『孤独』という詩を発見したのだが、自転車で逃げている時の事だった

孤独

気が付きゃ太陽消えていて 自分の目印消えていて

周りは暗闇 闇だらけ

痛い辛いと叫んでも 誰の耳にも届かない

人の心のスイッチは どこにも見えない見つからない
スイッチ一つで明るくなれば どれほど必死に探すだろう

振り向き光が次第に消えて 前も後ろもわからない
自分が歩んだ道さえも 自信が持てない自分がない

消えてしまえば楽になる そう考えてはみたものの
消える勇気も持ってない

独りが好きだと嘯いたって 隣の芝生が青く見えるな
社会や周りや世間のせいさ 誰かのせいで自分は独り

そんな周りを嫌いになって 結局自分が一番嫌い

誰かに認めてもらいたかった 頑張ったのに何もない
そのうちすべてが嫌いになって 自分の砦を確保する

自分 自分 自分がいいや

誰にも迷惑かけないのだし 誰も僕にかまってくれるな

好き 嫌い 大嫌い

そんな感情すべてを捨てて どうでもいい気になってきた

だけど時々淋しくなるなら
孤独とおさらばしようじゃないか

今の環境すべてを捨てて 隣の町にいってごらん
そこには夜でも灯りがついて 不思議と心が温かい

一度光が見えたなら 過去の自分のこだわり捨てて
扉をたたいてあいさつしよう

自分の過去など関係なくて 自分の今をみてくれる
そこでも失敗あいさつ出来ずに 人に冷たい顔をされても
自分の足ならまだまだ歩ける

隣の隣の町まで出かけて 扉をたたいてあいさつしよう

きっといつかは 自分の望んだ光の世界が見つかるはずさ
きっと世界がまるいのは いつでもそこがスタートだから

始まり終わりを作らない

自分が誰かと手をつなぎたい そうだと心に願ったのなら
今からそこがスタートだ

自分が描いた世界は広い 世界はいつでも人に優しく
思ったよりもあたたかい

疲れた時は歩いてみるのも 風が変わっていいかもしれない

スポンサードリンク

孤独について2012年に書いた詩を発見しまして

孤独-01

孤独を感じるときって意外と多いと思うんですが、自分が6年前どんな事で孤独を感じていたかなんて覚えているものでしょうか?ってか、6年前の自分が何をしていたのか覚えてます?

僕は何でも記録をする癖がありまして、写真やら日記やらいたるところに自分の活動記録が残っているのですが、その中に「孤独」と書かれた詩がありました。孤独。ええ。今も感じますよ。でも20代の時のそれとは違っている気もします。

日付が2012年11月13日に書いたと書かれていました。2012年11日13日。一体何をやっていたかなぁ…と、その頃の日記やら写真などを観てみますと、なんとチャリの旅をしていた時の事ではないですか。

まじかよ。チャリって孤独な乗り物に自ら乗っているのに、孤独感じちゃっているのかよ。

…でも思い出しました。夜に海沿いの坂道を登っている時の事。後ろを振り返ると闇。圧倒的な闇。聞こえてくる波が壁に当たる音が恐ろしくて。夜の海ってこえぇ…って思って逃げるように漕いだのを思い出しました。

それがそのまま詩の中に書かれていました。痛い辛いと叫んでみてもってのはきっと、お尻が痛い辛いって事でしょう。チャリの旅は痔との戦いだったので。

疲れた時は歩いてみるのも 風が変わっていいかもしれない

これ、最初に読んだ時になのことやねん、疲れたら歩けないやん!って思ったんですが、チャリを降りて歩いてみるのもって事なんですな。

はぁ。なかなか昔の書いた詩っていうのも、その時の状況や心情を盛り込んだもので構成されていて、自分が書いたにも関わらず意味がわからないものが多い。

これってどうなんだろう。短歌とかって、実はこの時詠んだ人はこんな所にいてその時の心情を詠ったものである。的な解説が付くものあるじゃないですか。そのたびにしらんがな!!短歌はその歌だけで独立するべきだろ!なんて思っていたのに、自分でもやっていた。

孤独をかき消そうと自転車で旅に出たんですがね

孤独-02

結局の所、場所なんて関係ないっす。どこにいても孤独は孤独。そうじゃない時はそうじゃない。よくよく自分探しなんて言って旅に出たりしたものだけど、自分なんてね旅先じゃ見つからないと思いました。

いや、正しくないな。旅先でも見つかるかもしれませんが、見つかったのなら、それは家にいても見つかったもの。自分は常にどこにでもいる。それを再確認するものなんじゃないかな…って思う。

どこに行ってもどこに逃げても自分が変わらないと何も変わらない。環境を変えることで何かが変わったのなら、それは環境をきっかけに自分が変わったということ。環境を変えても自分が変わっていなかったなら何も変わらない。

そんな事をポエムで書いてあるけど、6年経った今の僕もそう思います。うん。逃げまくったけど、どこに逃げても逃げ切れない。立ち向かわないと。時々、距離を置くことは必要だけどね。でもいつか問題を解決しなきゃいけないときは必ず来る事は知っておかねば。

スポンサードリンク

孤独はいやだね。孤独から開放される方法…

孤独-03

さてさて。孤独と戦い続けてきた僕ですが、今ここで孤独から開放される方法をお話しておこうと思います。僕なりの方法なので絶対の法というわけではありませんので参考程度に聞いていただければいいかなと。

孤独はその名の通り毒です。取り除かねばなりません。孤独ほど辛いものはありません。孤独をこじらせると生命さえも危うくなります。だから今あなたがもし孤独に毒されているのであれば、よかったらお試し下さい。

さてその方法ですが…。

「一人になること」です。

ええ。トンチじゃないです。一休さんじゃないです。旅に出ればわかります。一人で旅していると絶対に話しかけられます。それはなぜか。一人だと目立つからです。

孤独ってね、やっぱり人が多い所にいればいるほど感じるものだと思うのです。こんなに人が沢山いるのに、誰も自分のことをわかってくれない。誰も自分を見てくれない。自分に気がついてくれない。ひとりぼっち。

それは人が多い所にいるから。自分を他の人と比較出来る場所にいるから。そんな時は隣町まで歩きましょう。誰も人が通らないような大きな道を歩きましょう。あなたはきっと一人だとは感じるでしょうが、孤独さは消えるはずです。

そして運良く、人とすれ違ったなら、あいさつしましょう。元気よく。どうせ二度と会わないかもしれない人です。だからこそ嫌われたっていいのです。自分のキャラじゃなくても元気よく笑顔で挨拶。

そして無視されたとしても、めげません。また歩いていればすれ違う人がいます。そしてもう一度挨拶。元気よく。今度は少し笑顔を崩して挨拶。

これを繰り返していって、人と話をしましょう。きっと相手はあなたの事しか見ません。これを街なかで行ったらどうでしょう。そもそもあなたのことを見てくれないかもしれません。

旅に出て思うのですが、この日本には動いている限り、一人になれる場所はそうそうありません。どこにでも人はいるのです。山の中でさえそうでした。真っ暗闇の中で一人歩いていて、誰も通らんだろうと歌っていたら人とすれ違ってビックリしました。夜中の3時ごろの事です。山の中です。マジかよ…。犬も歩けば棒に当たるってのは本当なのです。

つまりは孤独が嫌なのであれば、一人になれる場所を探しにひたすら動いてみましょう。一人っきりになれる場所なんて動いている限りは本当に少ないのです。

そうなってくると、孤独って実はすっごく贅沢な趣味なのでは?って思ってきます。孤独に浸れるってすげーことなんだなぁと。そこまで行ければあなたはもう大丈夫。孤独を克服できます。

ひとつだけポイントなのは動くことです。止まった瞬間に一人は簡単なのです。部屋にこもれば良いのですから。でも一人になれる場所を探し歩くとなるとなかなか見つからない。

孤独に毒される人はいつも動きを止めてしまっている。行こう。一人になれる場所へ。歩こう。

…と、参考にならない話だったかも知れません。そしたらすいません。でもね、僕が孤独を感じた時はそうしているよーという話でした。参考になったらなら、変なポエムをさらしたかいがあったってもんよー!

ではでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。孤独についてのポエムと体験談でした。

野口明人

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

谷川 俊太郎, 川村 和夫, W・I・エリオット
616円(11/21 20:54時点)
Amazonの情報を掲載しています
スポンサードリンク
孤独
いいね!を貰えるとやる気が出ます。読んでくれて本当にありがとう。