ブログ小説の三十九回目の更新。これからについて。
「これから」といえば、今回で長く続いたブログ小説『映画のような人生を』はおしまいです。毎回少しずつですが、よくここまで更新出来たなぁ〜と我ながらビックリしています。
最初はほんの思いつきだったんですけどね。車の事故にあってから毎日記事を書くことを決意して、3ヶ月も続けていたらネタがなくなっちゃって、あ、過去に書いた小説でも載せたらどうだろうって。
1つの小説をブログ用に変換して、ちょこっと内容書き換えたり、冒頭とあとがきを書き加えたり、途中でやっとテンプレっぽい書き方を身につけて、今まで書いたやつを全部それに書き換えたり…。
やってみないとわからない事って多いですね。いい勉強になりました。最初は映画のタイトルからサブタイトルを考えていたんですよね。今では元の小説のサブタイトルのまんまです。
これから。
なんかこれを書いていた時は少しでも明るい感じで終わらせたかったんですよ。あと頭の片隅に夏目漱石の『それから』という作品も浮かんできて。
さーて。これからどんな記事を書いていこうかな。もうストックはないぞ。完全にネタ切れだ。
…という事で、ここからは過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。映画のような人生をというブログ小説をお送りします。
全部で39章分あるのですが、今回はその中で第三十九章「これから」をお送りしたいと思います。ついにラストです。どうぞよろしく。
【ブログ小説】映画のような人生を:第三十九章「これから」
ぼくはその千葉を見て、こいつももしかしたらずっと孤独と闘っていたのかもしれないなと思った。神田という名札のせいで、しっかりしないといけない自分がいて、いつしか自分を見失って。自分は誰なのかが分からなくなる。
誰かに名前を渡しても人間の中身は変われない。中身が自分なのだ。千葉は自分だけが常に先を歩き、誰からも理解してもらえず、誰にも相談できなかった。知識の泉、知恵の泉が解決してくれると思っているからだ。
でも人間には自分一人ではどうしようと出来ない事がある。人に力を借りなければならない時がある。千葉はそれでも一人で生き続けてきたんだ。
ぼくはこいつを助けてあげたいと思った。千葉の養分になれたらと思った。千葉はぼくを救ってくれた。今度はぼくが千葉の闇に光を当てる番だ。
「千葉、喉かわかないか?」
ぼくは汗でびしょびしょだった。
「これだけ泣いたからな。喉も枯れてしまったし。喉かわいたな」
「悪いけど、ぼくさ、あまり動けないんだ。でも、もっと千葉の話聞きたいからサイダーでも飲みながら今日はここで話しこまないか?」
「そうか。伊波がそうしたいならそうしよう。じゃあ俺、サイダー買ってくるよ。今の時間だとどこがやっているかな。急いで探してくるわ。伊波ちょっと待っとってな」
千葉は走って行った。変な訛りがちょっと出ていたのが笑えた。
千葉が行った後、ぼくはリュックから入学の時から必死でメモをしたアドレス帳を取り出した。ぼくら大学生は名前だけ知っていて顔の覚えていない友達のなんと多いことだろう。上辺だけで関わった友達のなんて多いことだろう。それで沢山の友達を持った気でいる。
こんなに沢山の名前が書いてあるのに、誰からも電話がかかってこない。しかし、それは僕も悪いのだ。いや、僕が悪いのだ。名前さえ知れば、電話番号さえ知ってしまえば繋がりが保てると思っていた。自分から連絡を取らず、どこかで繋がっていればいつか希望が見えてくると思っていた。
でも違った。そうじゃない。そうじゃなかったのだ。人とのつながりは数字の羅列で表せられるもののはずないじゃないか。本当に繋がりたいのなら、千葉がぼくにしてくれたようにノックするのだ。相手が心の扉を開くまでノックし続けるのだ。
自分から動け。自由をはき違えるな。自分が動かなければ世界は廻らない。ぼくがいるから、あなたがいるから世界は廻り続ける。歩く力が世界を廻すのだ。
ぼくはアドレス帳に火をつけ、それを赤いけしの花の上に放り投げた。パチパチと音を立ててさらに赤く燃え上がる。花には罪はないけれど、ごめん。今はぼくの養分になってください。いつかぼくの養分を差し上げます。
遠くに耳を傾けると、サイレンの音が聞こえた。もうそろそろ到着するだろう。ぼくは燃える花に近づき煙草に火をつける。煙で輪を作り、腕を通した。そして笑った。
フランスの詩人ボードレールは時間を敵だと言った。でも時間がぼくを殺すのではない。ぼくが時間を殺すのだ。すべては自分次第だ。
「ぼくがここのサークルの代表の神田です」
そう言ってぼくはサイレンの方へ歩き始めた。
【ブログ小説】映画のような人生を:第三十九章「これから」あとがき
さてさて。いかがでしたでしょうか。ついに終わってしまいました。
正直な話をすると、僕の中ではブログ小説にするにあたって、第三十五章からここまでのラスト四章分を書き換えようと思っておりました。今ならもっと良いラストが書けるんじゃないか?と思って。
でも実際に別のラストのやつを書いてみると、なんかそれはそれで気に入らない。
もうひとつのラストは、新聞記者のような視点から書かれ、数十年前に起きたアノニム事件の首謀者の自宅から一冊のノートが発見されたというもの。
そのノートに書かれていたものを、今こうして読んでみて、千葉という人物は大学では見つからなかったし、水谷千秋という人物も在籍していなかった。すべては麻薬中毒の伊波による妄想だと推測される…みたいな記者の言葉で終わらせようと思ったのです。
でもそうなると、この小説に流れるテーマが「人とのつながり」ではなく、「麻薬の怖さ」になってしまう気がするし、冒頭に記者が出てきたならまだしも、ラストで新しい設定を加えるのってズルくない?と思って辞めました。
まぁ、今回のブログ小説を書いた10年前にこのラストを書き上げるまで何度も書き直しただろうし、その時も同じようにもっともっと良いものが書けるはずだと書いていただろうから、これはこれで良しとすることにしましょう。
それでは、ここまで読んでいただき本当に、本当にありがとうございました。
小説というのは、ぶっちゃけブログの他の記事に比べると役に立つ情報は少ないし、食べ物のように生きていくのに必須というわけではないものなので、それでも読んでくれたあなたに本当に感謝しております。
これからはもっともっと精進して、良いものを届けられるようになっていきたいと思います。
ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第三十九章「これから」でした。
野口明人
本当にありがとうございました!
【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告
注意:
ここから先は次作の内容をほんの少しだけ含みますが、本当に「ほんの少し」です。続きが気になって仕方がないという場合は、ここから先を読まずに次作の更新をお待ち下さいませ。
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誰かに見られている気がする。
私はペンを置き振り返った。しかし、そこにはあいうえお順に並んだ文庫本がただあるだけである。腰が痛い。一日中座って創作にふけっている私は腰痛との闘いは常である。
集中力も切れてしまったし、気分転換に牛乳を飲むことにした。透明なグラスが徐々に白くなっていく。私は牛乳パックの日付を確認しながらそれを飲み干した。次は別のメーカーを買うことにしよう。空になった牛乳パックに水を注ぎ、中身をすすぐ。その動作を二、三回繰り返すと乳白色の水は透明に戻った。綺麗につぶし、資源ゴミが入った袋へ入れる。
椅子に戻る。私は今飲んだ牛乳が体の中に沁み渡る様子を想像した。口に入った牛乳は喉を通り、食道を抜ける。私の弱り切った胃を膜で覆いながら先へ進む。腸に到達するや否や大勢の手のひらに奪われ、牛乳である事の身ぐるみをはがされる。要るもの要らないものに分別され、どこにも引っかからなかった負け組が外に吐き出される。
私は負け組を毎日眺め、健康であることを確かめる。負け組を排除することで私の健康は保たれている。私は頭の中でそこまで確認すると再びペンを握った。
私にはもう書く事しか残っていない。真っ白だった私の可能性のキャンバスはいつの間にか様々な色で塗りつぶされ、重ね塗りされた後、ついには穴が開き使い物にならなくなった。残ったものは少しの残尿感。
あれからどこのグループに属しても馴染めないことに気が付き、外で働く事を辞めてしまった。誰にも関わりたくない。私は部屋の窓に遮光カーテンをつけ外部との光を絶った。私には光などいらない。私が光になるのだから。ペンをくるっと廻しながら想像の世界へ戻った。
社会人になった私は一人の女性と恋に落ちた。好きだった女性アーティストのクリスマスライブに参加した時に、隣の人と手を繋いで会場全体で大きなリースを作るという演出があった。隣の人と軽く会釈をし、恥ずかしがりながら手を繋いだ。
始めは手を繋いでいる事ばかりに気がいってしまい、曲に集中できなかったが、一番好きな曲に差し掛かった時には、手を繋いでいる事すら忘れてしまうほど飛び跳ねていた。ライブが終わり、帰る準備をしていると「あの曲好きなんですか?」と隣で手を繋いだ女性が話しかけてきた。
その時初めてその顔を認識したが黒髪の美しい細身の女性だった。
次作へ続く!
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映画のような人生を