四国歩き遍路日記43日目。この旅の記録は以前、統合失調症の僕が歩きお遍路の旅をしながらその場で公開していた日記ですが、諸事情により公開を辞めてしまったものを再編集したものです。
前回もこの部分に書いた通り、42日以降は旅中に公開せずに下書きしていた内容の発表になります。
さきに言いますと、実は43日目はどうしても発表したい内容でした。
それでも42日目がネックだったので、連続して書いていた事もあって43日目はお蔵入りになっていました。なので、今回こうやって時間が経ってでも、公開出来る事が僕はすごく嬉しいです。
まぁ、今回も内容は若干ダークなんですけどね。それでもそれを吹き飛ばすほどの自然現象との遭遇に僕は感動を覚えました。なので、前回同様今回の内容は下書きどおり、ほぼ手を加えずに出そうと思います。
あ、記事の冒頭で日記を書くのは辞めようと決意している部分がありますが、それは旅中の事ですので次回以降もこの旅日記は続きます。ご理解くださいませ。
ではでは、再編集版よろしくどうぞ。
四国歩き遍路日記43日目のまえがき
四国歩き遍路日記43日目。昨日から精神的に不安定なのが自分でもよくわかる。幸せな生活を送らせてもらっているはずなのに、僕自身でそれをぶち壊してしまっている。
人間は何なのだろう。幸せな事が不安なのだろうか。幸せを壊すように出来ているのだろうか。毎日が何事もなく過ごしていくこと。それはとても幸せなことなのに、自分の手で波風を立ててしまう。
恵まれすぎている。きっとそうなのだろう。それを自ら壊すことは自己防衛なのだ。自分から不幸の道に走っていけば、不意に下に落ちることはない。
高く高く登ってしまえば、突然下に落ちた時に大きく傷つく。それを恐れて僕は10年もウジウジしているのかもしれない。自ら不幸を語っていれば誰からも責められない。あぁ。そんな自分が嫌だ。
…そんな感じの僕のウジウジを吹き飛ばしてくれる大自然。自然ってすげーなというのが、今日のお話です。
→他の日の四国歩き遍路日記はこちらにまとまっています、合わせてどうぞ。
※復刻にあたり、旅先で沢山写真を撮ったものをアップすることにしました。Facebookの方へ高画質のアルバムを作りましたのでよろしければ御覧くださいませ。
目覚ましに勝つ
朝起きると辺りは真っ暗であった。ケータイを手で探り時計を見る。時刻は4時55分。目覚ましが鳴る30分ほど前。僕は電気をつけ服を着替える。すぐに移動の準備をし、パソコンが置いてある部屋に向かう。
よし!最近の自分よし!
朝早く起きると自分を褒めてあげたくなる。逆にここの所、朝寝坊をして自分の事が嫌いになっていたから、これは良い兆候だ。明日もなんとか起きなければ。
そんな事を考えながらパソコンに電源を入れ、それと同時に洗濯機へ。
そう。今日は3日に一度の洗濯の日。天候は雨だがパンツがなければ生きていけない。人間は、パンツがなければ生きていけないのだ!洗おう、パンツを!人生に希望を!!
…若干変なテンションのままグルグルと洗濯機を回し、部屋に戻る。後は昨日と同じようにヤカンに火をかけながらパソコンだ。今日は麦茶も沸かしておくことにしよう。
そしてパソコンの前に座る。しかし、僕の気持ちは昨日と同じようにはいかなかった。
先生が昨日の話の終わりに言った言葉が頭の中に残っていたのである。
人の目
「ワシには驕りがあった。今まで人様にどんな事を思われてもいいと思っていた。人がどう思おうと、お天道様が見てくれるのだから気にしなくていいと。でもワシは学んだ。もっと人にどう思われているのか、気にしながら行動しなければならなかったのだと」
僕は考えた。
なぜ、あのタイミングで僕にこの話をしたのかと。あれは暗喩的に僕の事を言っているのではなかろうか。気になるのは、先生が前に言っていた話と違うところだ。
お天道様が見てくれている。だから人にどう言われても自分の中でしっかりと芯を持っていればいい。人にわざわざ自分の考えを押し付ける必要はない。
そんな感じのことを前に僕に言ってくれた。
でも昨日の話はどうだ。もっと人の目を気にしろと言われているような気がする。人の目とはなんだ。それはきっとブログの記事の事だろう。僕はなにかまずい事を書いただろうか…。
確かに前に注意されたことはあった。あれを書かれると知り合いが読んだ時に嫌な気分になるかもしれないと。それは考えすぎなのではないだろうか?と思ったけれど、迷惑をかけるわけにはいかないので、該当箇所は修正しておいた。
僕は悪意を持ってこの記事を書いているわけではない。ここの人たちが少しでも良くなればいいなと思って書いている。
少しでも宣伝になればいいなと思っているし、ここの人たちの人柄や僕が学んだことを共有する事で、どこかで悩んでいる人の心が少しでも軽くなったらいいなと思って書いている。だから笑いも少し含めて書く。
実際、僕のブログから商品を買ってくれた人もいた。記事を読んで勇気をもらったという人もいた。それはまずい事なのだろうか。確かにありがた迷惑という言葉もある。善意が必ずしもその人にとって良いものとは限らない。
あぁ。そうか。確かにそうだ。僕が勝手に良かれと思ったことは、必ずしもここの人たちにとって良いことではないのだ。もっと気を使わなければならない。人に自分の考え、行動を押し付けてはならないのだ。
もう辞めよう。ここでの生活を記事に書くのは。
僕はそう誓った。
タイマーが鳴る
(記事に書かない誓いをたてたけれど、やはりここでの生活の記録だけはメモしておいた。それのおかげでこうやって公開出来ています。)
僕がパソコンで記事を書いていると、ケータイのタイマーがなった。素振りの時間だ。
外に出ると、もう辺りは明るくなっていた。
時間が経つのが早い。早すぎる。それにしても靄がすごいなぁ…。
気温は9℃を指している。山の上は山の下に比べて5℃程低いようだ。つまり14℃ぐらいなわけだね、街の温度は。
埼玉に比べてどうなんだろ。まだ僕は寒さを感じないけど、先生たちは冷えてきたと言ってた。
とりあえず今日も素振りをする。雨を頭に感じながら素振りを続ける。音は鈍い。
まぁ、寒さを感じないって言ったのに、ウィンドブレーカーをちゃっかり着てるけどね。寒さによって体がうまく動かないのかもしれない。もっともっとビュンビュン振らなければ。
分厚いハム
朝ごはんの準備をし、ハムを頬張る。肉厚なハムが美味い!300円ぐらいするらしいけど、たまに買うのだそうだ。確かにここに来てこのハム食べたのは2回目か!?3回目か!?毎回美味しさにビックリしてる気がする。
昔、小学生の時に海外でホームステイをしていた時にうっすいうっすいベーコンをカリカリに揚げた物を食べた事があった。
あまり好きな食べ物自体が無かった僕は、そのベーコンにすこぶる感動した。そしてそこではそればっかり食べていた。
それから食べ物というのは、うすく切るのが一番美味しい食べ方なのだと思っていた。大根のかつらむきだって薄く切る方がいいし、キャベツの千切りも薄く切ったものの方が美味しい。ふぐだって薄く透き通るぐらいに切るほうが高級らしい。
つまりは薄く切るというのは技術が必要なのだ。技術が上乗せされれば美味しく感じるのも不思議ではない。そして薄く切ることで独特な食感が生み出される。美味しさとは食感なのだ。
…と思っていたのだが、その思い込みをぶち壊したのはバーベキューの時に食べた分厚く切ったベーコンだった。
ベーコンはあのペラペラの存在しか知らなかったので、ブロックベーコンを見た時になんだこれは!?と思った。あのジューシーさよっ!ベーコンが途端にごちそうに変身する!!
まぁ、何が言いたいのかといえば、食べ物って切り方でガラリと変わるよねって事なのです。
分厚いハム、うま!!
掃除機、パソコン、統合失調症
ご飯を食べ終えると、あねさんは掃除機をかけた。けたたましく鳴るキーンという吸引音。ここに掃除機があることを初めて知った。
僕はトイレで用を足し、パソコンを始める。雨が降っているので手伝う事が少ないのだ。先生のブログでもいじることにしよう。
パチパチパチパチ。
そこに声が聞こえてくる。
またお前は傷つける。またお前はぶち壊す。
お前がやる事はすべて悪だ。お前の書く事が人々を不幸にする。
…僕は頭が痛くなる。
どうしよう。僕が書いた事が変な風に捉えられて、人を傷つけたらどうしよう。僕の行動が人を不幸にしたらどうしよう。
どの記事だ。どの記事が問題なのだ。すでに40近く記事を書いている。ひとつひとつも文章が長い。どこが問題なのか確認するにも時間がかかる。
しかし、やらなければいけないのか。これから書かない事にしたとしても、今まで書いたものはどうすればいいのだ。
なんでだ。僕は何を間違えた。僕が今まで書いてきたものは何なのだ。それほど人を傷つけるようなものだったのか。消すべきか。消すべきなのか。
これほど時間をかけたのに?
ほらまたお前は自分の事しか考えていない。偽善者が。何が人のためだ。ここの人のために書いた?誰がそんな事を頼んだ?お前が勝手に書いたことなのだから、すべてはお前の責任だ。
またお前はぶっ壊すのだ。お前は何も変わっていない。
どうしようどうしようどうしよう…。
逃げ出したくなり、僕は席を立った。
どうしたらいいかわからない。
僕は、お昼ご飯の準備を終え、食べようとしている先生とあねさんに少し歩いてきていいですか?と言う。言葉がすんなり出てこない。まただ。またどもりが始まった。
先生は僕の異変に気がつき、「落ち着きなさい」と席に座らせる。飲み物が目の前に出される。
僕はちょこんと座り、少しずつ言葉にする。
先生はうんうんとゆっくりと僕の言葉を待つ。
しいたけ工場で働いていた事を思い出す。障害者を馬鹿にする社員。それに腹を立て、福祉に訴えた僕。
そんなつもりはなかったのに、結果は大変な事になってしまった。僕はただ、馬鹿にするのを辞めて欲しかっただけなのに、関係ない人までも巻き込んでしまった。
ああ。いつもこうだ。
僕は先を読めない。良かれと信じて不幸を呼んでしまう。
子供の事もそうだ。僕のせいだ。1人目も。2人目も。
香遥くん。香音ちゃん。あぁ。
思い出した。位牌の前で独り拝む日々を。コップの淵に濁っていく水を。
未来を見せてあげられなかった。なんという。ゴミのような自分。
止まらないネガティヴ。止まらない自己否定。どうしても自分を許す事が出来ない。
思い出した。自分がどれだけ弱いかを。自分がどれだけ周りを巻き込んでしまうかを。
亡くなった子供達に早く逢いたいと願い、大量の睡眠薬を飲み、気がつけば病院のベッドの上。
あぁ。なんで僕は生きているのだろう。なんで僕は生まれてきたのだろう。なんで僕は弱いのだろう。なんで僕は死ねなかったのだろう。
思い出される日々。頭がなんでで一杯になる。先生は何度も「大丈夫だ」と言ってくれる。なんでをかき消すように「大丈夫」が聞こえてくる。
落ち着いてきた。そして腹が減った。どれだけ落ち込んでいても腹が減るのだから嫌になってしまう。腹が減るということは生きたいという事なのだと勝手に解釈し、目の前の鍋をつつく事にした。
食べる力
鍋はすでに先生とあねさんによってつつかれており、〆のラーメンが投入されていた。
僕は良く煮たったその鍋を腹に流し込み、満腹感を得た。腹が満たされると心も満たされる。食べるという事はパワーだと僕はその時思った。
そして、僕の体は甘いもの欲し始める。あねさんが作ったジャム。それをトーストに塗って食べる事にした。
こ、これが桃ジャムか!?あまりにも市販の物とは色が違う事にビックリするが、一口食べるとそのビックリはさらに加速する。
な、なんじゃこりゃー!!うまーー!!
う、うますぎる。ジャムとはこんなに美味しいものだったのか。これは危険だ。トーストがご馳走に変身する。誰かが止めなければ、簡単に一斤の食パンなど消えてしまうだろう。
すげぇぜ。桃ジャム。
何も手伝っていなかったので…
お腹がいっぱいになると、僕はなんとなく申し訳ない気持ちで一杯になった。
手伝いもせず、パニックを起こし、面倒な事をブツブツ言うだけの男。いかん。またネガティヴな思考回路が。
僕はそんな悪いイメージを払拭すべく、干し芋の袋詰めを手伝う事にした。単純作業はいいものだ。淡々と干し芋を綺麗な向きで袋に詰めていく。これをしていると頭の声は静かになる。
仕事を終えた頃にはあねさんが桃ジャムを瓶に詰め終えていた。こんなに沢山の桃ジャム!
全部買います!ってな勢いで欲しい。それぐらい美味かったのだ。
今日のお仕事はおしまい。気分転換に山を降りてお風呂へ向かう。
あぁ、今日はほとんど何も出来なかったな…。
雲海というもの
息を呑んだ。
まさにその表現がふさわしい。いつもの道を車で降りながらも、やはり僕の心はモヤモヤとしていた。どうしてこうもパニックを引き起こしてしまうのだろう。
自分の心の衝動をコントロールする事が出来ない。スイッチが入るともうダメだ。
そんな事を考えながら外の景色を眺めていると突然現れた雲の海。
うおおおおおおおおお!!!!!
こ、こんな景色初めてみた!!
圧倒的な景色。僕の心のモヤモヤなど大した事がないのだと思えるほど、それは圧倒的だった。
なんだか心がスッキリする。これは良かった。本当にすごい。大自然は何もかもわかっている。僕に何かを教えようとしてくれている。
そんな不思議ちゃんな事を考えてしまうほど、自分の心と景色がマッチした瞬間だった。
晴れた。雨が降ってそして晴れた。雨が降ったからこそ見えるこの景色。落ち込むこともあるけれど、それがあるから色々なことに感動し、生きていけるのだ。
人生楽ありゃ苦もあるさって歌があるけど、今は「人生、雲ありゃ楽あるさ」って気分だ。雲ってすごい。雲を見るだけで気持ちがスッと楽になった。
こっちを見てる
そして車はドンドン進む。雨上がりで地面が濡れているのにすごいスピードで下っていく。
その時である。
あー!!何かがこっちを見ている!!
鹿だー!!
ピョンピョンと軽やかに道を横断し、こちらと一定の距離を取った後、鹿は不思議そうにこちらをずっと眺めていた。
「なに?何かようなのかシカ?」とでも言うように。
逃げないな。あのシカ。
シカとのにらめっこを諦め山を降り、平坦な道を進む。夕暮れが綺麗だ。
遠くに見える山の間に夕陽が沈む。
2度楽しめる吉野川温泉
今日の温泉は吉野川温泉。ここはジェットバスが面白い。プールのような深さの温泉に入り、体が吹っ飛ぶほどのジェットバスが飛んでくる。
たまに男湯と女湯が入れ替わる。ジェットバスの種類が違うので、2度楽しめる。もう1つの方は寝っ転がりながら腰や太ももをマッサージしてくれるものなので、それはそれでリラックス出来るのだ。
値段も他と比べて100円ほど安いので、機会があれば是非。
揚げ玉ボンバー
温泉を出た後は丸亀製麺に向かった。
ここの丸亀製麺は、先生たちと初めて出逢ったあの日に、最初に連れて行ってもらったうどん屋さんである。なので、ここに来るとなんとなくこの旅の始まりを思い出す。
もしかしたら、先生はそれを意識して連れてきてくれたのだろうか。
今日は変に頭を使ったせいか、腹が減った。なので最初に出逢った日と同じように、おろし醤油うどんの大を頼み、思いの限り揚げ玉とネギをかけまくって食べた。
ほれ。健康に悪そうじゃろ?…でも、むちゃくちゃ美味しいのだよ。体重を気にせず完食してしまった。えへへ。
揚げ玉のプラス分をネギがマイナスにしてくれているので、プラスマイナスゼロ!だから、大丈夫だと思うことにしよう。セーフ!
あ、ちなみに揚げ玉を天かすと呼ぶ事もあるけれど、比較的関東では揚げ玉、関西では天かすと呼ぶ人が多いらしいよ。そもそも江戸の蕎麦屋さんが無料で「揚げ玉」と名前をつけて出したのが始まりらしい。
食材として目的を持って作るものを揚げ玉、天ぷらを作った残りで作ったのを天かすと呼ぶ説だったり、小エビとか入っているものを揚げ玉、何も入っていないものを天かすと呼ぶ説があったり、揚げ玉って面白いし、美味しい。
お金がないときはご飯に揚げ玉のせて、温めためんつゆをかけて簡易天丼を食べる事があるぐらい、揚げ玉大好きだ。
揚げ玉ボンバー!
(UFO仮面ヤキソバンを君は知っているか!?)
戻る途中にウサギさん
うどん(ほぼ揚げ玉)で腹を満たし、山の上の小屋に戻る。その途中の事。突然車の目の前にウサギさんが飛び出してきた。
ピョーン。
ビックリするほどのスピードで道を横切り…
山の中に消えていった。あれは本当にウサギだったのだろうか…。ウサギさん、速すぎる。
鳴門金時パンと銀杏
小屋に戻った後、あれだけうどん屋さんで揚げ玉を食べたにも関わらず、腹が減った。これはもう習慣だ。習慣でお腹が減っているのだ。
僕は干し芋制作の途中で出た余分な鳴門金時をパンに塗りたくりオーブントースターで焼いてみた。
銀杏を添えて食べると、非常に美味しかった。この余分な芋、なんか活用出来ないもんかな。
ちなみに昨日も銀杏を食べたのだけれど、この銀杏、中を開くとエメラルドグリーンなんだよね。僕が知っている銀杏は黄色なんだけども。なんの違いなんだろ?
あれかな。収穫時期が違うのかな。それとも種類が違うのかな。うーん。
四国歩き遍路日記43日目まとめ
僕がパンをモグモグ頬張っているとあねさんがなにやら鍋でグツグツと煮ていた。それを覗いてみると、なにやら柿のようなものがたくさん転がっている。
これはカリン。
僕がスズメバチとのバトルの末に拾ってきたやつだ。まぁ、その後にあねさんが普通に採ってきたやつがほとんどなんだけど。僕が拾ったのは1つだけ。
カリンを煮詰めた汁を飲ませてもらったが、妙なエグみがあって、美味しいのだか苦いのだかわからなかった。
色はピンク色で美味しそうなんだが。
先生はそれを見て、「1度煮詰めた後にそれを捨てなければアクが取れない」と言っていた。あねさんは「煮詰めた後に砂糖を入れてしまったので、もう仕方ない。仕方ない」と言って、ペットボトルにその液体を詰めていた。
これは一体誰かが飲むのだろうか…。けっこうなエグみが口に広がる。修行だと思ってちょっとずつ飲んで行く事にしよう。
その後、有機野菜と食品の話。命と経済。はちみつと蜂のくちばしの長さの話などを先生から聞いた。機会があったらまた披露する事にしよう。
今日は色々と頭を使った。頭が割れそうに痛い。早く眠るとしよう。
それにしても、あの雲海は本当に見事だった。時々あの写真を見て勇気をもらうことにしよう。空ってやっぱりいいなぁ。
四国歩き遍路日記43日目の出来事。