ブログ小説の十六回目の更新。アノニムについて。
アノニムという言葉をご存知でしょうか。anonym と書きます。「匿名者、作者不明の著作、変名」の事を言います。これは名詞なのですが、もしかしたら形容詞のアノニマス(anonymous)の方が有名かもしれません。
アノニマスっていうハッカー集団もいることですし、ナタリー・ポートマン主演の『Vフォー・ヴェンデッタ』という映画で登場したガイ・フォークス・マスクという奇妙な仮面も、一度見れば、あー!あれか!と思い出す事でしょう。
今や当たり前となった匿名性の存在。インターネット上では誰もがハンドルネームを使うようになりました。名前さえバレていなければ、何を書いても大丈夫な気がする。それが匿名性の力。
そんなアノニムを取り扱った今回の章。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
これが書きたかった!怪しい雰囲気になっていきますが、フィクションですよ!僕が実際に体験した話ではありませんので、お気をつけて。そう。フィクションです。
これから高橋という男が神田さんのメッセージを読み上げますが、その内容は僕の考えではないし、僕が過去のブログのどこかで語っている内容と類似していたとしても、フィクションです。アノニムの力です。
…という事で、過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。小説自体のタイトルは映画のような人生をです。
全部で39章分あるのですが、今回はその中で第十六章「アノニム」をお送りしたいと思います。よろしくどうぞ。
【ブログ小説】映画のような人生を:第十六章「アノニム」
会場が一つ大笑いした。ぼくには何が面白いのかよくわからなかったが、みんなに合わせて笑ってみた。頬の筋肉が硬直してうまく笑えなかった。高橋という男は話を続けた。
「みなさんは子供の頃、どのような夢を持っていたでしょうか。私自身も、幼い時は将来の夢というものをよく書かされたものです。十年後の自分、二十年後の自分はどうなりたいのか。それを想像するわけですね。
私もプロ野球選手になりたい。消防士になりたい。はたまた忍者になりたい、などのように子供らしい夢を抱いていたものです。
でも実際はどうでしょう。私はプロ野球選手ではありません。消防士でもありません。もちろん忍者でもありません。その夢はいまだに叶っていません。みなさんの中に現在、子供の頃からの夢が叶ったという方はいらっしゃるでしょうか。おそらく夢を叶えた人の方が少数派でしょう。
ではなぜ夢を叶えられない人の方が多いのか。それを私は長く考えていました。今日はその答えについてお話しすることにいたしましょう。それにはまず、そもそも私には昔から自分は特別だという考えが備わっていたという話から始めなければなりません」
ぼくはハッとした。ぼくと同じだと思った。急に話に興味が沸き始め、高橋さんの声に耳を傾けた。
「私にはきっと何かが出来るはずだという考えがありました。とにかく人と同じことなんてしたくない。私は私です。そして人生は一度きり。私が私であるために出来る事、私にしか出来ない事をしたかったのです。
しかし、結果は見事惨敗。私は特別でもなんでもありませんでした。普通の事すら出来ていませんでした。私は人よりも劣っている。そう実感しました。それは小学校の時です。
学校の勉強は人よりも学ぶスピードが遅く、次第についていけなくなりました。運動をしても、いつもヘマをしてばかり。哀れな目で私を見る友達の視線は耐え難いものでした。
しかし、私にはひとつだけ人よりも長けている部分があったのです。それは本が好きだという事。暇さえあれば読書に耽りました。学校にいる時間のほとんどは図書館で過ごしたと思います。図書館にある本は大体目を通したでしょう。図書館にない本ですら、司書の方に頼んで取り寄せてもらいました。
とにかくありとあらゆるジャンルの本を読み漁りました。すると私の頭の中には二つの泉が湧き上がったのです。知識と知恵の泉です。
知識の泉。それはとにかくもっと多くの本を読みたい。もっと多くの知識を手に入れたいという欲望でした。
知恵の泉。それは持っている知識を実際に使ってみたい。生活に活かしたいという欲望でした。
その二つの泉が私を変えてくれたのです。まず、変化が見えたのは運動の面です。多くの教本を読み、科学の本を読み、体の仕組みを知りました。そしてその科学に基づいたトレーニングを行い、それをどんどん実践していくのです。
するとどうでしょう。今まで足を引っ張ってばかりだった私が、みんなのスーパースターになれたのです。友達の目線が心地良くなりました。
勉強の面でも同じことが起こりました。今まで理解できずに苦しんでばかりいた勉強が、ある本により興味を持ったことによって面白くなってきました。嫌々勉強していた頃と比べ、楽しさを覚えた勉強は実に愉快なものでした。
好きこそものの上手なれとはよく言ったものです。次第に成績は上がり、気がつくと私は学年トップの成績にまで躍り出ていました。
私自身、その変化に最初は戸惑いました。何の魔法が私にかけられたのか。周りがグルになって私を貶めようとしているのではないのか。そんなありえない疑心暗鬼も生まれたほどです。
しかし、そこにも私の二つの泉が役に立ってくれました。わからないことがあれば、調べればいいのです。そして調べた事を活用する。徹底的に私は自分に起きた現象を調べ上げました。
そしてわかった事。これが一番初めにお話した、なぜ私たちは夢を叶えることが出来ないのかの答えなのですが、それは、私たちが時間に適応出来ていないからなのです。
そう。すべての問題は時間にあります。
たとえば、目の前にコップがあります。そのコップがあなただとします。そして今現在、本来あるべき姿を十としましょう。コップ一杯に満たされた状態が十。十であるならば夢が叶っているとしましょう。
しかし、実際ほとんどの人が十に満たず、六や七のようにあと少しの自分で終わってしまっているのです。この十という数字はあくまでも目安でしかありませんが、時間がたつたびに増幅していきます。要求されるコップが大きくなっていくのです。
たとえば、十になればプロ野球選手になれる若者がいたとします。つまりコップを満たせばプロ野球選手になれるとしますね。
その十という条件は二十歳の頃には千の力でクリア出来ます。千の力でコップ一杯になるわけです。二十歳の人間には伸び代があります。今、千の力しかなくとも、後に万の力を手に入れてくれればよいと周りは判断します。
しかし、四十歳の人間がプロ野球選手になるためには同じ十でも、その十は万の力がなければなりません。はじめから万の力で一杯に満たされる大きいコップを渡されるのです。
そしてその大きなコップを見ただけでその大きさに途方に暮れてしまう人がほとんどです。小さい時に描いてた夢が、今はあまりにも難しく遠くに感じるのはその小さかったはずのコップがいつの間にかどんどん大きなコップにすり替えられ、その大きさを目の当たりにするからなのです。
私たちは年を取ります。そして、その年齢相応の能力を社会から要求されます。夢を叶えられていない人間というのはその要求に答えられる能力を持てずに現在に至ってしまった人間なのです。
神は我々を平等になど創っていません。同じになど創っていません。
でもそれでいいのです。それが人それぞれが特別だという事なのです。私に出来ないことがあなたに出来る。あなたに出来ないことが私に出来る。だからこそ社会は助けあって生きていくことが必要になる。
そう。私が気がついた事。それは私は特別であること。そしてあなたも特別であること。私だけが特別ではなかったこと。みんなが一人一人特別だったことです。
ただ、その特別であるはずのあなたが、なぜか悩んだり迷ったりすることがある。それは先ほど言った、年齢相応の能力を社会から要求された時に、その要求に答えられない場合に起こります。
あなたは今まで、もう一度あの頃に戻りたい。もう一度、あの時をやり直したいと考えたことが一度はあるでしょう。それはつまり先ほど言った、十の基準を下げたいがための欲求なのです。小さいコップを手に入れたいという欲求なのです。
私は先ほど神は人々を平等になど創らなかったと言いました。しかし、その神様が唯一平等にしたものがあります。それが時間です。時間だけは生まれる場所や皮膚の色、目の色、貧富の差など関係なく同じに流れていきます。
しかし、この平等さがゆえにあなたは悩み苦しんでいるのです。時間がたてば要求される能力はますます上がっていってしまう。努力をいくらしたところで、自分が努力した時間だけ、コップの大きさも増えていってしまう。いたちごっこなのです。
私がその要求される能力に追いつけたのは、たまたま私が幼かったという状況下だったからでしょう。小学生という周りの成長意欲のスピードが遅かった時に私だけが何倍速ものスピードで成長をしたいと望んだから追いつけたというだけの話です。
現在の年齢まで至ってしまった我々ではきっと周りのスピードに追い付き追い越すなどという事は並大抵の努力では無理でしょう。そしてその努力が報われずに人生を閉じてしまうという事も少なくありません。
ではどうしたらいいのか。そこで、私はある一つの出来事を思い出しました。それは私が小学校五年生の時の話です。
私の両親は元々あまり仲が良い夫婦ではありませんでした。そして私が小学五年生の時に両親は離婚し、私は母親の方に引き取られることになったのです。
その離婚をきっかけに私はそれまで住んでいた街を引っ越し、まるで知らない土地に住むことになりました。その見知らぬ土地で新しく転校してきた学校では、私は母親の旧姓を名乗りました。それが今の神田という苗字です。
そして更に名前に関しても母親から、お前の名前はお父さんが付けた名前だから気に入らない。これからは龍之介と名乗りなさいと私はそれまで名乗っていた名前を捨てられました。
もちろん、戸籍上は昔の名前なのでしょうが、小さい頃の私には戸籍などと言うものもわからず、まるっきり新しい苗字、新しい名前で新しい学校に通うことになりました。
私は自分が生まれ変わった気がしました。まるで別人になったかのように。もちろん、外見は何一つ変わっていません。中身もそれまでの私と何も変わりません。
しかし、今までの私の名前で呼んでくれる人はここには誰もいません。母親ですら私の事を新しい名前、龍之介と呼ぶのです。ですから、私はそれから第二の人生を歩むことにしました。
私はなりたい私になれたのです。新しい学校ではヒーローです。勉強も出来る。スポーツも万能。わからない事は神田に聞け。神田はなんでも知っている。
みんなの中には劣っていた頃の私など存在しないのです。私は生まれながらにして優れた天才児として、その学校では扱われました。
神田龍之介という人物は周りの目が創り上げた人物です。私はその中に潜んでいる心臓に過ぎません。人の数だけ私は存在出来るのです。
あなたという存在は共通認識が生み出したイメージでしかありません。その共通認識さえ入れ替えてしまえば、つまり、人間は名前を変え、環境を変えさえしてしまえばいくらでもやり直しがきくのです。
この現象は、大学生デビューという言葉からもわかるように、あなたと非常に身近な関係にあるにも関わらず、人々が見逃してしまっている現象です。それでは勿体ない。人生に活用しようではありませんか。
もし、あなたが二年前のコップを手に入れたいと思えば、二年前の状況の人間に名前を変え環境を変えてしまえばいいのです。人生はやり直しが可能なのです。あなたの夢を今からでも叶えることが出来るのです。
これがサークルアノニムという団体が目指している活動のすべてです。アノニム。それは匿名性という名の神。あなたがその神になれるのです。
神は時間を平等にした。しかしその状況に甘んじていては何も変えられない。自分が努力した分、周りも努力する。すると要求されるコップは大きくなる。同じ時間の中で生活していてはあなたは一生、今のままなのです。
だから神に抵抗しましょう。あなた自身が神になり、時間をコントロールするのです。
なぜペーパーという意味の『紙』とゴッドという意味の『神』が日本語では同じ音なのか。私はこう考えます。人を命名する時、紙の上に名前を文字で表します。その事で神のようにその人物に命という『存在』を吹き込むのです。つまり紙の上に名前を書くという作業は神の作業なのです。
そうであるならば、自分の名前を変えることであなたという存在は何度でも生まれ変われる。新しい自分をやり直すことが出来るのです。時間を行き来出来るのです。
さあ、一緒に時間旅行しようじゃありませんか。サークルアノニムで一緒に世界にはばたきましょう」
高橋さんはそこまで熱弁すると「と、神田が申しておりました。私じゃないからね、勘違いしないでちょ」と舌を出した。
その言動にまた周りが大笑いした。今度はぼくも自然と笑みがこぼれた。巨漢の男がかわいらしい舌を出したというギャップがぼくを笑わせたのかもしれない。詳しい理由はわからなかったが、会場が一つになった気がした。だから自然に笑いがこぼれた。
いい話を聞いたと思った。何度でも自分を変えることが出来るのか、と。
【ブログ小説】映画のような人生を:第十六章「アノニム」あとがき
いやー、怪しかったですねぇ…。サークルアノニム。実は今回の元のサブタイトルは「神田の話」でした。
最近は元のサブタイトルのままブログに載せる事が多かったですが、今回は「アノニム」に変更。その理由は「神田の話」ではあまりにも具体的すぎて、タイトルとしての魅力がなくなってしまいそうだったから。
アノニムならば、あまり知られていない英語だし、なんとなく謎めいた感じでかっこいいかなぁと。
そもそも、このサークルの名前を何にしようか考えた時に、たしかものすごく時間かかったんですよね。漢字の名前がいいか、カタカナがいいか、神々しい感じがいいか、ポップがいいか。
そんな時に、インターネット上で「Anonymous」という英単語を見たんですよ。たしか掲示板だったかな。その時に、おお。アノニマスって良いなと。
でもね、もうすでにアノニマスっていう集団は実在するんっすよ。ハッカー集団として。世界的に有名な。
あくまでもこれはフィクションなので、同じ名前は使えないよなって思って、名詞に変換してアノニムに変えました。
アノニムの代表、神田さんが喋っている事は、なんとなーく胡散臭い感じで、でもどこか自己啓発の感じがする微妙なラインを狙って書きました。
書きながら、自分は一体なに言ってるんだ?って感じがしてくるんですが、その気持ちに負けないように、心の中で「僕は教祖、僕は教祖」と唱えていました。
この神田のしゃべっている内容を書く時に参考にしたのは架神恭介の「完全教祖マニュアル」という本。
宗教をちょっと斜め上から面白おかしく書いたものですが、デフォルメされていて教祖の骨格がわかりやすい本でした。教祖になりたいあなたは一度目を通してみてもいいかも。
ということで、サークルアノニムに片足を突っ込んだ伊波はどうなるのか!?次回をお楽しみに。
ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第十六章「アノニム」でした。
野口明人
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
最近、自分でも何を書いているのかわからなくなる時があります。おかしな文章などがあったら、コメントやメールなどで教えてもらえるとありがたいです。ちょっとした心の病気なのかもしれない…。認識できない。
【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告
注意:
ここから先は次回の内容をほんの少しだけ含みますが、本当に「ほんの少し」です。続きが気になって仕方がないという場合は、ここから先を読まずに次回の更新をお待ち下さいませ。
ここから
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「おつかれさま。どうだった、うちのサークル興味持った?」と千秋さんはぼくに聞いてきた。夕日が情熱的に燃える帰り道だった。
次回へ続く!
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映画のような人生を