麦の海に沈む果実を読み終えて、恩田陸の作品だけを読みはじめてちょうど10作品目になりました。
発表年順に恩田陸をひたすら読んで感想を書くという企画を勝手に自分の中でやっていたわけですが、10個目という事でちょうど区切りもいいし、なんとなくここに書くレビューも似たり寄ったりな事しか書けなくなったので今回でひとまず恩田陸作品だけをひたすら読み続ける企画は休憩。
…と思って読み始めた『麦の海に沈む果実』。まさか、こんなにも恩田陸の世界観に翻弄される事になるとは。早速レビューの方に行ってみましょう。
麦の海に沈む果実 – 恩田陸・あらすじ
麦の海に沈む果実とは…
三月の国と呼ばれる中高一貫教育の全寮制の学園。三月以外の転入生は破滅をもたらすと言われているが、理瀬が来たのは二月の最後の日。そしてそんな嫌な噂通り閉ざされた学園から生徒が一人、また一人と消えていく。一体理瀬は何者なのか。そして理瀬が迷い込んだ三月の国の秘密とは…。恩田陸が送る長編ミステリー。
読書エフスキー3世 -麦の海に沈む果実篇-
前回までの読書エフスキー3世は…
書生は困っていた。「うわっ!この本55ページがずっと続いているよ…。GoGo!印刷ミス!」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。読んでいない本のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
麦の海に沈む果実 -内容紹介-
大変です!先生!恩田陸の『麦の海に沈む果実』の事を聞かれてしまいました!『麦の海に沈む果実』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
“圧倒的世界観に魅了される小説”デスナ。
…と、言いますと?正直な所『麦の海に沈む果実』は面白い本なのでしょうか?
これは、私が古い革のトランクを取り戻すまでの物語である。
引用:「麦の海に沈む果実」恩田陸著(講談社)
コンナ一文カラ始マル日本人作家ノ長編小説デス。読メバワカリマス。
えーっと、それでは困るのです。読もうかどうか迷っているみたいですので。ちょっとだけでも先生なりのご意見を聞かせていただきたいのですが。
真ノ紳士ハ、持テル物ヲスベテ失ッタトシテモ感情ヲ表シテハナラナイ。私ノ好キ嫌イヲ…
えええい。なんと頑固な人だ。先生、失礼!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
麦の海に沈む果実 -解説-
いやー、恩田陸の作品を読みはじめて、もう10作品目になりましたよ。
そうですね。芥川賞と直木賞同時受賞者が面白い小説として名前を上げていたからって言って、六番目の小夜子について語っていたのも、もうだいぶ昔のことのように思います。
ところで、今まで語った作品の中で、『三月は深き紅の淵を』って覚えてるかね?
あー、あの一冊の本を巡る独特な世界観を持つ作品ですよね。四章にわかれた長編小説かと思ったら短編だったみたいな。でもその短編すべてが無関係とも言い切れず…的な。
そうそう。『三月は深き紅の淵を』の四章目では実際にこんな風に書かれている。
漠然と考えていた企画は、第一章「待っている人々」では『三月は深き紅の淵を』という小説は存在しないことになっており、第二章「出雲夜想曲」では実際に存在していることになっており、第三章「虹と雲と鳥と」ではこれから書かれようとしているところの話、第四章「回転木馬」ではこの小説を作者が今まさに書こうとしているところ、というものだった。
引用:『三月は深き紅の淵を』恩田陸著(講談社)
あー。確かそうでした。「回転木馬」と名付けられた四章が一番難解だったのを覚えています。変な話が途中途中で織り込まれていくんですよね。
うむ。最初は今から書くぞと思っている恩田陸が説明を踏まえながら書き進めていくものが「回転木馬」の流れだと思っていた。実際に第二章の舞台になっている出雲へ向かう列車の中の描写だったり、紫陽花の花を見ながら旅は外界の刺激が新鮮で色々なものが浮かんでくる…っていうエッセイも交えて進んでいく。
ですよね。冒頭でタイトルは大事だ!なんて言って「回転木馬」ってタイトルを先に決めちゃったから、文章どうしようって試行錯誤している著者?恩田陸?の描写があって。
ところがこの「回転木馬」。話が徐々に脱線していく。廃屋やらジャングルやらベトナム戦争やら。そして突然織り込んでくるんだね。理瀬の話を。
あ!そうです!理瀬です。言葉悪く言えば、あの理瀬の物語が邪魔だったんです。ところどころ急に挟み込まれてきたから「回転木馬」が難解になったというか。今でもあの四章の意味がイマイチ掴みきれていないんですよね…
邪魔って君。でも安心したまえ。今回の『麦の海に沈む果実』は、君が今、邪魔と言った「回転木馬」の理瀬の物語だけを抽出して書かれた長編小説だ。
しかも今度は『麦の海に沈む果実』の中に『三月は深き紅の淵を』という本が出てくる。
おぉぉ…。なんかもう箱の中に箱が入っててどっちが外側だか内側だかわからない構成ですね。同じサイズのマトリョーシカ…。
でもね、これよく練られていますよ。『三月は深き紅の淵を』を読んだ読者が『麦の海に沈む果実』を読んでも楽しめるし、『麦の海に沈む果実』を読んだ後に『三月は深き紅の淵を』を読んでも楽しめる。
おー!そりゃー良いですね。僕いっつも読書する時にどの順番で読めばいいんだ?って迷ってしまうんですよね。んで結局失敗したくなくて、そのシリーズは後回しにしちゃう。本当にどっち先に読んでも大丈夫なんですか?
まぁ、『三月は深き紅の淵を』の方が出版順で言うと先だからそっちを先に読んだとして、あれは先行公開シングルだったんだなと考えればいいと思います。あるじゃないですか。ミュージシャンがA面シングルの1曲だけ先に配信リリースして後でCD化したものを販売するやつ。
あー。1曲500円とかのやつですね。でもそれなら、あとでまとめて読んだ方が良いじゃないですか?「先行シングル買ってもどうせあとでCD買うんだよなぁ…もったいないなぁ」って思っちゃうんですよ。
それがね、ちょっと内容が書き換えられているのですよ。するとどうだろう。『麦の海に沈む果実』を読んだ時に若干の既視感に見舞われる。あれ?これ読んだぞ?といういわゆるデジャヴというやつです。でもちょこっとだけ書き換えられているから違和感も同時に感じる。
既視感と違和感を同時にですか。なんか不気味な感覚ですね。
そう!まさにそれだ。『麦の海に沈む果実』は今までの恩田陸の作品の中でも徹底して世界観を作り込まれているね。不気味な感覚ってのはデビュー作の『六番目の小夜子』の時からも存在はしていたけれど、それをもっともっと掘り下げた感じ。
ほほー。世界観重視ですか。という事は今回はファンタジーですか?
うーん。どうだろう。どっちかと言えばミステリー寄りな気はするが。そもそもが舞台設定も日本で、湿原のどこか奥深い場所に建っている学園とは書かれているが、なんとなく読んでいると西洋のどこかな気もしてくる。非常に不思議な感覚には包まれるのだけれど、ファンタジーか?って言われると…うーむ。
西洋風ってまさにファンタジーな気がするんですが…
いやー、なんというかね、今までもあったでしょう?これなんてジャンルの小説?って感じのやつ。でもあーゆー感じで迷うってわけじゃないんですよ。ファンタジーチックではあるんですが、あくまでも雰囲気がファンタジーなだけで実際に起きている事件はミステリー。そうですね。そんな表現が正しいと思います。舞台はファンタジー。事件はミステリー。
舞台はファンタジー。事件はミステリー。なんかKinKi Kidsの歌詞にありそうなフレーズですね。学園ものミステリーなんですか。あ、でもあれか『三月は深き紅の淵を』の本が出てくるって事は今回も本を巡る物語なんですね?
いえ…。それがまぁ、なんというか恩田陸らしくはないんですが、ガッツリ人が死ぬんです。もうあれ?恩田陸ってこんなに簡単に人を殺しちゃう作家だっけ?って思うぐらいモブキャラ達がどんどん死にます。
そーなんですが、それを殺人事件として成り立たせない閉鎖的な学園…というのが舞台でして。
学園を牛耳っている校長先生がいて、どんな事も自分の思うがまま。殺人事件が起きたとしても、事故として処理されたり、事情による退学扱いになっていたりするわけです。
いやー、これがねまずは『三月は深き紅の淵を』の四章に書かれていた時とは違う部分のひとつです。『三月は深き紅の淵を』では出てくるのが教頭なんですよ。それが校長先生に書き換えられ、初老の美しい女性という設定もちょっとわけありの男性に書き換えられている。
教頭が校長に。女性が男性に。…ん?それは重要なんですか?どっちでもいいよ!って感じなんですが。
いやー、このちょっとの設定の違いが重要でね。あとあと効いてくるのですよ。そしてね、そんなどっちでもいいよと思えるような書き換えがちょこちょこ起きているから、違和感を感じるわけです。物語の導入から。そしてその事が理瀬の感じる違和感とシンクロしているようにさえ思えてくる。
なるほどな〜。それが『三月は深き紅の淵を』を先に読んだ人の特権ってわけですね。では後に読んだ場合はどうなんですか?ぶっちゃけ『麦の海に沈む果実』を先に読んじゃってもいいんですか?
うむ。それもまた一興。この小説を読み終わってから『三月は深き紅の淵を』の第四章、回転木馬を読む色々と発見がある。まずこの部分を読んでみよう。
「三月は深き紅の淵を」は、先にタイトルだけがあった小説で、このタイトルを思いついたのは何年も前で、当初の予定では、幻想の学園帝国に展開する悪夢のような世界に生きる人々がミステリアスな冒険をする話のつもりであったと記憶している。
引用:『三月は深き紅の淵を』恩田陸著(講談社)
幻想の学園帝国に展開する悪夢のような世界に生きる人々…これはまさに『麦の海に沈む果実』の説明をしていると言っても過言ではないでしょう。 さらにこう続く。
これが何の影響を受けたかは自分で分かっている。昔、美内すずえの漫画に『聖アリス帝国』というのがあって、一人の女王を頂点とする君主制国家である学園帝国を舞台にした冒険ものだった。
引用:『三月は深き紅の淵を』恩田陸著(講談社)
『麦の海に沈む果実』のキーワードが散りばめられた説明。聖という登場人物は出てくるし、導入でアリスの話はするし、一人の女王を頂点とする君主制国家である学園帝国なんて、まさにこの小説の舞台をそのまま端的に説明したようなもの。
そう考えるとこれは『麦の海に沈む果実』の先行シングルでもあり、解説書でもあるのでしょうか?
解説書。確かにそうかもしれませんね。『麦の海に沈む果実』を読んでいて感じる疑問とか、そういうのを恩田陸が説明してくれているような気はします。ちょこちょこ気になる部分はあったんですよね。
『麦の海に沈む果実』の地の文は誰が書いている事になっているのか?という事です。この小説は理瀬が自分の記憶を振り返っているという設定で書かれてはいるんです。
そうなるとですね、理瀬がずーっと存在していないといけないわけじゃないですか。理瀬の記憶なんですから。でもね、何ヶ所か理瀬がいない部分があるんですよ。そうなると地の文を読んでいて違和感が現れるんです。
あ、ちなみに地の文ってのはあれですよね?会話以外の文って事でいいんですよね。
そうです。んで、そこで感じた違和感を抱えながら、回転木馬に戻るじゃないですか。すると書いてあるんです。答えが。
私は一人称の小説が苦手だ。書いていると、どうも居心地が悪い。主人公の性格になりきり、主人公だけの視点で動くのがつらくてたまらないのだ。独白としての登場人物になりきることはできても、話の枠組みとしての登場人物になりきるのが苦痛なのである。
引用:『三月は深き紅の淵を』恩田陸著(講談社)
あー、苦手なんですね。一人称小説が。そしてやっぱり主人公だけの視点では書ききれなかったと。
そんな感じでですね、作者の解説みたいな感じで読めちゃうわけですよ。2つの小説が。 なんというか新しい事にチャレンジしていく変動期のような気がしますね『麦の海に沈む果実』という作品は。
これまでの恩田陸の作品とは違う部分は他にありますか?
そーですねー…。うーん。あ。あれです。今までの恩田陸の作品に出てくる登場人物って持論を語る人が多かったでしょう?
僕がこれは名言だ!と思って線を引く所は大抵そういう持論を堂々と語る所が多いです。
でもね、今回はとにかくそういうキャラがほとんどいない。とにかく世界観重視。世界観壊すような事は登場人物にさせない。完璧に管理された世界ってのを演出していますね。
うーむ。そーなんですね。そうなると僕はちょっと苦手なジャンルかもしれません。なんだかんだで、本を読む醍醐味ってそういう持論の部分にあるなんて思っている派ですから。
なのでね、今回の作品はアクが強い。アクが強いが故に好き嫌いが激しくわかれる気がします。パクチーって大好きな人はたまらなく好きだけど、嫌いな人は全く受け付けないじゃないですか。あーゆー感じなんです。この小説は。
でも、そういう小説にこそファンって付くものですよね。
そう。だからね、理瀬シリーズってのはもう狙って書いているんだと思います。特定の層が大好きな形で。万人受けを捨てて、とにかく好きな人にはたまらん!っていう世界観を構築してる。
それじゃー今まで恩田陸とはどんな作家か?と言われた時に色んな顔を持つ作家って感じがしましたが、これが恩田陸だ!!ってのを作り上げたってわけですね。
その通り。まさに恩田陸とはこんな作家と紹介する時にわかりやすい作品だと思いますね。もちろん他の作品を勧めた方が受け入れやすそうで当たり外れが少ない気はしますが。
あ。今回は、モヤッと感はどうでしょうか。恩田陸といえば…モヤモヤな結末ってのが僕の中の恩田陸でもあって。
比較的オチはつけた方の作品だと思うけど、この作品続編があるからね。すべての謎は回収していないし、そもそも謎だらけな世界観だから、やっぱりモヤっと感はハンパないと思います。
これね。まー、何にせよ読み終えた後に、もう一度じっくり読み返したくなりましたね。結構長い作品ではあるんですが。全部を読み終え、回転木馬の部分も読んだ後にもう一度読むと何か新しい発見がありそうな気がする。読み応えのある閉鎖的な世界観を持つ、そんな小説でした。
苦手そうだとは言いましたが、読むのが楽しみになって来ました。
あ、あと地味に嬉しいのは解説が私の好きな作家の笠井潔が書いている所です。そこんところもよろしく!
さてさて、これにて恩田陸の作品を発表順に読んでいくという企画はちょっくらお休みさせてもらおうとしますか。
いえいえ、最終回ではないですよ。まだまだこれからも読み続けては行きますが、ちょうど10作品目でキリがいいですし、ぶっちゃけ10個も続けて書くと解説が似通って来ているでしょう?
なのでね他の作家の作品とかも読んで新しい風を入れて行こうと思うのです。
新しい風。…ん?あれ?先生はロボで、データはすでにインストールされているのではないのですか?
楽しみですねぇ。もうすでに次に読む本は決めてあるのですよ。うふふふふ。
(マンネリは ロボにもきっと あるのだな。書生こころの俳句)
ではでは、またどこかでお会いしましょう。
いやいや、なんか最終回みたいになっちゃってるよ!!終わらないよ!
批評を終えて
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「バフチン・レビューハ・ヤメナイヨ!」
あれ?僕は一体何を…。こ、このカセットテープは。
せ、先生!ありがとうございます!これを何度も聞いてしっかりと『麦の海に沈む果実』の読書案内を出来るように努力します!
マ、イチ意見デスヨ。「幸福ハ幸福ノ中ニアルノデハナク、ソレヲ手ニ入レル過程ノ中ダケニアル」ト昔ノ人モ言イマシタシ。ヨリヨクオススメデキルヨウニ努力スルノハハイイコトデス。デハデハー。
ラジカセどこにあったっけな…。カセットテープなんて久しぶりに見たぞ…。未来からのロボ。うーむ…
名言や気に入った表現の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『麦の海に沈む果実』の言葉たちです。善悪は別として。
ここでは、あなたは水野理瀬じゃない。ただの『理瀬』なの。ここではみんなが家族。あなたはどこの誰でもない、十四歳の『理瀬』という女の子。
大丈夫、気は弱いけど芯は強いつもりだから
闇の中、三つの光の合わさった球形の空間に、驚いた顔の黎二が浮かび上がる。
窓が開いている。外につながっている。果てしなく広い闇につながる窓が開いている。そこから何かが入って来る。こんなところに座っている無防備なあたしと同じ空気を吸っている何かが入って来る。窓が開いている。闇の中に向かって窓が開かれている。
物言わぬ物体の質量が、五人を圧倒していた。
理瀬は、曇った空は嫌いではない。むしろ曇り空の方が、雲の立体感に変化があって、夢見がちな彼女にとって考え事をするのに向いていた。雲の動きを目で追っていくのは、自分の内側にある感情の流れを追っていく行為に似ているからかもしれない。
俺は、校長が窓を開けたのが気になる。むしろ、窓を開けるために降霊会をやったんじゃないかと思ったくらいだ
鳥は飛べる。どこにでも行ける。でも、あたしたちはこの丘から逃げ出せないのだ。
日本語って視覚的にゴージャスな感じがしていいですよね。漢字は贅沢な絵みたいだし、ひらがなは無邪気で色っぽい
たいへんだと思うよ、きれいな女の子でいるのって。目立つし、ちやほやされるし、妬まれるし。そういう中で自分を第三者的に見る目を養うのってけっこう難しいと思わない? どんなに謙虚にしていても、実際自分の容貌が周囲より優れているということは紛れもない事実なんだもの。ただ存在しているだけなのに、その存在が友人を傷つけてしまったり、世渡りの武器になったり、妄想や先入観を植え付けて攻撃されるきっかけになったりするんだから、だんだん用心深くなるよね。そこに辿り着くまでに、いいことばかりではなく相当嫌な思いもしなきゃならない。ただ傲慢に自分の美しさを鼻にかけている女の子ってそういうバランス感覚がない。そういう子って全然きれいだと思わないんだ。その一方で僕は無垢な美少女っていうのも信じない。ごくまれに自分の美しさに気付いてない子もいるけど、それだってほとんどは演技だ。どこかで分かってるはずさ。自分の美しさに気付かないというのも、ただの無知で、怠惰だよ。自分の美しさに傷つくデリカシーのない女の子って、僕にとってはきれいな女の子じゃない
人間、未知のものに対しては不安になる。腹を立てる。疑い深くなる。心が狭くなる。例えば、君が今電車に乗っているとする。ところが、突然駅と駅の間で電車が止まってしまった。そのまま電車はずっと止まっている。君はどう思う? 不安になるね。そのうち、いらいらして怒りだすだろう。これはなんの不安、なんの怒りだと思う? 情報がないことに対する不安と怒りなんだ。人間が異性に対して不安や怒りを覚えるのも、自分の中に相手の情報がないこと、理解できないことに対してなのさ。それを解消するには、体験してみるしかないだろう。知っていれば人は寛大になれるもの。私は全てのカードが自分の手の内にないと嫌なタイプなのでね
存在しなくなれば、忘れ去られる。
ねえ、聖、推理は早く披露してね。あたし、あの登場人物の三分の二が死ぬまで何も説明しない探偵って大嫌いなの
男は恋人に裏切られたと思うから恋人を刺すのよ。女は恋人を取られたと思うから新しい女を刺すの
いいじゃないの! スランプがあるっていうことは、いい時もあるってことだもの
どんなに閉鎖的で牢獄みたいな環境でも、スクールデイズっていうのは人生の休暇みたいなものだと思うな
光が強いってことは、濃い影ができるってことさ
夏至の日に、憂理とヨハンと丘の斜面で過ごした時に感じた透明な哀しみが胸に蘇る。いちばん太陽の存在の長い日。次の日から少しずつ日は短くなっていく。頂点に立った時に感じる滅びの予感。きっと今のこの瞬間は、あたしたちがここで過ごす日々で最も美しい時間なのに違いない。そして、これからあたしたちを待ち受けているのは――
引用:「麦の海に沈む果実」恩田陸著(講談社)
麦の海に沈む果実を読みながら浮かんだ作品
麦の海に沈む果実に似てるのか。神ト悪魔ガ闘ッテイルのか。ソノ戦場コソハ人間ノ心。コノ作品ガ私ニ思イ起こさせた。タダソレダケなのだ。
何の参考にもならないかも知れませんが、他の作品が全く浮かんで来なかったぐらい世界観が完成されていました。いや…思い浮かぶには思い浮かんでは来たんですよ。校長がビッグ・ブラザーっぽいなとか。でもなんかちょっと違うなと…。なので『三月は深き紅の淵を』でご勘弁。
レビューまとめ
麦の海に沈む果実は何点?
恩田陸の作品の中でも結構人気のある今回の作品。正直本を持った瞬間は分厚いな、これ!って感じでした。500ページ近くある作品は『月の裏側』以来でしたが、『月の裏側』よりもページ数が多いわけで、今まで読んだ恩田陸の中で最長の長編小説です。
しかしながら、長さを感じさせない面白さを毎回書けてしまう恩田陸はさすがですね…。この人の作品はとにかく読んでいる時は最高に面白いんですよ。ラストのモヤモヤは別として、読んでいる時はとにかくページめくりが止まらない。
さらに今回は徹底した世界観。六番目の小夜子の体育館のシーンのような不気味さが好きな僕としては、あの雰囲気が作品全体を覆っている感じで、読みながらもブルブル震えていながら読みました。
ただ…。
やっぱり人が死にすぎかなぁ…とは思いました。いや。うん。ミステリーで人が死なないなんてありえねーだろ!っていう意見もあるとは思うんですが。恩田陸の作品って人が死んでないのに怖い。死んでないのに鬼気迫るってイメージが強くて、そこらへんがジャンル分けしにくい作家だと思っていて好きだったんですよね。
なので、死ななくていいんじゃないか?作品的にこれって死ぬ必要ある?って感じの死が多かったのはやっぱり気になってしまう所。しかもモブキャラ達が。愛すべきモブキャラ達が。
そういう感じなのもあり、ちょっと恩田陸から距離を置いてみようと思いました。勝手に作家イメージを固定させてしまうのは良くない。レビュー的にも。
これからまだまだ魅力的で有名な作品があるわけですし、その作品を素直に受け入れるようになってから読みたい。そう思ったので、他の風を入れようと思います。
というわけで、次回は順当にいけば『上と外』なのですが、ちょっと休憩して『ミステリーの書き方』という本を読みはじめています。
ま、この本にも恩田陸は執筆しているんですけどね。ミステリーが書きたいからこの本を読もうと思ったんじゃなくて、ミステリーをあまりにも知らなすぎるから読んでおこ!って感じです。ハウツー本よりも読み物ってレビューも多いので。
これを読んで、いくつか全く別の海外作家なんか読んだらまた恩田陸に戻ろうかなって今は思っています。
ではでは、そんな感じで、『麦の海に沈む果実』でした。記念すべき10作品目を飾るにふさわしい圧倒的世界観。あぁ。面白かった。
あ、ちなみに僕が好きなキャラはヨハンという男子のキャラなんですが、あんまり人気ないみたいですね。僕は好きなんですけどね。よくある灰色の髪の思わせぶりな石田彰が声当てているようなキャラで。エヴァで言えば渚カヲルみたいな感じで。
では最後にこの本の点数は…