善は急げ」というキャッチコピーを持つトミゼンフーヅの商品である。
浦和市と言えば浦和レッズかうなぎ(これさえも知っている人は少ない)しか名物が無かった場所に、名物を生み出してくれたありがた〜い会社、トミゼンフーヅ。
ありがたやぁーありがたやぁー。
まぁ、「彩」という字に対して、なかなか使い分けに苦しむ所で埼玉県民やさいたま市民ですら混同しているので、当然ながら県外の人には全く広まっていない知識であろう。
とりあえずあなたが埼玉にお越しの時に、「彩の国」という枕詞をみたら、あーこれは県が関わっている建物やイベントなのだなぁ〜と思っていただき、彩果の宝石をお土産に買った時は、これはさいたま市のお菓子ですよーと説明していただけると幸いである。
んで、僕がこの時彩果の宝石を思い出した事は後々の話につながっていくので、少し覚えておいてもらおう。
捨てるべきか否か
僕が人形焼を眺めながらぼーっとしていると、先生の奥さんに、「これ外に出して置いて!」とお願いされた。
言われたとおりに動く僕。とりあえず外に運び出す。何かを冷やして持って帰るらしい。
うーむ。言われたとおりに…。
はて。
氷は捨てるべきか。捨てざるべきか。とりあえずそれは言われておらずわからない。
しかしまぁ、捨てることは後でも出来るのだから氷は捨てないでおこう。捨ててしまっては覆水盆に返らずとも言うし、元には戻せないからな。
僕は縁側にこの発泡スチロールを置いた。
これはまだ朝ごはんを食べる前の出来事。子どもたちを起こしに行って朝ごはんにしよう。
変な顔
朝ご飯はコレ!朝からかなり豪勢だぜ!僕はお腹の調子がおかしかったことなど忘れ、バカバカと食べ始める。どうしてこうも目の前のものに弱いのだろう。
食べすぎないようにと、僕は腹がふくれるふりかけを白いご飯にかけて食べた。しかしまぁ、全体的に食べる量は変えていないのだから、無駄に腹が膨れるだけなのかもしれない。
食欲をコントロールする方法が今の所見当たらない。出されたら食べてしまうのだ。
ふう。満腹。
あ、そういえば隣で肩車ボーヤが美味しそうに味噌汁の豆腐を食べていたので、その姿を写真に撮ろうとすると、口に入れていた豆腐を見せて変な顔をしたので少し笑った。
皮むきと囁き
ご飯を食べた後は、食後の散歩をした。そして仕事の手伝い開始。
先生はカマドで作業をしていたので、僕はひとり鳴門金時の皮むきをする事にした。ただ無心にひたすら皮をむく。
ちょっと前に失敗から生まれた僕専用ピーラーを親指と人差し指で優しくはさみ、さつまいもの側面を走らせていく。
サーサーサーっと剥けていく皮。赤紫の芋が綺麗な白い姿になったら水を張ったバケツにチャポンと投げ入れる。
サーサーサー。チャポン。
サーサーサー。チャポン。
サーサーサー。アソボウ。チャポン。
サーサーサー。チャポン。
途中、遊ぼうという誘惑の声が聞こえた気がするが、これは迷いの心の声だと無心で皮をむく。
よし!バケツが芋でいっぱいになった。しかしここでやめては修行にならぬ。僕はバケツを新しくし、さらに鳴門金時の皮むきをする。
サーサーサー。アソボーヤー。チャポン。
サーサーサー。チャポン。
お昼の準備が出来たという声が聞こえて我に返る。おそらく3時間ぐらいは集中していたようだ。あっという間に時間が過ぎる。
誘惑に負けなかった自分、偉い。
どうにもこうにも仕事をせずに子供と遊んでしまうと、自分が自分で嫌いになってしまうのだ。後々悩んでしまうのであれば、遊ばずに仕事をすれば良い。
別にお孫さんたちが何かしたというわけではない。僕の今の精神状態が、子供と一緒にいる事を拒否しているのだ。
11月はそんな月。
おろし醤油うどんの伝染
お昼はどうやらうどんのようだ。みんなは温かいうどんを食べていたが、僕はワガママを言わせてもらい冷たいうどんを食べる。
大根おろしとネギをのせ、そこに食卓にあった醤油をツーっとひとまわしにかける。僕はこの食べ方が最強に好きなのだ。冷やしおろし醤油うどん、美味い!!
それを遠くで見ていた折り紙王子が俺もそれやってみようと真似をし、冷たいうどんに変更。「野口さん、これ美味いな!」と笑顔で言う。
子供はすぐに真似をする。いいことも悪いことも。学ぶという言葉は真似ぶという言葉から派生した言葉らしい。つまりは真似る事が学びのスタートなのだ。
食生活もきっとそうであろう。親の食べ方を真似する子供。それが子供の常識になり、当たり前になる。しかし、世界は広い。世界が自分の知っているものだけではない事を知る事もまた学びの第2ステップとして必要なことであろう。
そこで僕は新しい世界を見せてあげる事にした。
ツナ缶パンデミック
始まりは先生のこんな言葉であった。
「それだけじゃ野口くんは足らんだろう」
そう言いながらツナ缶とご飯のおかわりを僕に促した。
正直な所、僕は朝の腹痛の件もあり、腹八分目で辞めておこうと思っていた。うどんでお腹いっぱいですと。
しかし次に聞こえてきた言葉で僕の心に火が灯る。
「じーちゃん、それはないわー」
そう言ったのは先程僕の真似をしておろし醤油うどんにチャレンジした折り紙王子。
カチーン。自分の好きなものを否定される事が大嫌いな僕。
ヌハハハ!自分の世界しか知らぬのだな。あいわかった。我がそなたにニューワールドというものを見せてやろうではないか!!
と、心の声。そして僕は口を開ける。
僕はツナ缶を開け、ご飯の上に半分ほどのツナとオイルをかけて醤油をツーっとひとまわしかけた。そしてそれをお箸でガガガっと一気に頬張る。
僕は大げさなほどリアクションをとって折り紙王子の顔を覗き見た。
彼は不思議そうな顔をして、俺もやってみる!とご飯をお茶碗に盛り、僕が半分残しておいたツナとオイルをかけて醤油をツーっとひとまわし。
「なにこれー!美味い!美味すぎるぅぅぅぅ!!!!」と折り紙王子。
任務完了。
今ここに、彼の中で新しい扉が開かれたのだ!!
と僕は笑いながら忠告をした。
話はここでは終わらない。長男は大人の真似をする。そしてその長男を見て次男はそれを真似をする。それが家族の流れなのだ。
みんながご飯を食べ終えた後、ひっそりと肩車ボーヤがお茶碗に残ったご飯にツナをかけて食べ、「美味いな。うん、これはヤバいな。美味すぎるぅぅぅぅ!!!!」とつぶやいていたのを僕は盗み見た。
伝染。
ツナ缶パンデミックの完成である。これがこの後、この家族をブクブクと太らせる種になるやもしれぬ。これはもう止められない。恐ろしや、ツナ缶伝染。
むふー。
自分の好きなものを否定された時の胸のもやもやは、すっかりどこかに消えていた。
食べ過ぎは環境のせい?
そんなツナ缶のエピソードを終えた後、僕はみんなが使った食器などを洗ったのであるが、すべてをかたし終えたと思われた机の上には再びこんなものが差し出された。
先生の奥さんが作った大学芋である。
うどん、ごはん、さつまいも。
炭水化物3連打!!
これだけ食べていればそりゃー僕の体重も10キロ近く太るわけである。体を重く感じる事も当たり前の話だ。
もちろん太るということは幸せな証拠。お腹いっぱい食べられる事はありがたい事なのだ。
…だが、暴食は七つの大罪のひとつにもなっている。
食事が沢山出るからいけない?
否。
確かにここでは食事が沢山出るけれど、先生の姿を見ればわかる。先生はスラーっとしているのだ。先生に聞くと何十年も体重は変わっていないというではないか。
自分の食事のコントロールは自分にしか出来ないのだ。自分を強く持て。幸せで体を壊してしまっては元も子もない。
そう思いながら僕は爪楊枝に刺さった大学芋を口の中に運ぶのであった。
うまうま。
出る杭は打たれる
午後も鳴門金時の皮むきを続ける。が、今回の芋はすこぶるデカイ。冬瓜のようなサイズだ。デカすぎてもレギュラー商品としての価値を失ってしまうというのも悲しいものだ。
やはり世界は出る杭は打たれるように出来ている。
しかしまぁ、こうやってひと手間加えればデカイ芋だって美味しい干し芋に変身できるのだから、心をこめて皮を剥こう。先生がナタを使って割ってくれた大きな鳴門金時を腕に抱えて仕事開始。
サーサーサー、バシャーン。
サーサーサー、バシャーン。
うふふ。大きいお芋はすぐにバケツがいっぱいになって嬉しい。お得お得。それに今回はどうやらアソボウという誘惑の声は聞こえてこないようだ。
…とか思っていたら先生の奥さんとお孫さん達は山を降りたそうだ。気が付かぬうちに帰っていた。
僕と先生は2人で鳴門金時の皮むきを続ける。
ふう。仕事終わりに自分の剥いた皮の量をみたら、45Lのゴミ袋2袋分あった。なかなかの量を剥いたのだな。やはりこの仕事は楽しい。無心になれるのが良い。剥いている時は頭が静かになる。
ということで、お疲れ様でした〜。
山を降りて…
仕事を終え、1日の疲れを癒そうと山を降りる。もうこの山を何度上り下りしただろう。何度見ても同じ所で感動する。
いい景色だ。夕暮れの陽射しが町を淡いオレンジ色に染める。
この山を降りるのにはだいたい30分かかる。いつか歩いてみたいものだ。桜の綺麗な季節がいいな。
今は枯れ木が多い。だからなんとなく寂しい雰囲気を感じる。
山を下り終え、鴨の湯へのまっすぐの道も結構好きだ。僕が登るはずだった12番札所、焼山寺の山が高くそびえ立つ。…いや、登るよ?登るはずだったってのは11番札所に着いた次の日にって事だよ。
日にちは変わったけど、きっと登るよ!
鴨の湯からメロンパン
鴨の湯に入る。
今日はなかなかの混み具合。僕は露天風呂のいつもの場所を陣取り、空を眺める。
次第に暗くなっていく空。水色から深いブルーに移り変わる。今日も一日が終わった。今日一日を生き抜いたとも言えるし、今日一日分、死に近づいたとも言える。
生きることと死ぬこと。昼と夜。それは全く違うようで実はピッタリとくっついているもの。
僕は今日を生きたのか?
僕は今日を失ったのか?
充実している毎日のように見えるけれど、何も変わらない毎日のようにも見える。
僕はこの旅で何か変わったのだろうか。僕はこの旅を終えた時に何かを変えられるのだろうか。
こうやって何もしない瞬間に、頭をドッと占領するネガティブ思考。動かなければいけない。あぁ。芋の皮が剥きたい。
のぼせてきてしまったので、僕は水風呂にドバーッと首まで浸かり、火照った体をキンキンに冷やした。そして吐き出す息が冷たくなったのを感じた頃、風呂から上がった。
混雑していたのでよく見えなかったが、外に出るとまだ先生は出てきていないようだ。あねさんもまだ車に戻っていなかった。
暇になった僕は、お遍路さんはいないものか?と無料宿を覗く。今日はいない様子。もう時期的にお遍路シーズンは過ぎたのだろうか。
とりあえず記事を書かなきゃなと思った僕は、ベンチに座りケータイを取り出した。今日の事をメモしておこう。
その時に書いたメモを見ながらこうして記事を書いているのである。
さて。
温泉からみんなが出たので、山の上に帰る。途中スーパーにより、夜食を買う。店の前に焼きたてメロンパンの店が出てた。まだあるんだなぁ。この方式のお店。
昔にちょこっと流行ったけど、一度も食べた事がない。
メロンパン、関西圏では、サンライズ。
ノグ蔵、心の俳句
たしか丸っこいメロンパンの事を関西圏ではサンライズと呼ぶはずだったが、ここ徳島ではメロンパンと呼ぶようだ。四国の中でメロンパンの事をサンライズと呼ぶのは愛媛県だけらしい。
四国とは言うけれど、その四県の中心にはでっかい山脈が存在している。だからまぁ、文化の違いみたいなのがあるんだなぁと思った。先生が車の中で色々と歴史を踏まえて解説してくれるのが楽しい。
自分の顔の変化
そういえば今日は池の鯉を写真に撮ってなかったなと思い、パシャっと撮った写真がこちら。振り返ってみれば朝方に池の写真は撮っていたんだと気がついたのはこの記事を書いているときである。
ところで、ここでの生活で必ず毎日同じ場所の写真を撮るようにしている。
1つは向かいの山。これは山の表情が変わっていくのを知るため。
1つは池の鯉。なんだかわからないが毎日撮っている。
1つは温度計。毎日の気温を記録しておきたいから。
後は…まぁ、食事とか色々と撮っているけど、自分の顔も記録しておけば良かったかな。自分の心理状況が顔に出るらしい。ここに来た頃よりも、いい顔になったと言われたけど、あまり自分では実感がない。
今の自分はどんな顔をしているだろう。11月は心が鬱ぎ込む。冬に向かう寒さのせいだろうか。違うのはわかっているが、そういう事にしておこう。
苦手な食べ物なんてものは
夜食を食べる。かなり豪勢だが、ほとんどは残り物である。
焼き鳥は昨日の女性が持ってきてくれたものだった気がする。
お孫さん達が来ると、大抵、煮魚が残る。やっぱり煮付けとかって大人な食べ物だよね。僕も魚料理の中では一番苦手な料理だ。だが、ここでは何でも食べる。食べるとたいてい美味しい。
苦手な食べ物なんてものは昔食べたものがたまたま美味しくなかっただけの事が多いのだという事を、その昔しいたけ工場で働いていた時の所長が言っていた。
…確かにそうかも。
イチジクは果実じゃないよ
イチジクも残っていたので、ばばばっと口に放り込む。うむ。凍っていたものなので、味の方を心配したが杞憂であった。やはりイチジクは美味い。
知ってる?食べているこの部分って果実じゃなくて花なんだぜ。不老不死の果物って言われているぐらい栄養価が高いので、僕はドライフルーツのイチジクをちょこちょこ買ってた。
夜にヨーグルトの中に放り込んでおいて、朝にそれを食べるとヨーグルトの水分をいい感じに吸ったイチジクと水分を吸われた事でちょっとだけギリシャヨーグルトみたいになったヨーグルトがマッチング!でベリーグッドなのさ。
四国歩き遍路日記41日目まとめ
夜食を食べ終えた我々は、机の上を片付け、いつものように会話をする。
その時には当然のごとくお茶菓子が出てくるのだが、今日は朝に食べることを思いとどまった人形焼と…
電子レンジでチンした銀杏である。
これをちょこちょこ食べながら結構真面目な話をしているのだが…。
だが…。
が…。
先生が「銀杏美味いなー」と言いながら、突然両鼻に銀杏を入れてこっちを向いてきたのには参った。本当に不意をつかれた。
笑いは緩急だとさんまさんが言ってた。
真面目な話からの鼻銀杏。
…というか、ここまでの生活でそこまで先生がお茶目な事をした事がなかった気がする。新しい一面である。
やはり人間一人を理解するには40日なんてものはまだまだなのだ。
笑いすぎてお腹が痛い。
それにしてやっぱり血筋というものはあるみたいだ。僕は昼間に見たお豆腐を見せて変な顔をしていた肩車ボーヤの事を思い出す。
「銀杏 into the 先生の鼻」の姿を、あねさんが写真を撮っていたので、それをもらって写真をケータイの待ち受けにしようかしら。
そんな感じで、落ち込む時もあるけれど、毎日が充実し楽しく生きている『四国歩き遍路日記41日目』。