ブログ小説の三十五回目の更新。決意について。
最近何かを決意した事はありますか?「決意を持続させることのできるのは、習慣という怪物である」と『美徳のよろめき』という作品の中で言ったのは、かの有名な三島由紀夫です。
たしかに決意というものは、決意をした瞬間が大切なのではなく、決意を持続させる事であって、そのための行動が当たり前だと思えるぐらい身についてしまえば何も怖くありません。
だが、しかし。
どんな事もそこまで行くのが難しいですよね。習慣として身につくまでが難しい。…そんな弱気な事を考えてしまう僕の心を見透かしたように三島由紀夫はこんな事も言っています。
「初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです」
…うーむ。
僕は一体いつ本物の決意をしたのだろうと考えてしまいました。そして思い出したのです。自分の決意というやつを。あまりにも当たり前になりすぎていて、それを決意したことすら忘れておりました。
習慣化していたのかもしれません。これが怪物というやつか。その話はこの記事の後半で。
…という事で、ここからは過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。映画のような人生をというブログ小説をお送りします。
全部で39章分あるのですが、今回はその中で第三十五章「決意」をお送りしたいと思います。どうぞよろしく。
【ブログ小説】映画のような人生を:第三十五章「決意」
一番面白かったのは丸いドーナッツのような筒の中に入った検査だ。そこはまるで宇宙船の中のようで、これで何がわかるのだろうと思いながら目の前の白い壁を眺め続けた。時々、無機質な機械音が流れ、体がスライドする。その度に体がギシギシと痛んだが、その痛みを忘れるぐらい医学の進歩はすごいものだと感心していた。
すべての検査が終わるとぼくはぐったりと疲れ、すこし眠った。体が海の底に沈んでいくようにベットに深く沈み込んだ。
目が覚めるとやはりそこには千葉がいた。本当にこいつは気がつくと目の前にいる奴だ。その千葉の頭は今日も綺麗な坊主頭だった。見事な頭だった。もしかしたらこいつの頭は太陽で、ぼくに光を照らしに来てくれているのかもしれないな、なんてくだらない事を考え付くと、ぼくは少し笑った。
検査の結果は千葉と一緒に聞いた。本当は親類の人が付き添いをするはずだったのだが、ぼくの母と父は雨の影響で農地の浸水の対策に追われてすぐには来れなかった。その事を千葉が説明してくれ、その後、千葉はものすごい剣幕で自分が話を聞いたらあかんのですか、と病院側を説得した。
膵臓ガンだった。
お医者さんは変に気を使わず事務的に言ってくれた。それがありがたかった。不思議と心は穏やかだった。なんとなくわかっていたのだ。自分の身体は大学に入ってからおかしかった。兆候はあったのだ。
ただ、心が穏やかな一番の要因は自分が一人じゃないという事だろう。千葉が横にいる。そして手を握ってくれている。それだけで充分心強かった。
千葉は二人っきりになった後、手を強く握ったまま膵臓ガンについて詳しく語ってくれた。ガンの王様なんて言われているらしい。なんとも誰にも敬われない淋しい王様だなと思った。
早期発見が難しい病気だそうだ。ぼく自身も症状が出始めてから今日まで気がつかなかったぐらいなのだから、たちが悪い。そして進行も早い。そんな所で王様の威厳を保たなくていいのに。ぼくの場合は骨にまで転移しているらしい。
奇しくもモルヒネの話をしたばかりで、モルヒネのお世話になるとは思いもしなかった。
ただ、ぼくは腹をくくっていた。今はまだ治療は出来ない。ぼくは千葉が強く握ってくれていた手のひらを見つめた。やりたい事が見つかったのだ。
その為に残りの人生を生きる事に決めた。時間はない。でも時間なんてものはきっとどれだけ望んだって足りないものなんだ。
千葉には悪いがぼくはこの病院を抜け出す。
【ブログ小説】映画のような人生を:第三十五章「決意」あとがき
正直な話をしてしまうと、今回の章はぶっちゃけ書き直そうと思いました。10年前に自分で書いた内容ながら、嫌いなんですよね、この内容。
昔の自分は死に近かったというか、子供が死んで、自分も死のうと思って行動に出て、死ねなかった頃に書いたものなので、死に対してあまりにも軽率というか、生に対して失礼な内容な気がするのです。
やっぱり、この頃はなんとかして、この世から消えることは出来ないだろうかとずっと考えていたんですよね。ずっとずっと。そればかりが頭にあって。
ただ、ひとつだけ頭にこびりついていたのは、自殺すると天国へ行けないっていう話がどこかしらの宗教にあって、死んでも子供には会えないのかぁ。それは嫌だなぁ〜って事でした。
別に僕は無宗教なのだけれど、死後の世界ってのはなんかある気がするんですよね。…いや、たとえ死後の世界がなかったとしても、それって箱をあけてみない事にはわからない事じゃないですか。
シュレーディンガーの猫みたいな発想で、死ななきゃわからない事を生きている内にあれこれ考えても無駄な気はしますが、それでも対応は出来ると思うんですよ。
自殺すると天国へ行けないと言われている。そもそも天国や地獄がないかもしれない。でも言われている以上、自殺をするメリットがない。僕は子供に会いたいだけなんだ。
…みたいな考え方になって、生きている限りは沢山経験を手に入れて、おもしろ話をお土産に子供に会おうという感じにシフトチェンジしていったんですよね。
それでまぁ、ずっと統合失調症の治療を続けていた僕は、決意をしたのです。どんな経験もおもしろ話として記録しようと。人と違う事して生きようと。
他の人が出来る事や体験出来る事は、その人に話をしてもらえば良いのです。僕は僕にしか出来ない体験を子供に話をしたい。
だから僕の周りのみんなが普通に子供が生まれて、幸せそうでありながらちょっと不服そうな家庭を築いているのをみて、自分に出来なかった事だと羨むのを辞めたのです。人は人。僕は僕。
別次元を生きる!
…っていう考えの元に生きるようになって、なおのこと良くありがちな死に至る病を小説内に登場させた今回の章が嫌なんですよね。
じゃあ書き換えろよって話なんですが、ここだけ書き換えても、今後の流れが今回の事ありきで進んでいってしまっているので、なんともならないのです。
…いや、ひとつだけ方法はあるんですけどね。最終回の三十九回が終わった時にそれはネタばらしとして紹介しようと思います。あまり良い方法ではありませんが。
ということで、伊波は一体どんなやりたいことを見つけたのか。次回をお楽しみに。
ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第三十五章「決意」でした。
野口明人
ここまで読んでいただき本当に、本当にありがとうございました!
あ、ちなみに決意と聞くと僕はAqua Timezというバンドの『決意の朝に』という曲が思い浮かびます。すごくいい曲なので、聴いたことがなければぜひ。
生きてゆくことなんてさきっと人に笑われるくらいがちょうどいいんだよ
あぁ…。いい歌詞だわぁ。
【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告
注意:
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ぼくはその夜、病院をこっそり抜け出した。
次回へ続く!
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