ブログ小説の三十四回目の更新。花について。
花を誰かに贈った事はありますか?または花を誰かからプレゼントされた事はありますか?もしかすると、何かのイベントなどがなければ、お花をプレゼントする文化って意外と少ないのかもしれませんね。
何かの表彰式とか、コンサートとか、展示会とか、母の日もそうですね。または冠婚葬祭とか。
実は花を贈る時にはいくつかのマナーがあって、その中に、開店祝いのオープン初日に花を贈ってはいけないっていうのがあるんですよ。
もし花を贈りたい場合は、前日か翌日以降に贈るのがマナーなんだそうです。
その理由はオープン初日って忙しさマックスなので、そこに花を贈られると花をどこに飾るか、どうやって飾るかなど新たに悩みを増やしてしまうかもしれないから。
あぁ、たしかに花って、もらった時は嬉しいけれど、花は生き物だからもらった後に、それをどうしようかって悩んだりするよなぁ〜と納得しましたが、そんな事を知らなかった僕は大学生まで何でもない日に花を贈るのがブームだったんですよ。
出会い頭に一本の花をポンと相手の前に出して、「はい、プレゼント!」ってサプライズするのが好きだったのです。ギザな男だったのですよ。
でもね、開始10分でその花を捨てられた事があって、それ以来、花をプレゼントする事は辞めました。なぜ捨てられたのかの考察は、この記事の後半で。
…という事で、ここからは過去に書いた小説をブログ形式に変換して投稿していく企画。映画のような人生をというブログ小説をお送りします。
全部で39章分あるのですが、今回はその中で第三十四章「花」をお送りしたいと思います。どうぞよろしく。
【ブログ小説】映画のような人生を:第三十四章「花」
ただ、体が妙に温かい。自分の体の方を見てみると布団が掛けられていた。どれくらい意識を失っていたのだろう。ぼくは病院のベッドの上で寝ていた。
「千葉、今何時?」
ぼくは千葉に声をかける。とりあえず人間は理解できない状況に陥った時は時間が気になるようだ。
「おお、伊波やっと起きたんかいな。むっちゃ心配したで。お前急に倒れるんやもん。今は朝の十一時や」
千葉は涙を我慢しているような顔で答えた。
「朝の十一時ってどのくらい寝ていたんだ?」
「そうやな、一日半っちゅうぐらいやな。ちょっと待っててな。みんなに伊波が起きたこと伝えてくるわ」
そう言って千葉は病室を出ていった。
一日半も寝ていたのか。そう言われてみれば体の節々が痛む。寝過ぎたせいだろう。ぼくは急な尿意を感じ、トイレに行こうと立ち上がる。立てなかった。背中と腹部に強烈な痛みを感じた。ぼくはベッドから転げ落ちエビのように丸く蹲った。そこでまた意識が遠のいていく。
今度は千秋さんの横顔が目の前にあった。千秋さんはいつものように赤いコートを羽織り花瓶の花の水を交換していた。
「あの、千秋さん、今何時ですか?」
やはり時間が気になる。
「あ、伊波君起きたのね。今はね夜の七時ちょっと前よ」
ぼくは八時間近く眠っていたことになる。
「お見舞いなんて来てもらってすいません。ぼくなんかの為に」
「なんか、なんて言っちゃ駄目よ。私は私が伊波君に会いたいって思ったから来ただけだから気にしなくていいわ。体の具合はどうかしら?」
「大丈夫です。ここの所、体がギシギシしていたんですけど、きっと疲れが溜まっていたのかもしれません。ちょっと休めばまた元気になりますから」
「そう。でも検査は受けた方がいいわ。せっかくだから。健康診断とか受けたことないでしょ?」
「色々と面倒くさがりですからね。せっかく病院にいるんですから、色々と調べてもらおうかな」
ぼくは軽い気持ちでそう言った。
「そうした方がいいわ」
千秋さんは髪をかきあげながらそう言った。小さな耳が少しだけ見えた。
その日、面会時間が八時までという事で八時になると千秋さんは帰って行った。ぼくは千秋さんが手入れをしていった花瓶を眺める。
一本の花が飾ってあった。ぼくはあまり花には詳しくない。その花がなんの花なのかはわからなかったが、燃える炎のような鮮やかな赤い花だった。じっと眺めていると自分の命が目の前に現れている錯覚に陥った。
花は咲き、輝く。そしてその役目を終え種を作り、枯れ落ち、周りの土の養分になる。もし、ぼくが花ならいつ頃開花するのだろう。もし、ぼくが花ならいつ頃種を作るのだろう。もし、ぼくが花なら……。
死後の世界を考えた。ぼくはきっと歴史の教科書に残るような事は何一つ残せないだろう。自分だけが特別だと感じていた頃、地球を自分で回していると思い込んでいたあの頃、ぼくは怖いものなんてなかった。
いつか光を浴び、芽が出て、輝けるものだと思った。そして世界を幸せに出来ると思っていた。でも、ぼくは大学で自分の無力さを知った。ぼくには世界を変える力なんてないのだ。光と闇。闇ばかりがぼくを襲った。闇に潰されそうになった。
しかし、ある本に書かれている事を思い出した。確かに花が開くためには太陽の光が必要だ。だが太陽の光だけを当て続けていても花は開かないらしい。太陽の光と、闇が必要なのだ。ぼくは闇の時期を乗り越え、光を手に入れた時、初めて咲くことが出来るのだ。
その花の匂いは世界にまで届くことはないだろう。その花の一瞬の輝きも世界に届くことはないだろう。身近にいる人だけにしか届かない。
でもそれでいいと思った。世界なんて救えなくていい。ぼくは周りの人間だけの養分になれればいいのだ。ぼくだけじゃない。世界中の人が自分の周りの養分になる。そして次の世代の土を肥えさせていく。それだけで世界は幸せになる。
ぼく一人が特別なのではない。みんながみんな特別なのだ。ぼくの命の花は周りの為に綺麗に咲き、ぼくの命の養分は次の世代の為に使われる。もしぼくが死ぬ時にその使命をまっとうできたならぼくはきっと笑える。ぼくは笑って死にたい。
そんな事を花を見ながら考えた。
【ブログ小説】映画のような人生を:第三十四章「花」あとがき
さてさて、いかがでしたでしょうか。
花と言えば、このブログ小説のタイトルは『映画のような人生を』という事になっていますが、もともとの小説のタイトルは『花』なんですよ。
僕ね、芥川龍之介が好きで、彼の作品の中に『鼻』っていうのがあるんですね。
その『鼻』が大学在学中に夏目漱石に絶賛されて、芥川龍之介は頭角を現していくのですが、その『鼻』の主人公の偉いお坊さんは鼻がデカイことがコンプレックスなのです。
なんとなくコレを下敷きに小説を書いてみたいなぁ〜って思って、コンプレックスを抱えている主人公を元に書いたのが『花』の始まりなんですよ。
まぁ、書いているうちに全然内容は変わってきましたけどね。そういう書き方ってあんまり良くないみたいですけどね。最初に大まかなストーリーを決めて、それに肉付けしていく感じで書いていくのがセオリーみたいです。
それで言うと、どういう物語が書きたいってわけじゃなかったんですよね。とにかく思いついた限りのコンプレックスを詰め込んだみたいな。
これを読んで10人中10人がわかるようなものでなくても、1人だけでも、この気持ちわかるわぁ…ってものが書けたら良いなって思いながら書いておりました。
そんな僕は、冒頭で話をした通り、お花をプレゼントして10分で捨てられた経験がありまして、未だにその時の理由がわからないんですよ。
色々と花を贈ったらいけないNG集みたいなのを読んでみたんですけど、全くわからない。
もしかしたら花言葉なんじゃね?なんて考えてもみたんですけど、赤いバラですよ。1本の赤いバラの花言葉は「一目ぼれ」です。
駄目ですかねぇ…。
あ、そうそう。その昔、花や植物は神からのメッセージをその身に宿すと考えられていたそうで、それを元に花言葉ってのがあるのだそうです。本数によっても花言葉が変化するのですよ。
2本のバラを贈ると「この世界は二人だけ」ってなるのです。
そっちの方が良かったのかなぁ…。なんかドラクエの魔王と主人公の会話みたいな気がしてあまり好みではないのだけれども。お前に世界の半分をやろう。どうだ?みたいな。
いずれにせよ、僕は人の気持ちがよくわからない人のようです。友達の考えている事もほとんどわかっていないので、友達付き合いも上手じゃないんですよね。
そういうやつが書いたブログ小説『映画のような人生を』も残り5回です。もしかしたら途中で加筆して、エンディングを変えるかもしれなくて、そうしたら回数も少し前後するかもですが。
どうぞ残り少ないブログ小説をお楽しみくださいませ。
ではでは、【ブログ小説】映画のような人生を:第三十四章「花」でした。
野口明人
ここまで読んでいただき本当に、本当にありがとうございました!
【ブログ小説】映画のような人生を:次回予告
注意:
ここから先は次回の内容をほんの少しだけ含みますが、本当に「ほんの少し」です。続きが気になって仕方がないという場合は、ここから先を読まずに次回の更新をお待ち下さいませ。
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次の日からぼくは病院で様々な検査を受けた。
次回へ続く!
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