『模倣犯』を読みました。前回読んだ『孤島の鬼』があまりにも面白かったので、推理小説を続けて読もうと思い、「推理小説」で検索すると、ミステリー作家で宮部みゆきが結構ヒットして、そう言えば宮部みゆきは大学時代に『火車』を読んだ以来、何も読んだことないよなぁって思って映画やドラマで名前の知っていた『模倣犯』を選びました。
まさか『模倣犯』がここまで長いとは…。しかし、不思議なもので読み始めると止まらなくて、最後の方なんか読み終えてしまうのがなんとなく残念な気さえしてきました。現在はものすごい喪失感や虚無感が襲ってきております。
でもやっぱり長いよなぁ…。
10秒でわかる『模倣犯』のストーリーのまとめ
公園のゴミ箱から発見された女性の右腕とハンドバッグ。第一発見者は奇しくも過去に家族を皆殺しにされ一人悩む少年。孫娘を殺された老人や復活を夢見るフリーのルポライター、デスクを担当する刑事など犯人を追う側の視点と、犯人とされる蕎麦屋の息子と同級生のヒロミ、そして同じ同級生のピースと呼ばれる男による犯人側の視点など様々な登場人物を色濃く描いた群像劇タイプのミステリー。
もし、あなたに喫茶店で『模倣犯』ってどんな本?あらすじは?と聞かれたなら…
…そんな事を『模倣犯』について抹茶ラテでも飲みながらカフェで話すと思います。
『模倣犯』で気に入った表現や名言の引用
日々の一瞬一瞬を、写真に撮るようにして詳細に記憶しておく。会話の端々までも、風景の一切れさえも逃さず、頭と心のなかに保存しておく。なぜなら、それらはいつ、どこで、誰によって破壊され取り上げられてしまうかわからないほど脆いものだから、しっかりと捕まえておかなければいけないのだ。
確かめたいのだ。また一日が始まることを。毎日、毎朝、自分が生きている――いや、昨日一日を生き延びて、今日という日を迎えることができたということを。まだ自分の人生は終わっていないということを。この先に控えているのは何ともしれない新しい一日ではあるけれど、とりあえず昨日は過ぎ去った、昨日という日を、自分は無事に生き終えた、と。そうしないと、生きている実感がわいてこないのだ。ちょうど、どこまで行っても風景の変わらぬ広大な砂漠を歩く探検家が、時々振り向いて足跡を確かめてみないと、自分が進んでいるのか停まっているのかわからなくなってしまうのと同じように。
禿げあがった額に秋の明るい日差しが映っているが、それは不幸のあった部屋いっぱいに陽があたっているみたいなものだった。
そして思うのだ。自分の家庭もきちんと切り回すことのできないあたしに、家庭雑誌の記事を書く資格があるのだろうか? 独身時代には、家庭持ちでないあたしが家庭向けの記事なんて――とは、一度だって思わなかった。仕事は仕事、プロとして間違いのない記事を書けばいいと、実に簡単に割り切ることができていた。それなのに――「結婚とは便利を幸せにすり替える仕掛けだ」という格言があるそうだが、滋子にとっては、結婚とは、独身時代には後ろめたく思わなくて済んだことのひとつひとつに罪悪感を持たざるを得なくなる仕掛けだった。
できるかどうかは、あなた次第ですよ
書けるさ。やってもみないうちに、何言ってんだよ
独りだった。有馬義男は途方もない孤独のなかにいた。しかも、それはまだ始まったばかりだった。
義男は立ち上がり、腹立ちまぎれに空になった湯飲みをむずとつかむと、台所へ行った。蛇口を開けて流しに水を張る。しかし、大きな水音も、義男の耳の奥で血が沸騰する音をかき消すことはできなかった。あまりの腹立ちにめまいがしそうだった。
刑事という職業に就いていると、縦にしても横にしてもどうしようもないような人間を、自分の性根を腐らせ他者を傷つけ身内を泣かせるためだけに生まれてきたような人間を、げんなりするほど間近に目にすることが多い。だがその反面、ごく普通の人のごく普通の言葉、態度、生き方の在りように、いずまいを正さずにはいられないような気持ちになることもある。今、武上はそういう気持ちだった。
石井良江はお冷やのグラスをつかんでいる。グラスの内側で水が震えていた。
この世に満ち溢れているのは、みんな犠牲者ばっかりだ。真一は考えた。それならば、本当に闘うべき「敵」は、いったいどこにいるのだろう?
木田は電話機をつかむと、コードを引っこ抜いて壁に叩きつけた。電話機はリンと鳴ると、木田を嘲るように腹を上に向けて床に転がった。
皆、無意識のうちに知っている。宣伝こそが善悪を決め、正邪を決め、神と悪魔を分けるのだ ――と。法や道徳規範は、その外側でうろちょろするしかない。
犯罪者に限らず、ある種の事件を起こし易いタイプの人間をして事件の方向へ向かわしめるのは、激情でも我執でも金銭欲でもない。英雄願望だ。
十九歳の若い男が女の子を助手席に乗っけているときに持ち合わせている自制心など、ウエットティッシュでひと拭きすればぬぐい去られてしまうほどのわずかなものだ。
詳しいことはまた明日――と、話を終えて和明が寝てしまってから、文子は風呂に入った。ひとりになると、なぜだか判らないが泣けてきてしまい、どうしても我慢ができない。自分で自分が泣いているのを見るのが嫌だったから、風呂場の鏡から目をそらし、やたらに顔をざぶざぶ洗った。
今日日の都市部の中学生の女の子であれば、舞衣のような暮らし方には、必ず危険が伴うことをちゃんと知っているからだ。あんなことを続けてたら、いつかきっと危ない目に遭う――いや、女の子は危ない目に「遭う」のではない、女の子は危ない目に「遭わされる」のだ。
大人ならば、家出という形で家庭を捨てても、それは単に、船がひとつの港を離れること、今いるこの港に帰る資格や権利を失うということでしかない。いやそれ以前に、どこを漂流しようとも、仕事や税金や社会保険やその他ありとあらゆる無線の周波数をあわせておかなければならないということによって、「社会」という大陸とは否応無しにつながっている。
しかし、子供の場合はそうではない。彼らが家を離れ家庭を捨てるということは、そのまま船籍を失うということを意味する。存在そのものが消えてなくなるのだ。嘉浦舞衣もそんな幽霊船のひとつになってゆく――
想像のなかの自分の姿にうっとりと見惚れながら、朝からずっとくだらない番組を見続けた。今年も秋刀魚は豊漁だとか、秋の行楽シーズンの穴場のお勧めとか、時間の無駄としか思えないような番組でも、しかし、いつあのニュースが流れるかと期待しながら見守っていると、なんだかとても愛しく感じられた。上から見下ろすならば、どんなものでも小さくて可愛らしく見えるものなのだ。
恋愛中の女の子が、機会を見つけては自分の顔を鏡や地下鉄の窓ガラスに映して笑顔を浮かべてみるように。あの気持ちがやっと判った。あれは幸せだから笑ってみるのだ。自分の顔に幸せが浮かんでいるのをその目で確かめたいからやっていることだったのだ。今の栗橋浩美もまったく同じ気持ちだった。幸せで、自分に誇りを持っていた。
鏡は人を映す――顔を映し、姿を映し、瞳の色を映し、その輝きを映す。それはただの物理的な作用で、映したからといって鏡がその人の何を知るわけでもない。鏡は無機質で無関心だ。だから人は、安心してその前で自分をさらけ出すことができる。自分を点検することができる。悦びや誇りの想い、世間への遠慮や謙譲の念に縛られて押し隠すことなく、おおらかに解き放つことができるのだ。もしもこの世に鏡が存在せず、互いに互いの顔を点検しあったり、自分で自分を観察したりするだけで生きていかなければならないとしたら、人は今よりももっと深く自分のことを点検しなければ気が済まず、安心できず、気を許すこともできなくなって、生きていくのがずっとずっと困難になるだろう――
病室は、ひとりの人間が、自分はいかに孤独であるかということを、他人に対しても、自分自身に対してもさらけ出さねばならなくなる場所だ。いつもはドアを閉じ窓を閉めることで世間から隠している生の個人生活が、ここではいっぺんにむき出しにされてしまう。その結果、他でもない当の入院患者本人が、今まで自分の生活のなかで確実につかんでいると信じていた愛情や、築いていると確信していた人間関係が、ただの嘘や無関心や思いこみや勝手な期待によってつくりあげられた幻影に過ぎなかったということを目の当たりにして、絶望的な気持ちになってしまうことがある。
「本当の悪は、こういうものなんだ。理由なんか無い。だから、その悪に襲われた被害者は――この場合は気の毒な梅田氏だ――どうしてこんな目に遭わされるのかが判らない。納得がいかない。何故だと問いかけても、答えてはくれない。恨みがあったとか、愛情が憎しみに変わったとか、金が目当てだったとか、そういう理由があるならば、被害者の側だって、なんとか割り切りようがある。自分を慰めたり、犯人を憎んだり、社会を恨んだりするには、根拠が必要だからね。犯人がその根拠を与えてくれれば、対処のしようがある。だけど最初から根拠も理由もなかったら、ただ呆然とされるままになっているだけだ。それこそが、本物の『悪』なのさ」
ピースは専門家みたいなことを言う。たぶん資料や本を読んで調べたのだろうけれど、こういうとき、けっして「――だそうだ」とか「というふうに書いてある本を読んだ」などとは言わず、「――だ」と、まるでそれが最初から自分の知識であるかのような言い方をするのがピースのクセだった。
僕が昆虫採集を嫌っていたのは、採集すること自体が嫌だったからじゃない。意味のないものを集めたって無駄だと思ったからなんだ。意味のないものに、物語はつづれないからね
栗橋浩美は冷え切ったポケットに両手を突っ込み、他の誰でもない自分自身に、自分がちょっぴり疲れていることをアピールするために、声を出してため息をついた。
嘘をつくのは易しい。難しいのは、ついた嘘を覚えておくことだ。
思い出なら星の数ほどある。どの思い出も星のように輝いている。高井和明の追憶という小宇宙のなかには、思い出と思い出が結びついて形を成した星座がいくつもある。そこにも、ここにも。
最初から頼りがいのある人間なんていない。最初から力のある人間なんていない、誰だって、相手を受け止めようと決心したそのときに、そういう人間になるのだ。
作文はそこらにあるものをつなぎあわせるだけで創ることができるが、詩はそうはいかない。詩を書くという作業は、自分の心のなかに内視鏡をさしこみ、そこから組織の一部を切り取って、標本をつくり、目の前に並べてゆくことに等しい。
記憶、記憶、記憶。人間は記憶そのものだ。唐突に、そんな洞察が頭の底の方で閃いた。たくさんの記憶を、皮膚という皮一枚でくるりと包み込むと、それが人間になる。子供から大人へと成長するにつれて身体が大きくなるのは、それだけ中身の記憶の嵩が増えていくからだ。
人は誰でも、自分の幻想という小さな王国のなかでは、ちっぽけな王冠をかぶり王座に座っている。そういう部分があること自体は、けっして邪悪でもなけれは罪深くもない。むしろ、軋礫の多い現実世界を生き抜いてゆくためには、なくてはならないことなのだ。
自分はこんなツマラナイことをするために生まれてきた人間ではない〟と思って退屈な「日常」から離陸したはいいけれど、結局はすることもなくブラブラと日々を遊び暮らしているだけの〝優秀な〟若者は、掃いて捨てるほどいるのだ。
人間て、そんなに独創的な生き物じゃないよ。みーんな何かを真似っこして生きてるんだよ
分類だ。解釈だ。起こってしまった事件を、現代の事件史や風俗史のなかに納めるときに、ファイルの背表紙に貼るレッテルだ。そして分類をするのもファイルを作るのもレッテルを貼るのも、犯罪者の仕事ではない。それは――それは、どれほどの歪んだ機会を与えられようとも、犯罪者がやったようなことは決して決してやらないタイプの人間が担当する作業であって、だから犯罪者は常にただ分析され解釈される側にいるのであって、絶対にそちらの側からこちらの岸に渡ってくることはないのであって、だから、最初から自分の内側の黒い衝動について説明する的確な言葉や貼るべき正しいレッテルを持ち合わせている連続殺人者などいるはずがない。彼らは彼らなりに自身の内面について説明する言葉や考えは持っているだろうけれど、それは必ず舌足らずであるべきで、必ず補足説明と解釈を必要とするべきもので、そもそも、だからこそ、彼らは犯罪を起こすのだ。
怖い、怖いと思いながら隠れていると、もっと怖い。怖いから、立ち向かうということだって、人間にはあるよ。
覚悟はしていたなんて言い方をする時に限って、本当の覚悟なんてできてないものなのだ。
情報には距離がない。だが、人間には距離があるのだ。
悪いことを考えなければ、見て見ないふりをすれば、悪いことは起こらないという考え方ですよ。
日本人は木と竹と紙で家を建て、たいていは一代限りで建て替える。持ち主よりも、家の方が長生きするなどということはほとんどない。ところが欧米では、石やレンガで家を建てるので、そこに住む者たちよりも、家そのものの寿命の方が遥かに永くなる。
犯罪捜査とは、犯人のおかした間違いを探す作業だと、武上は考えている。犯罪は難しい。この世でもっとも困難な仕事のひとつだ。どれほど頭の良い犯罪者でも、ひとつのミスもしないでクリアできるものではない。完全犯罪などあり得ない。そして犯人を追う警察側にとっては、彼ら彼女らのおかしたミスのひとつひとつが道標になり、足場に打ち込まれたハーケンになり、タイヤのスキッドマークになるのだ。
「それでも、もしも本当に真犯人Xが存在するとしたらどうですか?」 食い下がる記者に、三宅みどりの父親は、震える声で答えた。「もしも?私が考える〝もしも〟は、そんなことじゃないよ。私が毎日毎日、息を吸ったり吐いたりするたびごとに考えてる〝もしも〟は、そんなことじゃない。〝もしも〟私がああしていたら、〝もしも〟私がああしなかったら、みどりは今でも生きていたんじゃないか、そればっかりだ。その〝もしも〟ばっかりだよ。ほかの〝もしも〟なんて、考える余裕などあるものか」
「自分の面倒もみられない僕には、ホントはそんな資格なんかないんだけど」 有馬義男はぶんぶんと首を振った。「とんでもないよ。そんなことはない。だけどあんたら若い人は、よくそういうものの言い方をするね?」「そういうものの言い方って――」「自分には何々する資格はないとかさ、自分は何々だと思ってコレコレのことをしてきたけれど、本当はそれは偽りで、自分の心の底にはコレコレしたいシカジカの動機が隠されていたのだから、あれは間違いだったんだ、とかよ」
「あんたはいつだって何かやろうとしてきたんだ。あんたの身に降りかかった災難から立ち直るために、何か道がないかって、ずっと探してきたんだ。その一瞬一瞬は、いつだってあんたにとっては正しい方向を向いていたんだよ。だけど、ちょっと続けて苦しくなると、すぐにそれが間違ってたような気分になって、やっぱりあれはホントじゃなかったって言い始める。まるで、いちいち〝あれは本当のことじゃないです〟って断らないと、誰かに叱られるとでも思ってるみたいだ。誰も叱りゃしないよ。だって、あんたの人生はあんたのものなんだから。過去の災厄だけがあんたのものなんじゃなくて、これから先の人生だってあんたのものなんだ。誰にもお伺いをたてたりせずに、自分のためになることを自由に考えていいんだよ」
子供は天使のように可愛らしいが、何か隠し事をしようと思うときには、悪魔のように狡猾に立ち回ることだってできるのだ。
人間は、それが自分の身に降りかかり、否応なしに逃れることができないものでない限り、真実に直面することなどない。自分にとっていちばん居心地がよく、納得がいって気分の良い解釈を〝真実〟として採用するだけだ。
本当のことっていうのはな、網川。あんたがどんなに遠くまで捨てにいっても、必ずちゃんと帰り道を見つけて、あんたのところに帰ってくるものなんだよ
「ここで経験できたことが、次の事件でも役に立つかもしれない。だが、ここで経験できたことは、次の事件では経験できないことかもしれない。だから、今できることは全部、今のうちにやっておけ」
引用:「模倣犯」宮部みゆき(新潮社)
『模倣犯』のおすすめポイント
まとめ
いやー。想像以上に長かった。前回の孤島の鬼が一冊で終わったのに対して、こちらは五冊。本筋の方にはほとんど謎が隠されておらず、すべてをさらけ出していて、謎がページめくりを進めるミステリー小説にありがちな知りたい願望への刺激がないにも関わらず、ここまで読ませるのは本当にすごいと思う。
読書好きな人にとってはもしかしたら冗長すぎて、つまらなく感じてしまうのかもしないけど、読書に対してあまり習慣がない人が読んでもそれほど苦痛は感じず、読書が好きになれるんじゃないかな。
『火車』の方が良いというレビューが結構多かったけど、僕はどちらにも甲乙つけがたく感じました。うーん。うーん。どっちだろう。どっちを友人に勧めるだろう。どっちかひとつだけと言われたらそれだけで一ヶ月は悩む。その一ヶ月悩んでいる間に両方読んでほしい!
ではでは、そんな感じで、『模倣犯』でした。
あ、僕はこの本を読むのに、23日かかりました。結構かかったなぁ。