『木曜組曲』を読み終えた後、恩田陸の「どやっ!」という声が聞こえてくるような気がした。今まで発表してきた作品の良いところを総取りして、悪いところを全て直して、パーフェクトな形で提示出来たでしょ!?とでも言うような『木曜組曲』。
これは面白い作品だ!…とか思っていたらAmazonでの評価がそれほど良くない。ドラマ化もされていて知名度もあるのかなぁと思ったら恩田陸の作品の中では比較的レビュー数も多くなかった。
なんとなく煮え切らない。これ、面白いよな?という気持ちを確認するためにこのブログで精一杯のレビューをしてみることにする。
『木曜組曲』のあらすじや情報を10秒でまとめると…
木曜組曲とは…
天才的な小説家、重松時子が自殺してから4年。彼女に縁が深かった女性5人は、今年も時子の職場だったうぐいす館に集まって宴を開く。しかし、なごやかな雰囲気は、「皆さんの罪」と書かれたメッセージカードとともに不穏に落ちていく。ポツポツと新たな事実を話していく5人。4年目にして時子の死の真相に迫る長編ミステリー。
『木曜組曲』っておもしろいの?感想は?評価は?おすすめ?教えて!レビューロボ・読書エフスキー3世!
前回までの読書エフスキー3世は…
書生は困っていた。「世界中の本を集めても足らない位キミが好き」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。読んでいない本のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
大変です!先生!『木曜組曲』の事を聞かれてしまいました!『木曜組曲』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
“女性だけで開かれる人狼ゲームのようなお茶会の話”デスナ。
…と、言いますと?正直な所『木曜組曲』は面白い本なのでしょうか?
面白イ面白クナイハ私ニハ決メラレナイヨ。「希望を持たずに生きることは、死ぬことに等しい」ト言イマスシ。
えーっと、それでは困るのです。読もうかどうか迷っているみたいですので。ちょっとだけでも先生なりのご意見を聞かせていただきたいのですが。
真ノ紳士ハ、持テル物ヲスベテ失ッタトシテモ感情ヲ表シテハナラナイ。私ノ好キ嫌イヲ…
きえええい!先生、失礼!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
キミは木曜日のイメージってどんなモノを持っているかね?
木曜日ですか?えーっと週の真ん中ですかね。
週の真ん中、水曜日!真ん中モッコリ、夕やけニャンニャン!
こ、これがジェネレーションギャップというものか…。ま、あれは水曜日だしな。でも、週の真ん中って言ったら水曜日じゃないのかね?日月火[水]木金土。ほら。水曜日が真ん中。
あー、確かに。日曜日がスタートなんですよね。でもなんででしょうね。「木」って字が左右対称だからですかね。なんかコイツが真ん中にいるって言われた方がしっくりきます。月火水[木]金土日。ほら。月と太陽に挟まれているし。
ま、実はそんなのどうでもいいんですけどね!
でも普通、木曜日ってあんまり注目されない曜日でしょう?休みだから土日が好き、仕事始まりの月曜日が憂鬱。花の金曜日などという事はあるけど、木曜日は微妙。
確かにそう言われればそうですね。木星は最大の惑星で注目されますが、木曜日は最大に注目されないですね。
そんな木曜日をこの小説の登場人物はこう表現している。
木曜日が好き。大人の時間が流れているから。丁寧に作った焼き菓子の香りがするから。暖かい色のストールを掛けて、お気に入りの本を読みながら黙って椅子にもたれているような安堵を覚えるから。木曜日が好き。週末の楽しみの予感を心の奥に秘めているから。それまでに起きたことも、これから起きることも、全てを知っているような気がするから好き
こんな事を歌う耽美派小説の巨匠、重松時子が薬物死を遂げた、というのがこの物語の中心なのだね。天才作家の自殺。
なんとな〜くわかるような、でもなんかわからないよ〜な雰囲気ですね。重松時子の感覚は。木曜日は大人の時間が流れているかぁ…。
うむ。正しく言うならば時子というキャラクターを作り上げている恩田陸の感覚という事になるわけだが、実はこの作品に出てくる主要人物は、ライター絵里子、流行作家尚美、純文学作家つかさ、編集者えい子、出版プロダクション経営の静子と、みな物書き関係の人間なのだ。
物書き!?三月は深き紅の淵をの時は読書好きの老人たちがいるにはいましたけど、ついに来ましたか。物書きを職業としているグループが。読み手ではなく書き手が!
一癖も二癖もあるキャラを5人用意してくる。そして彼女は酒と食事をたらふく取りながら、ぺちゃくちゃと言いたい放題会話するっていうのが今回の内容だ。
なんだか胸焼けしそうな話ですね。
でもな、言ってみれば時子も含めて6人の物書きの顔が恩田陸の中にいるわけだろう?これはかなり凄いことだと思う。
今までの作品も、本当に恩田陸が全部書いたのか?って思ってしまうほど、別の作家が書いたような作品を書いて来ましたもんね。恩田陸は。そんな彼女が一つの作品の中で自分自身の多面性を表現させてるみたいですね。
しかし、実のところ、この小説は非常に女性的な偏見の詰まった作品だと思ったのだ。作者は確実に女性であろうと思わせる文章の羅列。
ふむ。例えばどういうものです?女性的な偏見とは…。
では、得意料理はトマトと茄子のスパゲッティという男性に対して辛辣に意見する部分を引用してみよう。
「分かってないなー。カレーとか焼きそばなら可愛いもんじゃない。相手のレベルが運動部の合宿程度なんだなってすぐ見当つくでしょ。でも、トマトと茄子のスパゲッティって言われると、騙される。なんとなく料理が得意そうな気がする。でもさ、しょせんスパゲッティ確かにきちんとアル・デンテにするのは難しいけどさ、イタリアじゃ誰でも食べてんのよ。麺茹でて具をからめるだけじゃない。それを得意って言う奴は、実はそれしかできない奴が多いのよ。しかも、トマトと茄子なんて色綺麗だし、完成すると満足感あるから、すごく料理したような気分になるのよね。第一、本当に料理得意なんだったら、絶対こんなメニューあげてこないと思わない? 毎日献立組み立てて作ってる人だったら、特にメニューなんか挙げられないよ。あたし、女でも得意メニューはビーフストロガノフですとかきっぱり答えてる奴は、『お前、それ以外作ってないだろう』って思うね。だからさ、トマトと茄子云々って言う奴は、それしかできないにもかかわらず、自分は料理が得意だという幻想に陥りやすい。つまり、得意料理にこれを挙げる奴は、自分を過大評価する奴が多いのである」
グサっと来ますね。偏見じゃないじゃないですか。こりゃー事実ですよ。僕もそう思いますもん。スパゲッティって簡単ですし。得意料理に挙げられると、ん?って思いますよ。得意料理はお茶漬けです!みたいな。
事実そうなのかもしれないのだが、この次にこんな事を言う。
「だってさあ、嫌じゃない? 僕家事もやります料理も得意ですなんて言ってて、朝ゴミ出して、たまに風呂掃除して、たまにトマトと茄子のスパゲッティ作ってるだけなのに、僕は妻と家事を分担していますなんて気になられちゃさあ」
コイツ、嫌な奴!絶対に嫌なヤツ!
先生…。なんというか図星を指されてイラッと来ただけじゃないですか…。
キミ!こんなことも言ってるのだよ!
世間の人々は本当のことを言われると怒るものなのよ
もうこれ、占い師レベルじゃないですか。先生、心読まれてますよ。
まぁ、つまりはそれだけズバッというタイプの作家のキャラも登場するってわけですね。面白いじゃないですか。僕は好きですよ、そういう女性。というかズバッという人間がいいですね。男女関係なく。
あれだね。もうこういう決めつけの会話が本編だね。時子が死んでなくてもこの作品は成り立っちゃってるね。実際、この小説を読み終えてすぐに浮かんだ言葉は「何も起きてないじゃないか!」だったし!
先生はこういう女性が嫌いなんですね…。
いいかい?この作品の主要人物は5人。コイツら、ずっと食ってるし、ずっと酒のんで、ずっと愚痴っている。なんやコイツら!って思うだろ?
いやー、僕は女子会を覗きみてるような気がして嬉しいですよ。男性は絶対に味わえないわけじゃないですか。女子会って。男性が入るだけで、話す内容とか態度とか全部変わっちゃうだろうし。こーゆーこと話すんだなぁ〜って勉強になります。
キミはあれな。大きいんだな。色々と。…私はもう我慢ならん。
それで、この作品はその5人の女性がどうする話なんです?
時子って天才がおるでしょう?その女性が薬物死したわけ。んで時子には親類がたくさんいるわけ。腹違いの妹とか、おじさんの娘とか色々と。それでみんな時子に憧れを覚えつつ、自分も物書きだから嫉妬心も持っていて…
毎年、命日のある週の木曜日を挟んだ3日間は時子の職場だったうぐいす館に集まって宴をするのが恒例。命日を挟んだ3日じゃないのは、時子が木曜日が好きだったからって言う理由で。つまりはみんな時子を崇拝している所があるんだな。
それで今年も集まったんだけど、花束が届く。そこに「皆様の罪を忘れないために、今日この場所に死者のための花を捧げます」ってメッセージカードが添えてあった。差出人はフジヒロチヒロ。
フジヒロチヒロ…。それは誰なんです?
時子が最後に書いた作品の主人公。
まー、そんな感じで賑やかだった宴の雰囲気も一変して、もう一度4年前の時子が死んだ時の事を思い出してみようって事で話が展開していく物語です。時子が亡くなった時も、この5人がうぐいす館にいたから。
そう。確かに面白そうな導入だ。私はふとあれを思い出した。湊かなえの「贖罪」を。
女の子の仲良しグループの一人が殺されてしまう話ですよね。残った女の子達は犯人を見ているはずなのに思い出せずに迷宮入りして、大人になってから事件を振り返るっていう。確かにちょっと似てますね。
この話もそういう感じで展開していくのかなぁ〜とちょっと思ったわけです。
ですが、この作品はほとんどうぐいす館から出ない。ほぼみんなでなにか食べながらお酒飲んで話すだけで話が展開していく。
話をしていくうちに今まで4年間に語られていなかった告白があったり、他の人間を告発したりと徐々に疑心暗鬼になっていく。自殺ということになっているけれど、実はこの中の誰かが殺したのでは?と。
ほほう。人狼みたいですね。自分以外みんな怪しいと思っている人たちの会話。どれが嘘でどれが真実かわからない。
うむ。恩田陸のデビュー作の『六番目の小夜子』の中の体育館で連呼するシーンのあの不気味さを、久しぶりに感じたね。よ!待ってましたー!恩田陸の十八番!と。
なんだかんだ言って先生、この作品大好きじゃないですか。
誰も嫌いだなんて言ってないであろう?登場人物の言う言葉が嫌なだけで、心を揺さぶってくるって事は作品としては素晴らしいって事です。
なるほどなー。この作品はだいぶ期待できますね。
…が、しかし。しかし、あえて言っておこう。竜頭蛇尾な作品であると。
最初は竜のようにスゲーって思うのに尻すぼみになって、尾っぽはヘビだったってやつですか。
うーむ。しかしこのラストは別に嫌いではないのだ。恩田陸としては珍しすぎるぐらい綺麗にまとめた。すっきりしない作品が多い中で、これはまとまっているし、ラストも面白い。
なので、竜頭蛇尾ではなく「竜頭蛇尾だと思ってしっぽを確認してみたら、あれ?やっぱり竜の尻尾だった。ん?やっぱりヘビか?いや竜か」っていう作品だな。
つまりはね、我々は恩田陸の手のひらで転がされているということだよ。〇〇だと思ったでしょ?残念でしたー!陸ちゃんでしたー!って言っている恩田陸がなぜか頭に浮かんでくる。
ミステリーを読んでいたのに、終わってみたらコメディーだったのではないか!?という疑問すら浮かんできた。
ミステリーとコメディーって結構両極端に位置するものだと思うんですが。
そこなんですよね。ミステリーと言えば張り詰めた緊張感が必要でしょ?でも時折その緊張感をぶっ壊すようにペラペラと女性たちが話し始めてしまうわけだよ。緊張と緩和。これが笑いのルールでしょ?そうなるとこれはコメディーのようにも思える。
うーむ。それはミステリーになりきれないってことですか?
そう言えたなら簡単なんだけれど、そうでもない。謎でしっかり引っ張っていくし、ページめくりが止まらない。
じゃぁ、やっぱりミステリーじゃないですか。
そーなんだけど、何も起きていないミステリーなんてあるのだろうか…。
何も起きていないミステリー…。でも面白いんですよね?
それが恩田陸の良さなのではないでしょうか?何を読んだのかわからない。でも面白い。何も起きていない。でも怖い。誰も死んでいない。でもサスペンス。こういうの今まで恩田陸でも見られた現象じゃないですか。
そーだな。人によってはそういうはっきりしないの嫌いな人もいるとは思うが、はっきりしないのが魅力という考え方もある。今回の作品はそのはっきりしているのとはっきりしない部分とが今までで一番バランスが取れた作品だと思う。読後感もいいし。
うむ。今までも恩田陸を読むならこれから読めという作品がちらほらあったけど『木曜組曲』も候補として覚えておこう。
ふむ。あ、それにしても先生はおニャン子クラブなんて知ってるんですか?さっきジェネレーションギャップって言ってましたけど、先生は未来から来たんじゃなかったでしたっけ?
限界!白痴モードニ移行シマス!コード「バフチン・トンネルズ・ポルズンコフ!」
あれ?僕は一体何を…。こ、このカセットテープは。
せ、先生!ありがとうございます!これを何度も聞いてしっかりと『木曜組曲』の読書案内を出来るように努力します!
マ、イチ意見デスヨ。「幸福ハ幸福ノ中ニアルノデハナク、ソレヲ手ニ入レル過程ノ中ダケニアル」ト昔ノ人モ言イマシタシ。ヨリヨクオススメデキルヨウニ努力スルノハハイイコトデス。デハデハー。
ラジカセどこにあったっけな…。カセットテープなんて久しぶりに見たぞ…。未来からのロボ。うーむ…
『木曜組曲』で気に入った表現や名言の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『木曜組曲』の言葉たちです。善悪は別として。
国文学とはずいぶんとおめでたくロマンチックな、そして完全な男社会であることよ。
女が女を維持していくには大変なエネルギーを必要とするが、それを当然のごとくやってしまえる女と、それをするのに努力を必要とする女とがいる。
一度の結婚ごときはゴールインではないというのが常識の一族であり、こと恋愛に関してははなからモラルを求めていないようなところがあった。
インテリ女は自分が女であること以外に付加価値があるって信じてるからさ、その付加価値をおだてると弱いんだよ。一番ほめてほしいと思ってるところをほめてあげただけなのに『この人は私のことを理解してくれている』って思い込んじゃうんだよね」
どんなに読むことが堪能な人でも、書けるとは限らない。
まったくあんたたちときたら、一人で生まれてきて一人で育ってきたような顔をしてる高校生みたい
ノンフィクションのライターは、下手をするとフィクションのライターよりも人柄が文章に出やすい。
相変わらず意味分かんないわね、この文芸評論家の対談って。あたしも一応現代文学専攻だったんだけどさあ――これって、日本語になってるのかなあ?
でも、告白するとあたし未だに自分の受賞理由がよく分かんないのよね。何度も選評読んだんだけどさ、あまりにも用語が難しくって。褒めてるのかけなしてるのかすらも分からないんだもん。めったに本読まない友達が受賞作読んでくれて、『この歯医者すっごくキモチワルイね』って言ってくれた時の方が、全然嬉しかった
小説書くのなんてものすごく個人的な行為で、しかも後ろめたい恥ずかしい行為じゃない? あたし、明るいハキハキと誰にでも『私作家になりたいんです』って言える人って、どうしても納得できなくてさあ
温めている構想を内緒にしておきたいという気持ちと、誰かに話したいという気持ちは比例する。
「昔大きな組織から足を洗った、一匹狼の男がいます。腕っぷしは強いけどもう暴力は嫌いです。酒や銃や釣りなど、蘊蓄を垂れます。ある日、昔の仲間から昔のよしみで何かを頼まれます。男はもうカタギなので断ります。でも、男の家族や友人が巻き込まれてしまったので、やむにやまれず事件にかかわります。昔の女がでてきます。ドンパチやって事件の黒幕に迫ります。あと一歩というところで昔の女か友人が男を裏切っていたことが分かります。結局みんな死にます。男もいっぱい殺します。虚しいです。男はまたいつもの生活に戻ります。どうだ。ちょっと字数オーバーしたかな」「それ、日本だけじゃなくて世界のハードボイルドの帯に使えるね」
静子は大人だから、自分の敵や気に食わない人物に意地悪をしたり露骨な態度を取ることはない。彼女は、そんな無駄なエネルギーは使わない。そういう相手を自分の世界からスパッと遮断することができるのだ。自分とは合わない、この人とは関わりたくない、そう思った瞬間に全てを切り捨ててしまう。
小説というのは、密室の個人作業で産み出され、完成品だけが人の目に触れる商品。誰でも、小説家の内幕には興味があるもの。きっと裏にはどろどろしたものがあるに違いないと読者は思っている。
引用:「木曜組曲」恩田陸著(徳間書店)
『木曜組曲』を読んでいる時にパッと思い浮かんだ映画・小説・漫画・アニメ・テレビドラマ、または音楽など
神ト悪魔ガ闘ッテイル。ソシテ、ソノ戦場コソハ人間ノ心ナノダ。コノ作品ガ私ニ思イ起コサセタ。タダソレダケナノダ。1ツノ部屋デ話シマクル。ラストノドンデンガエシ。ウフフ。
『木曜組曲』のまとめ
恩田陸は、こうなんというか、閉じ込められた世界って感じを舞台にするとむちゃくちゃ輝きますね。始終うぐいす館での出来事で、文筆業という狭い業界の人たちが話をしているという、かなり限定的で展開させないと面白くするのは難しそうなモノをサラりと面白く仕上げてきますからね。
でも今回の展開の仕方にはまんまとやられた。これほど面白く、これほど中身がない物語。読み終わったあとに何も起きてないやないか〜!!と叫んでしまった。部屋で一人。してやられたとはまさにこの事。
完全に恩田陸の手のひらでコロコロ転がされた僕でした。面白いと思うんだけどなぁ〜。あんまりAmazonで評価良くなかったんだよなぁ。必死で考えたけど理由がわからない。やっぱりこういう何も起きないってのはダメなのかしら。
ではでは、そんな感じで、『木曜組曲』でした。最後にこの本の点数は…