ブログ小説の十四回目の更新。空のスクリーンについて。
あなたは最近、空を見上げることはありますか?なぜ昼の空は青く、夕方の空は赤いのか。なぜ星は「☆」のカタチで表すのか。空を見上げて、それを考え始めるだけでもあなたはすでにコペルニクスのようなもの。
昔から人々は空に魅了されてきました。夜空をじーっと見つめ、星と星とをつなげて星座という絵を書きました。あなたも自分の誕生星座はご存知でしょう。
しかし、あなたの誕生日には、あなたの誕生星座は見えないのです。空って不思議な事がいっぱいですね。
休日には、映画に行くのも良いけれど、たまには科学博物館へでかけて、プラネタリウムを観るのもオツな休日ではないでしょうか。
こんな意味のわからない冒頭から始めていますが、僕は空が大好きなのです。悲しい時も楽しい時も、空を眺める大巨人。
もしも僕がキャプテン野口ならば、「空はお友達さ!」と言っている事でしょう。
…という事で、過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。小説自体のタイトルは映画のような人生をです。
全部で39章分あるのですが、今回はその中で第十四章「空のスクリーン」をお送りしたいと思います。よろしくどうぞ。
【ブログ小説】映画のような人生を:第十四章「空のスクリーン」
「涙は心のカタルシスや。泣けるならどんどん泣いた方がええねん」
千葉は最後までかっこよかった。
家に着いてから、すぐ眠りに落ちた。久しぶりによく眠れた。電話が鳴るのを待つ必要もない。ぼくには千葉がいる。それだけで充分だった。
目が覚めた頃には周りは暗かった。時計がないので詳しい時間はわからない。飲み過ぎていたせいもある。久しぶりに訪れた快眠から抜け出したくなかったせいもある。おそらく十二時間以上は眠っただろう。眠りすぎたわりに、頭はすっきりとしていた。
ぼくは冷蔵庫からサイダー瓶を取り出し、一気に飲み干した。サイダーは砂漠に流した水のようにさらりと体に吸収されていった。
窓を開けると、汗をかいた肌にあたる夜風がとても心地良かった。
昨日、千葉はこんな事も言ってくれた。
「伊波、今後、もしまた孤独が襲ってくるようなら空を見てみい。空は偉大や。昼の青空の青さは伊波の心を優しく浄化してくれる。夕方の空の赤さは伊波の見るものすべてを情熱的に輝かせてくれる。そして夜の黄色に輝く星空は、俺らがどんなに離れていても見るものすべてを繋げてくれるはずや。伊波が空を見ている時、俺もどこかで空を見ている。同じもの共有しているんや。映画館で見た映画の感想を言い合う事ってよくあるやろ。あれと同じや。空は巨大な地球のスクリーンなんや。地球っちゅうでっかい映画館で星空っちゅう同じ映画を見て、意見の交換が出来るっちゅう事は、それは孤独ではないっちゅう事や。よく覚えておき」
随分とキザな事を言う奴だと思った。恋人を口説いているような台詞だった。
それでもその言葉は、今のぼくには直線的に響いた。ぼくは星空を見る為に上を向いた。今夜は星がよく見えた。孤独は空に吸い込まれて、いつのまにか消えていった。
【ブログ小説】映画のような人生を:第十四章「空のスクリーン」あとがき
いかがでしたでしょうか。このブログ小説では、ブログ用にサブタイトルを書き換えたりしていますが、「空のスクリーン」というのは元の小説のサブタイトルのまんま使いました。
おそらくあまり検索されないキーワードだとは思いますが、結構気に入っていたので。
感想の方はきっと39章すべてを読み終わった後に出てくるものだと思うので詳しくは書きませんが、冒頭でお話した空の謎について少々。
なぜ昼の空は青く、夕方の空は赤いのか。これは色が見える仕組みを考えてみればわかりやすいと思います。
太陽の光というのは虹を見ればわかるようにもともと赤、橙、黄、緑、青、紺、紫という7色の色を持っています。それらが全部混ざって白っぽく見えているんですね。
ちなみに赤外線とか紫外線と呼ばれるものがあるじゃないですか。さっきあげた赤、橙、黄、緑、青、紺、紫は波長によって分類されているんですが、赤が一番長く、紫が一番短い波長なんですね。
んで、その赤よりも少しでも長い波長は人は認識出来ず赤の外という事で赤外線、どうように紫の波長よりも少しでも短い波長は人が認識できずに紫の外という事で紫外線と読んでいるわけです。
波長が長いものは力は弱いけれど、遠くへ届く。波長が短いものは強い力を持つけれど、遠くへ届かない。そういう特徴を持っています。
昼の間は、太陽と地球の距離が近いので大気中のゴミやチリにぶつかった光の中でも力強く波長の短い紫や青が目に届きます。
しかし、夜の間は太陽と地球の距離が遠くなり、大気中のゴミやチリにぶつかった光にも青や紫はあるにはあるのですが、目に届かなくなり、力は弱いけれど遠くへ届く赤や橙の色が見えやすくなるのです。
まぁ、難しい話はさておき、この空の色が変わる原理ってなんとなく人生につながっていくると思うんですよ。見えているものは違うかもしれないけれど、実は全部同じものっていうね。
光にすべてが入っていて、環境や状況によって見え方が変わるだけ。
落ちこんでブルーになっている自分も、舞い上がって頬を赤く染め上げている自分も、どっちも同じ自分。どっちかを捨てなきゃいけない必要などないのです。
なーんて事をね、昼の空を見ながら考えたりするんですよね。
一方夜の空の星は、光と距離のロマンに身を寄せて、過去の光とまだ見ぬ未来の光を感じたりして。自分の中の可能性と向き合います。
今、目に見えている星は何万年も前に光放たれたもの。何万年もかけて目に届いているわけだから、その間にも新しい星が生まれている可能性だってあるわけです。
何か新しい事にチャレンジしようとしている時、自分の今ある環境だけに目を向けてしまいがちですが、まだ見ぬ星が無数にあるように、可能性も未知数です。
つまり、新しい事をチャレンジしていない自分がいくら頭で考えたって、未来の事なんてわからないのだから、あれこれ考えて辞めちゃうのはもったいない。とにかくやってみろ!と、夜空を見ながらいっつも考えます。
あぁ。豆知識を披露するはずだったのが、なんだかよくわからない文章になってしまった。
とりあえず昔の人は想像力豊かだったんでしょうね。僕はいくら空を眺めても、絵のようには見えてきません。星座を最初に考えた人の想像力すげー。
ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第十四章「空のスクリーン」でした。
野口明人
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告
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その二日後、ぼくと千葉は千秋さんに連れられて、サークルアノニムの説明会に参加した。サークルに説明会なんてものがあることを初めて知ったが、知らない事をすべて拒絶するのは自分の世界を狭めるだけだと先日言われたばかりだったので、ぼくはその説明会を積極的に受け入れようと思った。
次回へ続く!
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