四国歩き遍路日記42日目。この旅の記録は以前、統合失調症の僕が歩きお遍路の旅をしながらその場で公開していた日記ですが、諸事情により公開を辞めてしまったものを再編集したものです。
…とは言え、前回の記事で書いたように今回の記事から旅先で公開していない内容になります。ただ再編集をしているのは確かでして、公開をしないまでも旅先で下書きを書き終えていたのです。
ではなぜ公開しなかったのか。それは今日の記事でお話している内容を読んでいただければわかることなのですが、僕はこの日、大きなショックを受けたのです。そして記事を書くことが怖くなりました。
しかし旅先から戻り数年が経ち、気持ちの整理がついた今、あのとき書いた下書きを再編集し公開する事にしました。
それはやはりあの時、僕の記事を読んでくれていた人にちゃんと最後まで旅日記を読んでもらいたいと思ったからです。書くことが怖くなって初めて、書くことの力も実感出来ました。
言葉は力。正しくも悪くも使える。
これからの内容は正直な所、読んでいてあまり気持ちのいいものではないかもしれません。精神状態最悪な自分が疑心暗鬼に駆られ書いたものですから、悪の部分が多いと思います。
それでもちゃんと最後まで書きます。僕は自分に嘘をつきたくないのです。自分をここに残したい。これからの事を読んで離れていく人がいる事も、残ってくれる人がいる事も僕はすべて受け止めようと思います。
ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
四国歩き遍路日記42日目のまえがき
四国歩き遍路日記42日目。秋の夜長という言葉があるけれど、夜が長いと心が塞ぐ。明けない夜におびえてしまう。今日は涙が溢れ出てたまらなかった。
それでも1日は終わり、1年は過ぎていく。鳥に囲まれ自然に囲まれ、山の上で今日も1日始まるよ。
どれだけ落ち込んだって、最後に笑う者が最もよく笑うのだ!
→他の日の四国歩き遍路日記はこちらにまとまっています、合わせてどうぞ。
※復刻にあたり、旅先で沢山写真を撮ったものをアップすることにしました。Facebookの方へ高画質のアルバムを作りましたのでよろしければ御覧くださいませ。
ブルーライトの真実
朝5時に起きてパソコン。何を書こうか。うーむ。まずは頭に思いつく限りを書いて目を覚まそう。
最近はどうにも時間がないので、なんとか生活のリズムを取り戻そうと布団から飛び出してすぐにパソコンの前に行くことにした。それが今。ブルーライトの光を受けて目を覚ますのだ。
世間では嫌われがちなブルーライトも使いようだ。目覚めには太陽の光がいいみたいだけれど、まだ太陽も出ていないので目に見える光の中で一番強いエネルギーを持つと言われているブルーライトを活用しよう。
こんな事言うと、中には「は?ブルーライトって目に悪いんだろ?ブルーライトカットのメガネだって出てるじゃないか!」なんていう人が出てくるかもしれない。
確かにブルーライトは網膜へのダメージがある光だと言われている。それは角膜や水晶体では吸収されず、直接網膜に届いてしまう種類の光だからだ。
ただね、それと同じタイプの光がある。それが太陽の光、紫外線だ。太陽を直接目で見てはいけないっていうのはそういう理由からで、角膜や水晶体では吸収されず、網膜に届くから。
でも太陽って必要じゃん?太陽を直接目で見ちゃいけないからってその光すべてに価値がないわけじゃないじゃん?
それと一緒でね、ブルーライトだって無価値じゃないんっすよ。絶対悪じゃないんすよ。太陽に一番近い光がブルーライトなんすよ。
近年ではブルーライトが体内のリズムを整えたり、健康を維持する上で重要な役割を担っている事が研究でわかったらしい。
…なんて事をパソコン大好きな僕はブルーライトカットメガネを買った時に調べたわけさ。僕はこの事実を知った時に衝撃を受けたね。ブルーライトは全力で取り込まないほうがいいんだろ!?ぐらいに思っていたから。
あぁ、人間ってどうして悪いイメージを持つものに対しては全力で拒絶するようにしちゃうんだろう。触らぬ神に祟りなし。まさにことわざ通りに動いてしまう。
そーいえば、これに似た話を先日、先生に聞いた。
それは放射線の事だ。ちょっと前にニュースでマイクロシーベルトとかベクレルなんて言葉を沢山聞いたと思う。変な機械を持ってきて、その数字をこれ見よがしに放送しているテレビもあって、風評被害を受けてしまった農家の人々も少なくないでしょう。
確かに放射線は高エネルギーを持っているので、大量に検知されたら危険だ。だけれど、ほとんどの人はこの「危険」という言葉しか耳に入ってこない。
危険なものは取り除かねばならない。少しでも存在していちゃダメなんだ!そんな意識になっちゃうだろう。
でもね、おそらくSFが好きな人なら知っている知識かもしれないけれど、実はこの放射線、人間の活動とは無関係に自然界にもともと存在している自然放射線というものがあるのだ。
それによって体の外から中から年間平均2400マイクロシーベルト分、人間は被曝をしている。言ってみれば人間は生きている限り被曝し続けているわけ。
そんな事ニュースでは教えてくれない。ニュースもビジネスだ。お客さんの興味をひくのが仕事。人々は「事実」よりも「危険」という事のほうにメッセージ性を強く感じるため、どうしてもそっちよりに話を持っていく。
いい話は簡単に信じないのに、悪い話はちょっとの話でも信じてしまう。自己防衛本能というものだろう。
「放射線は絶対悪。少しでも存在していたらそこに近づかない方がいいのだ。絶対に被曝したくないし!!」
そう思っている人はどれほどの数だろう。
でも知っておこう。被曝という言葉はあまりにも禍々しいイメージを持ってしまっている言葉なのだけれど、被曝は生きる上に必要な事だという事を。
なぜか?
人間の細胞は破壊と成長を繰り返す事で正常を保っているから。自分の手を見てみよう。細胞が死んで、垢になり、新しい細胞が生まれる。
破壊されなければ成長もしない。放射線の役割は成長を促す事なのだ。微量の放射線は必要なのだ。ゼロではいけない。
この世の中に存在するものはすべて意味がある。放射線は凄まじいパワーを持つため、扱い注意ではあるのだけれど、その存在意義は確実にある。絶対悪ではない。
何が言いたいのかと言うとつまりは、どんなものも使いよう。どんな人も使いようって事だ。どんな事も使い方次第なのだ。
先生は言う。
「この世に存在している限り、全てのものは何かしらの意味がある」
僕はこの言葉に感銘を受けた。
だからあなたに知ってほしい。もしいま、自分には価値ねーなと思ってしまっていたとしても、それはまだ使い道を発見出来ていないだけ。自分の価値は絶対にあるのだ。
この世に存在してちゃいけない命なんてないよ。この世に存在してちゃいけないあなたなんていないんだよ。だからもがこう。探そう。自分の居場所を。
…と、朝から熱く語ってみたがやっと目が覚めてきたので、一旦ここでパソコンを閉じることにしよう。やっぱりブルーライトの浴び「過ぎ」はいけないし、太陽も出てきた頃だ。
やかんファンファーレ
さてさて。ここからは生活の記録。話を少し戻すことにしよう。
朝起きてすぐにパソコンの電源を入れた僕。それにしても、5時ともなるとまだ辺りは真っ暗でなんとなく不気味。部屋の中も真っ暗でパソコンのモニターから放たれる光だけがボヤーッとあたりを照らす。
僕はパソコンの電源を入れると同時にポットのお湯を沸かし始めた。今日1日で使うお湯を準備するのだ。
パチパチとパソコンを叩き、時折鳴るヤカンのふぁーんという音の度にポットに入れていく。ここのポットは不思議な事に日に日にその数が増えていく。寒さとともに増えるのだろう。
しかし、やかんの数はひとつしかないのでお湯をわかすのも一苦労である。そこで僕は先生が内緒で僕に教えてくれたお湯を早く沸かす方法を実践してみた。
まぁ、内緒で教えてくれた方法をここで書き記してしまうと内緒ではなくなってしまうので、詳しくは書けないのだが、その方法を考えた先生は天才だなと思った。
実際かなりの時間を短縮出来たであろう。用意されているポットすべてに熱々のお湯を注ぎ終えた時刻は6時半。
…あれ?
1時間半ぐらいかかっているのか。それでも自分の感覚的にはふぁーんふぁーんというやかんの鳴き声のオンパレードであった。時間の経過は人間の意識によって感じ方が変わるね。
さてやることもやったし、パソコンでひとつ文章をまとめることも出来たし、毎日の日課である素振りに向かう事にしよう。
右に左に篠塚
ブンブン!!
僕は野球をやっていた時は右バッターだったのだけれど、野球を辞めてから素振りをする時は左をメインで振っている。僕の好きなバッターがことごとく左バッターだからだ。
ただ素振りをするだけではつまらない。僕がやっている素振りは憑依素振り。その選手になったつもりで目をつぶり、球場にいるかのように素振りをする。
ほら聞こえてきた。
右に左に篠塚♪
今日の僕は篠塚和典。どーもー。篠塚和典でーす。
…このネタ知っている人、このブログの読者にいるかな。応援歌の中で、あのメロディーが一番好き。
小鳥、襲来
素振りを終えた僕は、縁側に座って外を眺める。先生たちはまだ起きてこない。あれだけ暗かった山の景色も徐々に朝を迎え始めている。
あ!!
小鳥が飛んで来た。先生がちょっと前に作ったエサ台の効果か!?先日話をした、猫車に停まっている所を激写することが出来た!!この他の鳥の写真は一応Facebookのアルバムの方にあげておこう。
むふーっ!!テンション上がってきた〜!!
微妙な変化
先生とあねさんが起きてきたので朝食。今日もブログ用に朝食の写真を撮った。すると先生が、
「質素な食事だと思われたらあかんからなぁ〜」
と言いながら昨日の残り物を冷蔵庫から出してきた。
だ、だいぶ豪勢に見える!!
最近はどうやら僕のブログに関心があるようだ。あねさんはあねさんで「ここの所ずっと同じ魚でーす」と笑う。
…一見なんでもないエピソードなのだが、僕はこのとき本当は気がつくべきだったのだ。先生とあねさんの変化に。ただその重要性に気がつくのはもう少し後の事。
話を先に進めよう。
頭の中の小さな自分
ご飯を食べ終わる頃には空は爽快。気持ちの良い青だ。先生は鳴門金時の干し芋作りに向かう。あねさんは朝早く配達に出かけ山を降りて行った。
僕は「自分のことをやっていてええで」と言われたので、パソコンで先生のブログのデザインを弄る事にした。
そして突然やってきた憂鬱。
この感情はなんなのだろう。仕事が手に付かない。
仕事?僕が今やっていることは仕事なのか?
ブログを書き、収入を得る。そういう仕事。じゃあ、収入を得るためにブログを書いているのか?それは違う。僕は書きたいことを書いて、伝えたいことを伝えて、それが結果的に収入を得る事につながっているだけなのだ。
あぁ。わかった。
僕は自分の書きたいことに口を出されるのが嫌なのだ。人に指示されて書くのが嫌なのだ。僕は、自分の瞬間瞬間を切り取って文章を書きたいだけなのだ。
嘘が嫌いだ。
違う。
事実を忘れたくない。僕はこの旅日記は母や父への報告を兼ねて書いていると前に書いた。それは嘘ではない。
でも本音を言えば僕がずっとブログを続けているのは、死んだ子供に、あっちの世界に僕が行った時に話したいことを忘れたくないから。これが強いと思う。このブログは僕自身へのメモでもあるのだ。
旅日記は僕のブログのひとつのカテゴリーとして書いているのだけれど、ルールは変わらない。
僕が感じるままに、感じたとおりに書きたいのだ。
最近、ブログであれこれ言われることが多くなった。先生にも、あねさんにも、先生の奥さんにも、子どもたちにも。それが嫌なのだろうか。それがこの気持ちの原因なのだろうか。
「なんでそんなの書いてるの?読ませてもらっているよ。コメントに時間かけすぎじゃない?他の人にも宣伝してるよ。面白いね。あれは載せないでほしい。読みやすい。これはブログには書くなよ。お金になるの?読んでないよ。写真に気をつけろ。お前変わってるな…」
どれだろう。僕は何が引っかかっているのだろうか。これはブログには書くなよと注意されることか?それは仕方がない。企業秘密もあるだろうし、書かないことは嘘ではないじゃないか。
じゃあ、さっきの先生の行動か?
良く見せようとおかずを足したことか?
よく見せることは嘘なのか?
あぁ!!もうだめだ。頭の中がうるさくなってきた。
こうやって滞在させてもらっているのだ。そこのルールに従うのは普通の事であり、礼儀だ。嫌なら出てけよ!と普通の人なら言うだろう。でもここの人は言わないでいてくれる。
「ワシが怒る前に周りが代わりに怒ってくれるからワシは怒ることがなくなった」と先生は言った。
こうして長いこと滞在させてもらっているし、これだけ優しく接してもらっている。僕は先生に失礼な事をしてしまっているだろうか。本当ならば怒られて当然の事をしているのだろうか。僕は周りに嫌われているのだろうか。
うーむ。
自分の行動が誰かを傷つける。だからもう誰とも関わらずに生きていたかった。意識してもダメだ。誰かを傷つけないように傷つけないように気をつけているのに、結果的に傷つけてしまうのだ。
僕はそういう人間なのだ。
失敗だ。言わなければよかった。ブログのことなど言わなければよかったのだ。友人にだって教えていないのに、なぜ僕はここの人たちに自分のブログを教えてしまったのだろう。
読んでほしいと思ったのか?自分がいいことをしているとでも?
ちくしょう。なんで僕はここにいるのだろう。僕は本当に存在していていいのだろうか。朝、あんなにブルーライトで熱いことを語ったというのに、自分のこととなるととたんに自信がなくなってしまう。
人には偉そうに言えるのに、自分では出来ていない。どうしようもない自分。
僕は、悪だ。だから神様は僕に罰を与えたのだ。だから僕から子供を二人、奪い去ったのだ。
あぁ。
あああ!!
奪い去ったんじゃない。僕だ。僕のせいで死んでしまったんだ。
普段、神様なんて信じていないじゃないか!神様のせいにしてはいけない。人のせいにするな。自分が悪いんだ。自分の事なら正せばいい。人からどう言われようと、人からどう見られようと、自分をしっかり持てば大丈夫だ。
大丈夫だ。落ち着け。落ち着け。過去は変わらない。過去に引っ張られて、今をダメにしてはいけない。落ち着け。落ち着け。
やることが手につかず、その場をうろちょろしていると、ちょうどあねさんが配達から帰ってきた。
僕はそれで我に返った。時間は3時間ほど経過していた。
つながる沢庵
お昼を食べる。今日はうどんと残ったおかずでご飯を食べる。
なんだこれは。と先生が箸で沢庵をつまむ。つながる沢庵。僕はすかさず、写真を撮る。この沢庵は酸味のある沢庵で、長く漬けてあるちょっと高い沢庵なのだそうだ。
沢庵にすっかり笑わされた僕は、先程の自分などすっかり忘れてお腹いっぱい食べた。沢庵和尚に感謝しよう。
いい夫婦の日…
ご飯を食べ終わり、先生が作った干し芋をカットして干す作業の手伝いをする。僕は屋上に行った。あれほど綺麗だった青い空に薄っすらと雲がかかる。
あねさんと作業する。
なぜか涙が溢れてくる。なんだこれは。
そうか。11月22日が近づいてきているのか。
僕は5月と11月によく体調を崩す。理由は自分でもわかっているのだ。どうしても思い出してしまうのだ。幸せだったはずの記念日は、毎年僕を苦しめる日になった。
いい夫婦の日。僕らはその日に婚姻届を出した。別に語呂合わせで選んだのではなく、僕らをつないだaikoの誕生日が11月22日だったのだ。
中学3年生で声が出なくなり入院した僕は、病院でaikoの桜の時というシングルばかり聴いていた。3曲しかないシングルなのだが、中学生の僕には大金だった千円を使って手に入れたCD。
初回生産20万枚限定発売って事で、手に入れたときはものすごく嬉しかった。
3曲目のmore&moreの歌詞のないサビ。和紙のような歌詞カードを眺めると一つだけ書かれているどくろマーク。ブッタラッタラッタッタ〜♪と心地よく聴こえてくるaikoの声。裏面に描かれていた虹とブランコ。
病院で特にやることも無かった僕は時間の限り、aikoの声を聴いた。そして歌詞カードを焼き付くほど眺めた。
それもあって、僕はおとなになるまでひたすらaikoのファンで居続け、aikoのファンつながりで奥さんに出逢った。aikoのライブにも二人で行ったし、同じ趣味を共有している人なんて僕は今までいなかったからすごく居心地が良かった。
なのに、今ではaikoの曲も聴けなくなってしまった。あのひとつ描かれていたどくろマークが僕のもとに届いたのだ。
音楽に罪はない。しかし、音楽は記憶と結びついてしまう。好きなのに、好きなものに触れると苦しい。あれだけ眺めていたジャケットも、歌詞カードも今はすっかり押入れの中だ。
良い記憶、楽しかった記憶。それらに苦しめられる度に、人生とはなんだと思う。自分とはなんだと思う。
子供の頃は秋を好きだと思っていたが、今では終わりを感じセンチメンタルになる。秋の夕暮れは胸が苦しい。冬が来れば、夜が来れば、芽吹きを感じ、星が綺麗なのだが、秋は終わりしかない。
そんな秋を10回も繰り返している。
僕は流した涙を拭き、ほとんど何もせずにあねさんの作業を横で見ていた。どうやらそれらがすべて終わったようなので、先生に作業が終わったと告げると、僕の腫れた目をみたからなのか、ある昔の話をしてくれた。
お店を閉じた頃の話だ。
瓦解する世界
僕はここに来て先生の事が大好きになったが、時折、先生のことを怖いなと思うことがあった。先生の性格が急にガラリと変わるのだ。
あれだけ優しい性格をしている先生が、とある団体の話をする時だけ憎悪に満ちた顔になる。言葉遣いになる。もちろん世間的に見てもあまり好まれている団体ではないので、そういう事もあるよなと僕は思うようにしていたのだが、やはり先生の場合は極端だった。
その謎が先生の話によって、解き明かされたのだ。
これは非常にプライベートな事であるし、プライバシーの侵害にもなりうるので詳しい話はここには書かない。先生にブログには書いてくれるなと言われてもいるしさ。
だからこれを読んでくれているあなたにとってはチンプンカンプンな内容になってしまうかもしれないのだが、ここまでこの旅日記に書いてきた、先生の身の回りの変化はすべてこの事件に起因しているのだ。
この家に鍵をかけるようになった事、何年も続けていたお店を辞めてしまった事。何十年も続けていた社会に馴染めない人を受け入れ一緒に生活する事で社会復帰の手伝いをするボランティアの受け入れを中止した事。先生が人と話さなくなり、何十年も保っていた体重がげっそりやせ細ってしまった事。イノシシや鹿の狩猟を辞めた事。などなど。
僕はそれらを息子さんの病死のせいだと思っていた。僕と似たような境遇、子供をなくすという悲しみで苦しんだ二人を巡り合わせてくれたこの出逢いは運命なのだと思っていたしさ。
でも、話はそんなにシンプルなことではなかったのだ。
先生はその事件のせいで、息子さんの死に目に会えなかった。あれほど怒りに震えたことはなかったと言っていた。でも先生は最後に許すことを選択したのだ。
壮絶だ。僕の苦しみとは種類が違う。それもたった一年前の出来事なのだ。こうやって落ち着いて話をしてくれているのも、先生の強靭な精神だから出来る事なのだろう。
僕は話を聞き終え思う。人間の最大の武器は許す事だ。
怒りや喜びがバイタリティになる事もあるけれど、やはり人間が幸せに生きていく最大の武器は許す事だと思った。
物事に永遠はない。その事に怒り、哀しむことがあるかもしれないけれど、そうしていると心が続かない。許そう。受け止めよう。
夏草や 兵どもが 夢の跡
最近はこの句を本当に良く思い出す。全ては流れ、争いは去っていく。喜びも去っていく。栄華も人のつながりも。
全てを受け止めよう。
鴨の湯で相撲とオナラ
重たい話が続いてしまった。こういう雰囲気に息が詰まらないように、きっと出来る限り山から降りるようにしているのだろう。仕事を終え、山を降りる。
夕陽の沈む頃。カラスが群れをなして、電線から羽ばたいていた。僕はまたなんとなくセンチメンタルな気分になる。
1日と四季。夕方はきっと秋だな。
おなじみの鴨の湯。ロッカーは夕方ぐらいにしては空いている。お風呂もなかなか空いていて、僕はいつものように露天風呂に浸かる。
月はまだ見えず、目を閉じてブクブク頭の中で一本でーもニンジン、二足でーもサンダル、三艘でーもヨーオォット♪と、唄った。
不安は拭いきれない。先生の話は僕にひとつの種を植え付けた。これ以上、僕は何も書けないかもしれない。
どれだけ体をお湯につけても気分がスッキリしなかったので僕はサウナに入ることにした。一汗かいて、すべてを忘れるのだ。
うおお!!!!
サウナに入りビックリした。むっちゃ混んでる!な、なぜだ!と思いテレビを観て納得した。大相撲だ。
僕は日馬富士が闘う所から観たが、お客さん達は大盛況のようだ。取り組みを観てはヤジを飛ばす。あ、日馬富士負けた。
僕は相撲が大好きだ。こうやってサウナで観る相撲も面白い。今日の取り組みはあと二番。稀勢の里と白鵬は観ておこう。
しかし流石サウナ。熱い。他のお客さんは出ては身体を冷まし、また入るを繰り返す。
席を取られては最後まで見る事が出来ない。これは我慢だなと耐える事を決意。
その瞬間。
ぷぅ〜。
隣のおっちゃんが屁をこいた。こ、これはー!?密室でどうなんだ!?臭いのか臭くないのか!?
稀勢の里の取り組みが時間一杯で始まろうとする瞬間、僕の頭の中はオナラで一杯だった。
クンクン。クンクン。匂ってこない。
サウナは乾燥しているから空気内の水蒸気を伝って匂いが鼻に届いてくる事はないのか?と推測した。まだ匂わない。うん。大丈夫だ。サウナで屁をこいても臭くないのだ。
その結論に達した時には、稀勢の里が突き落としで勝ってた。…いつの間に!!
見逃してしまった。
結論。サウナでのオナラは相撲を見逃させる効果がある。
山で天気予報
どうやら明日は天気が崩れるようだ。山の天気の判断方法は2つ。
1.遠くに見える山の淵がくっきり見えない場合は次の日は天候が崩れやすい。
2.山の動物達が雨降る前にエサを確保しておこうと、動き回るので、山でよく見かけると次の日は天候が崩れやすい。
今日は山の淵が霧がかり、飛行機雲もすぐには消えなかった。
そして、山を戻る途中、ウサギ、アナグマ、シカ、イノシシを見た。イノシシはフゴフゴ言って怒っていた気がする。
フンガーという鳴き声にビビった僕にあねさんが笑っていた。
そー言えばお父さんは元気だろうか。そんな事をふと考えながら山の上まで登り切る。
再び先生のテキパキ
山の上の小屋に戻ると、遅めの夕食の準備をする。先生は小屋に着くなり、テキパキと行動開始。今日はモツ鍋だ。鍋といえば先生だ。
僕は足手まといにならない様にと、ガスボンベを用意したり、お茶碗を用意したりしている。
そして手持ち無沙汰になってミカンを撮ったりする僕。
テキパキテキパキ。チーン。山に着いてから17分後には鍋の準備が出来上がる。先生の手際、恐るべし。
17分は先生が自分で測っていた時間。目標を持って行動するって大切。「どうじゃー」と、したり顔。
鍋だー!うまそー!!
…と、食べ始めると、普段は鳴らない僕のケータイが鳴り始める。
!?
あ。お父さんだ。不思議な事が起こるものだ。さっき頭で考えていたら、電話がかかってきた。この旅で初めて父からの電話。
僕はちょっとすいません、と先生たちに断りを入れ、ピシャリと箸を置いた。そして電波を探して外に飛び出す。
久しぶりに両親と電話で話した。元気そうでなにより。お遍路再開について聞かれたけれど、まぁとりあえず寒くたってなんだって、周ってから帰りたいと思う。
寝袋も寒い用のやつをワザワザ買ったわけだし。洋服も先生にもらったし。うん。寒さは大丈夫。
「先生に色々ともらってばかりだから、さいたまのお土産を何か送ろうと思うんだけど、何がいい?」と聞かれたので、彩果の宝石がいいのでは?あとは白鷺宝かな?と答えておいた。
電話を切った後、さいたまのお土産を送ってくれるそうですと先生に伝えると、「草加せんべいか!?」と笑っていた。
多分、彩果の宝石も白鷺宝も知らないよね〜。知名度低いよな、さいたまのお菓子。埼玉ではなくさいたまの。
散髪大会開催!
すっかり長電話をしてしまい、ひとり食事に取り残された僕はぬるくなったモツ鍋を急いでお腹に流し入れた。食事の後にすることがあったのだ。
最近、あねさんが髪を切りたいと言っていたのだが、あねさんは決まった所でしか切れないのだそうだ。そしていつも行っている美容院の美容師さんとなかなか予定が合わない。
「それならワシが切ってあげよう」と、先生は提案する。そして間髪入れず「ブルーシートと40Lのナイロン袋を持ってこい!」と叫んだ。
あねさんは「ええー!?」と若干の拒否を示しながらも、袋を持って来た。これは面白そうだと僕はブルーシートを取ってくる。
ゴミ袋に穴を開け、あねさんがカポッと被る。そしてブルーシートにちょこんと正座。即席散髪屋の出来上がりだ。
僕は先生にこんな感じの髪型いいんじゃないですか?とケータイでマッシュボブを検索して見せた。「よし、任せておけ!」と先生はなんのためらいもなくチョキチョキ。
バサりバサリりと切られていく髪。僕は時折、ここはこんな感じだと思いますと、横からちょこちょこ言う。
あはははは。
チョキチョキ。
あはははは。
チョキチョキ。
あー、なんか幸せだ。
仕上がった髪をカメラで撮って見せるとあねさんはもう鏡を見るの辞めよう…。と言っていた。それを見て、先生はまたガハハと笑っていた。
でもあれだよ。10歳ぐらい若返っていたよ。僕はかなり似合っていると思った。うん。なんだかんだで、先生は手先が器用だ。
僕の失敗
「次は野口君の番やな」と、あねさんが言ったが、「ワシはやらん」と先生は断る。なので、バリカンを借りて自分で刈ることにした。僕の髪の毛もだいぶ伸びてきた頃だ。
金髪ロングだった髪をこの旅に出る前に自分でショートモヒカンにした。あれから1ヶ月以上経っているのでもみあげあたりがモジャモジャしてきた。そこらへんを刈ることにしよう。
アタッチメントを6mmにセットし、散髪開始!
ブイーン。
ブイーン。
僕はあねさんが持ってきてくれた鏡を見ながら脇をカットしていく。
…あれ?
6mmってこんなに短かったっけ?
あー!!逆にバリカンかけちゃってるよ!アタッチメントを取り付けていない部分でやってしまった!!
うわー!!髪がごっそり落ちてる!!
先生とあねさん爆笑。
でも不思議なもので、最初は変だと思った髪型も、見慣れてくる。
先生は「さらに顔が長く見えて馬面になったな!」と笑っていた(笑)
うむ。スッキリした!…なんかカポッと髪の毛が乗っているみたいになってるけれど。
四国歩き遍路日記42日目まとめ
散髪を終え、部屋を片付けた後、あねさんはチャーシュー作りに入り、僕はお腹が減ったので、鳴門金時のクリームを塗りたくったトーストを食べた。
先生はウトウト床で眠っている。
なんだかんだで、今日はセンチメンタルになったけれど、1日終えたらやはり幸せな日々だ。
そしてまた夜は明けていく。
そんな『四国歩き遍路日記42日目』。